THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の徹底解説まとめ

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)とは、日本のパンクロックバンド。1985年結成し、1987年にメジャーデビューする。1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、1995年に解散した。ヒット曲は「リンダリンダ」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」「人にやさしく」など。数多くの名曲を世に送り出し、様々なミュージシャンに影響を与えた伝説のバンドである。

人にやさしく

THE BLUE HEARTSがインディーズ時代に出したシングル。1987年2月25日発表。インディーズ発表ながら週間チャート最高26位を獲得した。2002年、香取慎吾主演の同名のドラマ『人にやさしく』の挿入歌に起用された。それを受け最初に所属したメジャーレーベル、メルダックから再発売もされている。

THE BLUE HEARTSのミュージックビデオ(MV/PV)

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THE BLUE HEARTSの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

バンド名の由来

THE BLUE HEARTSというバンド名の由来は、甲本ヒロトによると「意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前」だから命名したと語っている。

影響力

彼らの残した影響は強く、スピッツの草野マサムネはブルーハーツに憧れてギターを始めたと言っていたり、銀杏BOYZの峯田和伸もブルーハーツを憧れと公言してたりと音楽界に与えた影響は非常に大きい。また、その他の業界からもブルーハーツの影響を受けていることを公言している人物が多数存在し、劇団「第三舞台」の主宰、鴻上尚史は、自身がパーソナリティを務めたラジオ番組「オールナイトニッポン」内で、幾度となくブルーハーツ好きを公言しており、ライブにも度々足を運んでいるという。また、作家の吉本ばなな等が「僕の話を聞いてくれ」という、ブルーハーツを絶賛する本を出し、彼女は「I Love ザ・ブルーハーツ」というタイトルで寄稿しているなどその影響は幅広い。

名曲誕生の仰天エピソード

甲本ヒロトがテレビアニメばかり見ていてまったく仕事をせず、真島昌利が怒ってテレビを窓から投げ捨てたというエピソードがある。
その時、甲本ヒロトが慌てて作った曲が「リンダリンダ」と「ブルーハーツのテーマ」だといわれている。

解散理由は宗教絡みか

バンドの解散理由はいくつか囁かれているが、「幸福の科学」にはまった河口純之助に呆れ、甲本ヒロトが「ブルハを抜ける」と言ったという説がある。その発言を受け、メンバーは「ヒロトが抜けるなら解散」「でもあとで再結成っていうのもかっこ悪いから活動休止」となり、1994年、ひとまず活動休止。しかし翌年ラジオ番組で解散を宣言した。真島昌利も「ヒロトが抜けると言い出さなければ俺が抜けていた」といったという。

三谷幸喜の映画監督の夢を後押しした甲本ヒロト

甲本ヒロトの弟・甲本雅裕は学生時代から三谷幸喜作品の客演の常連だった。ブレイク前の三谷の楽屋に甲本ヒロトが訪れ、映画『クールランニング』を勧め、「あなたはこのようなコメディを作るべきだ」と言った。実際、三谷はその映画を見て大好きになり、映画監督への夢が膨らんだというようなことを朝日新聞連載のエッセイで書いていた。ちなみに三谷監督の『THE有頂天ホテル』では香取真吾が歌う曲を甲本ヒロトが提供している。

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