70年代アイドルの歴史とその後の様子まとめ!アイドル文化黎明期の「ピンク・レディー」など
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1970年代は日本のアイドル文化が始まった時期と言われている。ここでは70年代に活躍した女性アイドルを年代別にまとめた。人気ぶりを表すエピソードや代表曲・ヒット曲、受賞歴、アイドルを引退した後の活動などを紹介している。
◆フレッシュ三人娘の登場
『フレッシュ三人組』は、ピンクレディーがデビューしたの翌年(77年)に誕生した3人のアイドル(榊原郁恵、清水由貴子、高田みづえ)を指しますが、当時はピンクレディーの勢いがあまりに凄すぎて、アイドルとしてはメジャーになれませんでした。
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榊原郁恵
【生年月日】
1959年5月8日
【芸能界入り】
『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』優勝
【キャッチフレーズ】
1億円のシンデレラ
【レコードデビュー】
1977年1月1日(私の先生)
【受賞歴】
1977年レコード大賞新人賞(アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた)
【紅白出場回数】
6回(内2回が70年代)
【榊原郁恵の代表曲】()内はオリコン最高順位
78年:夏のお嬢さん(11位)
※オリコン1位楽曲数:-
【榊原郁恵の70年代当時の活躍】
第1回の『ホリプロスカウトキャラバン』の優勝者で、ホリプロの強力なバックアップのもとアイドルとしての人気も上昇していく。
ヒット曲にはなかなか恵まれなかったが、7枚のシングル『夏のお嬢さん 』はそれなりにヒットした。
【その後の活躍】
80年代前半まででレコードリリースはほぼ終了したが、女優やタレントとしても人気が出て『レッツゴーヤング』や『ザ・トップテン』などでは司会も務めた。
90年代以降も親しみやすいキャラクターがうけ、タレントとしてのテレビ出演はとても多かった。
【榊原郁恵の現在】
現在でもタレントとして活躍中で、一般的にもっとも目にすることの多い70年代アイドルの1人である。
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清水由貴子
【生年月日】
1959年9月7日
【芸能界入り】
『スター誕生!』第16回決勝大会グランプリ
【キャッチフレーズ】
ほほえみスイング まごころハミング
【レコードデビュー】
1977年3月1日(お元気ですか)
【受賞歴】
-
【紅白出場回数】
-
【清水由貴子の代表曲】()内はオリコン最高順位
77年:お元気ですか(30位)
※オリコン1位楽曲数:-
【清水由貴子の70年代当時の活躍】
ピンク・レディーと同じ『スター誕生!』決戦大会に出場し、ピンク・レディー以上の評価をされたものの、芸能界デビュー後はそのピンク・レディーの影に隠れヒット曲を出すことは叶わなかった。
【その後の活躍】
80年代以降は女優やタレントとしての活躍が中心となり、お茶の間で目にすることも多かった。
【清水由貴子の現在】
2009年4月21日、介護疲れにより自殺。
ご冥福をお祈り致します。
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高田みづえ
【生年月日】
1960年6月23日
【芸能界入り】
『君こそスターだ!』第18代グランドチャンピオン
【キャッチフレーズ】
-
【レコードデビュー】
1977年3月25日(硝子坂)
【受賞歴】
1977年レコード大賞新人賞(硝子坂)
1977年優秀放送音楽新人賞(硝子坂)
1977年FNS歌謡祭最優秀新人賞(硝子坂)
【紅白出場回数】
7回(内2回が70年代)
【高田みづえの代表曲】()内はオリコン最高順位
77年:硝子坂(9位)
80年:私はピアノ(5位)
83年:そんなヒロシに騙されて(6位)
※オリコン1位楽曲数:-
【高田みづえの70年代当時の活躍】
『スター誕生!』のライバル番組である『君こそスターだ!』で芸能界入りし、デビュー曲の『硝子坂』がヒットした。
【その後の活躍】
80年代以降もコンスタントにヒット曲を出し紅白歌合戦などにもよく出演していたが、1985年に大関・若島津と結婚し芸能界を引退。
【高田みづえの現在】
二所ノ関部屋の女将さんとして日々頑張っていることでしょう。
◆77年以降デビュー組
77年から79年にデビューした面々は、ピンクレディーブームと松田聖子のデビュー以降から始まる80年代アイドルブームに飲み込まれてしまった感のある悲運の世代と言えます。
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石野真子
【生年月日】
1961年1月31日
【芸能界入り】
平尾昌晃歌謡学院大阪校生→『スター誕生!』第20回決戦大会合格
【キャッチフレーズ】
100万ドルの微笑
【レコードデビュー】
1978年3月25日(狼なんか怖くない)
【受賞歴】
1978年レコード大賞新人賞(失恋記念日)
1978年優秀放送音楽新人賞(失恋記念日)
【紅白出場回数】
2回(内1回が70年代)
【石野真子の代表曲】()内はオリコン最高順位
78年:狼なんか怖くない(17位)
78年:失恋記念日(24位)
※オリコン1位楽曲数:
【石野真子の70年代当時の活躍】
デビュー曲の『狼なんか怖くない』以降、大ヒットはないもののスマッシュヒットを続けていた。
【その後の活躍】
