デビッド・ベッカムのサッカー人生を「15の事件」で振り返る!「貴公子」と呼ばれたスターの現役時代のエピソードを紹介
サッカーファンでなくても「デビッド・ベッカム」の名前を知っている人は多い。サッカーの技術はもちろん、甘いルックスでも多くの人を惹きつけ、「貴公子」の呼び名で愛された。ここではベッカムの現役時代の「15の事件」をまとめ、そのスター人生を振り返っていく。
♯5 ヴィクトリアとの結婚
1997年にヴィクトリア・アダムズがマンチェスター・ユナイテッドの試合の観戦に訪れた後に、交際が始まった。
出典: ja.wikipedia.org
出典: www.lastfm.jp
人気絶頂だったスパイス・ガールズの一員と名門マンチェスター・ユナイテッドFCの貴公子のロマンスはタブロイドを騒がせることとなる。
出典: ja.wikipedia.org
現在も何かとゴシップを振りまいていますよね。
1998年に婚約を発表。1999年7月にアイルランド・ダブリンにある古城Luttrellstown Castleで結婚式を挙げた。
出典: ja.wikipedia.org
ブルックリン(1999年、ロンドン生まれ)、ロメオ(2002年、ロンドン生まれ)、クルーズ(2005年、マドリード生まれ)、ハーパー・セブン(2011年、ロンドン生まれ)という3人の息子と1人の娘に恵まれた。
出典: ja.wikipedia.org
♯6 EURO2000の批判と、代表キャプテン
EURO(欧州選手権)2000のポルトガル戦
出典: ja.wikipedia.org
「黄金の世代」と称されるポルトガルの破壊力抜群の攻撃に屈し、2-3で逆転負けしました。
終了5分前にPKを取られて勝ち越され、終了間際のゴール前のフリーキックもベッカムの絶妙なキックをどうすることもできず、残念ながら破れ、予選リーグ敗退が決まりました。普段は冷静沈着であるベッカムの呆然とした表情がとても印象に残りました。
逆転負けしたイングランド選手にスタジアムでファンがひどい言葉でやじったらしい。で、それに腹を立てたベッカムが中指たてて、F**kのサイン。
その行為もまた非難されたが、かつて彼を批判していた新聞社は読者に対し、もうベッカムを批判するのは止めるようにしようと求めた。
出典: ja.wikipedia.org
そしてようやく批判から解放されることとなりました。
出典: www.goal.com
2000年11月15日、10月に監督を辞任したケヴィン・キーガンの後を継いだピーター・テイラー監督にキャプテンに指名され、続いて監督に就任したスヴェン・ゴラン・エリクソンの下でもキャプテンとしてプレイし続けることとなった。
出典: ja.wikipedia.org
ここから2006年のワールドカップまで、58試合キャプテンを務めることとなります。
♯7 様々な思いの詰まった「FKゴール」
2001年 W杯予選ギリシャ戦
ギリシャ戦では、1-2とリードされている後半ロスタイム、同点となるフリーキックを決めイングランドをワールドカップ出場へと導いた。
出典: ja.wikipedia.org
目次 - Contents
- ♮サッカー界の貴公子 デイビッド・ベッカムが現役引退を表明
- ♮引退を惜しむ声…
- ♮ベッカムのサッカー人生を『15』項目で振り返りたいと思います!
- ♯1 『ファーガソンの雛鳥』として、キャリアスタート
- ♯2 背番号「7」継承
- ♯3 「10人のライオンと、1人の愚かな若者」
- ♯4 イングランド初の「トレブル」達成
- ♯5 ヴィクトリアとの結婚
- ♯6 EURO2000の批判と、代表キャプテン
- ♯7 様々な思いの詰まった「FKゴール」
- ♯8 日本に大ブームを巻き起こした「ベッカムヘアー」
- ♯9 「恩師」ファーガソンとの確執と移籍
- ♯10 W杯 3大会連続ゴール
- ♯11 「サッカー不毛の地」アメリカへ
- ♯12 レンタルで欧州に復帰
- ♯13 レンタルではなく「完全」移籍で、パリへ
- ♯14 そして今日、2013年5月16日
- ♯15 おまけ「ベッカムのタトゥー変遷」
- 関連リンク