Prince(プリンス)の徹底解説まとめ

プリンス(Prince)とは、アメリカのミュージシャン、シンガーソングライター。1978年のデビュー以来、アフロアメリカンの音楽と白人の音楽を融合した音楽スタイルで多くのヒットを放ってきた。ミネアポリス・サウンドの中心的存在と評されており、12作品のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出している。世界が選ぶ最も優れた実力派のミュージシャンとして多くのファンを魅了してきたが、2016年、57歳で死去。

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Prince(プリンス)の概要

プリンス(Prince)とは、アメリカのミュージシャン、シンガーソングライターである。本名はプリンス・ロジャーズ・ネルソン(Prince Rogers Nelson)。
1978年のデビュー以来、アフロアメリカンの音楽と白人の音楽を融合した音楽スタイルで多くのヒットを放ってきた。ミネアポリス・サウンドの中心的存在と評されており、12作品のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出している。世界が選ぶ最も優れた実力派のミュージシャンとして多くのファンを魅了してきた。

イメージカラーが紫であるため、「パープル・プリンス」と称されることもあるアメリカのミュージシャン、プリンス。溢れる才能で多数の楽曲を世に生み出しており、ローリングスートン紙の選ぶ最も過少評価されている歌手に選ばれるなど、そのセンスと能力の高さを業界内外で評価されている。彼の楽曲にインスパイアされたミュージシャンも多く、スぺース・カウボーイやトム・ジョーンズなどもプリンスの楽曲をカバーしている。
同じ黒人のミュージシャンとしてマイケル・ジャクソンと比較される多いが、ライブではレッド・ツェッペリンやレディオヘッドなどのカバーも行い、優れたギタリストとしても広く知られている。

Prince(プリンス)の活動経歴

生い立ちからデビューまで

プリンス・ロジャーズ・ネルソンは、1958年6月7日、ミネソタ州ミネアポリスで生まれた。両親は1966年に離婚。母親に引き取られたプリンスは、10歳の時に継父にジェームス・ブラウンのコンサートに連れていかれ、ステージにあげられたという。しかし継父との関係は上手くいかず、プリンスは家出を繰り返した。
ジュニアハイスクール時代に従弟や友人と組んだバンドが業界から注目されたことで、プリンスは数社の入札の結果、弱冠19歳でメジャーデビューを果たす。
デビューシングルの売り上げこそ芳しくなかったものの、その能力の高さとセンスの良さが評価され、すぐにミュージックシーンを沸かせることとなった。

初期の活動から全盛期まで

1978年4月、プリンスはデビューアルバム 『For You』 を一人で作り上げた。ビルボードチャートは163位に終わるものの、シングルカットされた「Soft and Wet」はR&Bチャートを賑わせた。
セカンドアルバム『Prince』では、「Why You Wanna Treat Me So Bad」、「I Wanna Be Your Lover」がR&Bチャートでヒット。「I Wanna Be Your Lover」は全米シングルチャートで最高位11位にランクされる大ヒットとなる。
しかし彼の名前が世界中に広まるのは、1982年に発売された1枚組アルバム『1999』が発売された後である。このアルバムは世界中でヒットし、数曲がシングルカットされ、マイケル・ジャクソンやマドンナと名を並べるビックアーティストの仲間入りを果たす。
1984年には自伝的映画『プリンス/パープル・レイン』で映画に初主演し、そのサウンドトラックとして『Purple Rain』が発表され、大ヒットとなった。さらにこの映画は、6800万ドルの興行収入を得て週間ボックスオフィスで1位、年間で11位という成績を収めている。同年の第57回アカデミー賞では、歌曲・編曲賞を受賞。
独自レーベルであるペイズリー・パーク・レコードを設立したプリンスは、1985年にアルバム『Around the World in a Day』を発表。このアルバムも全米チャートで1位を獲得する。

ワーナーとの確執とプリンスの復活

1993年、プリンスはワーナー・ブラザースと再契約を交わした。しかしアーティスト活動における方向性の不一致により、1994年発売の『Come』において「プリンスの死」を宣言。その後は「元プリンス」として音楽活動をした。ワーナーブラザーズとの契約終了後と出版権が切れるタイミングで、プリンスというアーティスト名が復活することとなる。
2001年、プリンス名義としては9年ぶりのオリジナルアルバム『The Rainbow Children』を発表した。4月にはコロムビアと配給合意し、アルバム『Musicology』を発表。コンサートツアーが全米で年間最高の観客動員数と収益を記録し、第47回グラミー賞でも2部門を受賞する。

突然の死去

2016年4月15日、プリンスは自家用ジェット機内にてインフルエンザにより体調不良が悪化。病院に緊急搬送されるが、翌日にはプリンスの所有する「ペイズリー・パーク・スタジオ」で開催されているダンス・パーティでファンの前に姿を現した。
しかし4月21日、「ペイズリー・パーク・スタジオで誰かが亡くなった」というゴシップ・サイトの第一報の後、「発見された遺体がプリンスのものである」という報道がAP通信など複数のメディアによって行われた。6月2日、死因は鎮痛剤のフェンタニルの過剰投与による中毒死であるという報告書が公表された。
2016年4月21日、57歳という若すぎる死であった。

Prince(プリンス)のプロフィール・人物像

出生名はプリンス・ロジャーズ・ネルソン。アメリカ合衆国・ミネソタ州ミネアポリス出身、1958年6月7日生まれ。妹は歌手のタイカ・ネルソンである。
プリンスはデビュー以来、作詞・作曲・歌唱・演奏・プロデュースの全てを自ら行うスタイルを貫いており、27種類以上の楽器を演奏することができた。
プリンスの少年期にはさまざまな逸話があるが、その幾つかはプリンス本人によって話題作りのために広められたものである。有名なものとして、「プリンスの父親は黒人で母親が白人である」というものがあるが、実際には両親ともに黒人である。
また、プリンスは多作で、その生涯で39枚のアルバムをリリースしている。未発表のプロジェクトも数多くあったという。

Prince(プリンス)のディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

『For You』

1978年4月7日発売。

Side One
1. フォー・ユー - "For You" - 1:08
2. イン・ラヴ - "In Love" - 3:37
3. ソフト・アンド・ウェット - "Soft and Wet" (Lyrics by Prince & Chris Moon / Music by Prince) - 3:02
4. クレイジー・ユー - "Crazy You" - 2:17
5. トゥゲザー - "Just as Long as We're Together" - 6:24

The Other Side
6. ベイビー - "Baby" - 3:10
7. マイ・ラヴ・イズ・フォーエヴァー - "My Love Is Forever" - 4:11
8. ソー・ブルー - "So Blue" - 4:30
9. アイム・ユアーズ - "I'm Yours" - 5:02

プリンスが1978年に発表した初のスタジオ・アルバム。

『Prince』

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