デビッド・ベッカムのサッカー人生を「15の事件」で振り返る!「貴公子」と呼ばれたスターの現役時代のエピソードを紹介
サッカーファンでなくても「デビッド・ベッカム」の名前を知っている人は多い。サッカーの技術はもちろん、甘いルックスでも多くの人を惹きつけ、「貴公子」の呼び名で愛された。ここではベッカムの現役時代の「15の事件」をまとめ、そのスター人生を振り返っていく。
ユナイテッドの監督であるアレックス・ファーガソンは、クラブの若手選手に大きな期待を寄せており、ベッカムはニッキー・バット、ガリーとフィルのネヴィル兄弟らとともに、1990年代にファーガソンが連れてきた「ファーガソンのひな鳥」と呼ばれる選手たちの一人であった。
出典: ja.wikipedia.org
他にも、ライアン・ギグス、ポール・スコールズなども「ひな鳥」でした!
♯2 背番号「7」継承
1997年5月18日にエリック・カントナが現役引退を発表し、テディ・シェリンガムがクラブに加入したことに伴い、ベッカムは10番をシェリンガムに譲り、カントナが付けていた7番を背負うことになった。
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♯3 「10人のライオンと、1人の愚かな若者」
1998年W杯フランス大会、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン対イングランド戦
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この日、大会で初先発を果たしていたベッカムは、アルゼンチンから何ども狡猾な削りを受けていたが、その時もアルゼンチンのシメオネにファールを受け、のしかかられるように倒されていた。
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ベッカムはやっと自由になったその足で、倒れたままシメオネの足を蹴った。蹴ったというよりも「早くどけよ!」という感じで足を「ばたつかせた」と言った方が適切かもしれない。
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しかし、目の前で行われたそのささやかな“報復行為”に対し、主審のレッドカードをかざす手に躊躇はなかった。
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チームもPK戦の末に敗退したこともあり、「10人の勇敢なライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられ、戦犯としてメディアを含め多くの批判を浴び、ベッカムは死の脅迫をも受けた。
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この時のことを、先日のファーガソン監督勇退報道の際、ベッカムはこう振り返っています。
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98年のことがあったあとは、監督がいなければピッチ内外での出来事に対応することはできなかった。彼が僕を支え、守ってくれたんだ。そのことについては、これからもずっと感謝し続けるよ
♯4 イングランド初の「トレブル」達成
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1998-99シーズンはクラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたいわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(アレックス・ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ優勝、さらにこのシーズンはリーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(三冠)を達成。
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中でも、チャンピオンズリーグ決勝は「カンプノウの奇跡」と呼ばれているほど、本当に奇跡的な勝利でした。
90分で0-1と負けていたユナイテッドは、ロスタイムに入ったところでベッカムのドリブルからCKをゲット。そのCKから同点とすると、さらに攻め続け獲得したCK、今度はベッカムが蹴り、逆転してしまうのです。
これらのアシストやシーズンを通して見せた素晴らしい活躍が評価され、バロンドールとFIFA最優秀選手賞では、いずれもリバウドに次いで2位に選出された。
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目次 - Contents
- ♮サッカー界の貴公子 デイビッド・ベッカムが現役引退を表明
- ♮引退を惜しむ声…
- ♮ベッカムのサッカー人生を『15』項目で振り返りたいと思います!
- ♯1 『ファーガソンの雛鳥』として、キャリアスタート
- ♯2 背番号「7」継承
- ♯3 「10人のライオンと、1人の愚かな若者」
- ♯4 イングランド初の「トレブル」達成
- ♯5 ヴィクトリアとの結婚
- ♯6 EURO2000の批判と、代表キャプテン
- ♯7 様々な思いの詰まった「FKゴール」
- ♯8 日本に大ブームを巻き起こした「ベッカムヘアー」
- ♯9 「恩師」ファーガソンとの確執と移籍
- ♯10 W杯 3大会連続ゴール
- ♯11 「サッカー不毛の地」アメリカへ
- ♯12 レンタルで欧州に復帰
- ♯13 レンタルではなく「完全」移籍で、パリへ
- ♯14 そして今日、2013年5月16日
- ♯15 おまけ「ベッカムのタトゥー変遷」
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