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go-1021115978388152787118のレビュー・評価・感想

検察側の罪人 / KILLING FOR THE PROSECUTION
7

話は読めたけどおもしろかった。

話の筋は読めてしまうところがあって、サスペンスでいうとあんまりかなと思います。でも、わかりやすいっていえばわかりやすいし、専門性の高い、重苦しい現場での話なので、ものめずらしくておもしろいです。また、木村拓哉さんは、年を重ねて渋くなっててかっこいいなと思います。昔とはちょっと違う役ができるようになって、今のほうが好きです。二宮さんは、嫌味っぽいところとか、童顔ですが頭のよさそうなところがいかにも検事(偏見かもですが)って感じがして、うまく被疑者を落とせそうと思えました。
話的にはどうなんだ?って話ですが、ああいう立場の人ならそういうことをしてしまうかもしれないし、だからこそ、性格とかも含めてなれる人、なれない人がいる職業なんだろうなと改めて感じました。こういう映画を見ると、冤罪とかもあるからよくはないんだけど、犯人を見つけようと必死になったり、きつい口調になるのも仕方ないのかもと思ったり、いやダメだよと思ったりいろいろ考えてしまいます。演技もみなさん、良かったと思いますが、邦画だとどうしてもセリフが聞こえにくく、しかも最初のほうの、検察の研修とか検察官同士での会話になると、日常会話じゃないし何言っているのか聞き取れないところがあって、それが残念です。

空の境界
10

特別とは何か、普通とは何か。

私は「空の境界」を通して普通というものの異常性を垣間見た気がした。万物の綻びを見た、かつて2つの人格を有した少女「式」、そんな異常な彼女に惹かれる普通であることを望む少年「幹也」、そんな二人を見守るつかみどころのない人形師「橙子」など魅力にあふれた人物が数多く登場する。物語には物の死を見る能力や物を捻じ曲げる能力、浮幽霊となり人々を死に誘う能力、はたまた魔術なんてものを持つものまで現れる。そんな特別な力を持つキャラクターが多い中、式と並ぶ第2の主人公「黒桐幹也」はただ普通であることを望んだ。これが私の眼には異常に映ったのだ。彼は人並みの幸せ以外何も望まない。普通以上も以下も望まない。それはとても異常なことのように感じる。人は、今の状況を見てさらに裕福に、あるいは幸せになりたいから変化を求める。何も望まないということは何もしないということ。何もしないということは何も変わらないということ。普通とは何なのか。特別や異常に囲まれた中、ただ何も望まず、何も変わることを望まなかった彼は本当に「普通」だったのか。劇中の中で普通を望んだ彼こそが「特別」であり「異常」だったのではないか。だとしたら、彼を囲んだ「特別」とは何だったのか。考えれば考えるほど、疑問が浮かぶばかりだ。アニメや漫画に特別や非日常を求めている人には是非とも「空の境界」を見てほしい。異能や魔術などの非日常を持つものではなく、何も持たず、何も望まない私たちの一番身近であるはずの「黒桐幹也」に視点を向けてほしい。きっと、「普通」と「特別」の間に境界なんてないのだろう。

遊☆戯☆王 / 遊戯王 / Yu-Gi-Oh! / Yu-Gi-Oh! Season Zero / 初代遊戯王 / 東映版遊戯王
9

非暴力を一貫したジャンプ漫画の主人公の成長・出会い・別れ

週刊少年ジャンプにて1996~2004年まで連載されていた、ゲームを題材にした漫画。アニメは2期放送、映画も2作品上映された。外伝漫画・小説・ゲームも出ており、メディア展開も豊富。

内向的な主人公の遊戯は、祖父がエジプトで見つけた「千年パズル」を8年がかりで完成させたことで、もう1つの人格(作中では「もう1人の遊戯」だがゲーム版で使用された「闇遊戯」も浸透している。本来の名前は「アテム」)に覚醒し、悪党を闇のゲームで打ち負かす。物語当初は、アテムの事を認識していなかったどころか部分的な記憶喪失状態となっていたのだが、謎の人物「シャーディー」からもう1人の自分の存在を聞かされ、一時は不安になるも彼の存在を恐れず受け止めるようになり、そこから少しずつ成長する。やがて千年パズルを完成した者が背負うべき使命を知り、不穏な事情に巻き込まれていく。

最初は闇のゲームを仕掛けて悪党を懲らしめる1話完結スタイルだが、「海馬瀬人」との勝負で遊んだカードゲーム「M&W」が好評だったこともあり、カードゲーム主体となっていく。…が、実際にカードゲームが主体だったのは「決闘王国編」「バトルシティ編」「DEATH-T編終盤」であって、「学園編」「DEATH-T編(終盤以外)」は多種多様のゲーム、「DDD編」「TRPG編」「古代編」はボードゲームを主体にした話もしており、最初からカードゲーム漫画と言う訳ではない。勝負のシーンでは(カードゲームに限らず)時々言ったもの勝ちな展開はあったものの、駆け引きの熱さや演出は一読の価値あり。原作者・高橋氏のデザインの引き出しは豊富であり、クリボーやパズーといった可愛らしさを重視したデザインからブルーアイズやゴッドオーガスのような圧倒的強さを感じさせるデザインまでバリエーションが凄い。

また重要な要素として友情がある。レギュラーキャラの1人「城之内克也」は、遊戯について自身の孤独だった過去を思い出させるため、ろくでなしの自覚はあったものの嫌がらせを繰り返していた。しかし、風紀委員の立場であるのを良い事にカツアゲ同然の行動を平然と行う不良上級生を相手に、真っ向から反論するどころか自分たちを庇う遊戯の姿勢を見て以降、態度を改め唯一無二の親友となる。バトルシティ編での「大好きだ」の一言は様々な思いがこもっており、涙を誘う名シーンであろう。時に遊戯を励まし、時に叱咤するので、彼の成長は城之内の言葉もかなり大きい。主人公を虐める嫌な奴ではあるが、態度を改めてからは筋を通しているので、この手のキャラクターとしては恐らく好意的に見られている珍しいケース。
もう1人忘れていけないのは「アテム」。最初は認識しておらず、部分的な記憶喪失やシャーディーから存在を聞かされて不安になるが、城之内達の励ましで克服してから存在を受け入れ、紆余曲折あったものの決闘王国編以降は強い絆と信頼を築き上げていき、その絆は城之内ですら「かなわない」と思わせるほど(城之内も初期から友情の積み重ねがされているのだが、それすら超えるものがある)である。しかし彼の素性が明らかになるにつれ(古代エジプトのファラオなので当然故人である)、覚悟を決めて冥界へ送る決意を固めた遊戯の姿は泣かずにいられなかった。

最後に、遊戯は「僕、喧嘩とか暴力大嫌い!」と豪語しているように、最終回まで一切の暴力を振るわず喧嘩も吹っ掛けてこなかった、ジャンプ漫画では珍しい主人公である。戦い嫌いの主人公は多々あれど、一切の暴力を行使しないのはそうそういないであろう。