80年代以降は『レッツゴーヤング』や『スター誕生!』で司会を務めるなどタレントとしても人気が出ていたが、1981年9月に人気歌手の長渕剛との結婚と芸能界引退を発表する。
しかし1983年5月に離婚及び芸能界復帰をし、以降は『歌のトップテン』の司会を務めるなどタレントとした活躍した。
【石野真子の現在】
現在もタレント活動を中心に芸能活動を続けてる他、近年では積極的に歌手活動を行っている。
↓本人のブログ(有料コンテンツ)
https://makomix.fanmo.jp/blog.php
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トライアングル
【メンバー生年月日】
ミッチ1960年3月6日
マミ1960年4月9日
クーコ1960年5月12日※途中脱退
アキ62年12月15日※途中加入
【芸能界入り】
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【キャッチフレーズ】
キャンディーズの妹分
【レコードデビュー】
1978年4月21日(トライアングル・ラブレター)
【受賞歴】
-
【紅白出場回数】
-
【トライアングルの代表曲】()内はオリコン最高順位
78年:トライアングル・ラブレター(28位)
※オリコン1位楽曲数:-
【トライアングルの70年代当時の活躍】
キャンディーズ引退直後の女性アイドル業界は、ポスト・キャンディーズとして3人組アイドルグループが次々登場しており、その中でもっとも有名なのがキャンディーズの事務所の後輩で結成されたトライアングルだった。
とはいえ、キャンディーズの印象が強すぎてどのグループも大成しなかったのが実情である。
【その後の活躍】
1981年に解散。
【トライアングルの現在】
不明
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石川ひとみ
【生年月日】
1959年9月20日
【芸能界入り】
『君こそスターだ!』第20代グランドチャンピオン
【キャッチフレーズ】
78 歌謡界最大の輝くひとみ
【レコードデビュー】
1978年5月25日(右向け右)
【受賞歴】
-
【紅白出場回数】
1回(70年代の出場はない)
【石川ひとみの代表曲】()内はオリコン最高順位
81年:まちぶせ(6位)
※オリコン1位楽曲数:
【石川ひとみの70年代当時の活躍】
70年代にヒット曲はなく、70年代のもっとも有名な仕事はNHK人形劇『プリンプリン物語』の声優である。
【その後の活躍】
1981年に『まちぶせ』がヒットし、紅白歌合戦に出場。
当時の人気歌番組『レッツゴーヤング』では、女性としてもっとも長く司会を務めた。
【石川ひとみの現在】
現在も芸能活動を続けている他、B型肝炎を発病した経験から肝炎に関する講演活動なども行っている。
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倉田まり子
【生年月日】
1960年11月20日
【芸能界入り】
素人時代に出た『家族そろって歌合戦』でスカウト
【キャッチフレーズ】
-
【レコードデビュー】
1979年1月21日(グラジュエイション)
【受賞歴】
1979年レコード大賞新人賞(How!ワンダフル)
1979年優秀放送音楽新人賞(How!ワンダフル)
1979年FNS歌謡祭最優秀新人賞(How!ワンダフル)
【紅白出場回数】
-
【倉田まり子の代表曲】()内はオリコン最高順位
79年:How!ワンダフル(52位)
※オリコン1位楽曲数:-
【倉田まり子の70年代当時の活躍】
1979年の新人賞を総ナメにしたが、対象曲の『How!ワンダフル』はオリコン52位止まりだった。
【その後の活躍】
80年代アイドルブームの波にのみ込まれ存在感が示せず、声優挑戦やものまね番組出演などでアイドルとしての道を模索するも、1985年に投資ジャーナル事件に巻き込まれて芸能界を引退した。
【倉田まり子の現在】
芸能界は引退しており、坪田まり子として『キャリア・カウンセラー』の仕事を行っている。
◆歌手活動以外で人気がでたアイドルたち
天地真理の登場以降、アイドル=歌手(アイドル歌手)という定義付けがされていきましたが、歌手活動以外でアイドル的な人気の出た人たちもいました。
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坂口良子
【生年月日】
1955年10月23日
【芸能界入り】
『1971年ミス・セブンティーンコンテスト』優勝
【キャッチフレーズ】
-
【レコードデビュー】
1972年4月(あこがれ)
【坂口良子の70年代当時の活躍】
歌手としては大成しなかったが、人気ドラマに次々と出演しアイドル的な人気を得ることとなる。
【その後の活躍】
女優として数々のドラマに出演し、2時間ドラマなどでは主役を演じることも多かった。
【坂口良子の現在】
2013年3月27日、横行結腸癌および肺炎のため逝去。
ご冥福をお祈り致します。
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水沢アキ
【生年月日】
1954年12月5日
【芸能界入り】
劇団若草→スカウト
【キャッチフレーズ】
ソニー家の三女
【レコードデビュー】
1973年7月1日(娘ごころ)
【水沢アキの70年代当時の活躍】
歌手としては大成しなかったが、当時の人気クイズ番組『連想ゲーム』のレギュラーに選ばれ、更には若くして紅組(女性チーム)のキャプテンにも選ばれるなど人気を博していた。
【その後の活躍】
80年代以降も、女優・タレントとして活躍した。
【水沢アキの現在の動向】
現在も、女優・タレントとして活躍中。