BLANKEY JET CITY(ブランキー・ジェット・シティ)の徹底解説まとめ
BLANKEY JET CITYとは、独特な歌声とギターリフを野太いリズム体による重厚なグルーヴに乗せ、繊細かつ攻撃的な音楽で多くのロックファンを魅了した日本を代表するロックバンド。1987年に結成され、オリジナルアルバム8枚をリリースし、そのカリスマ性が色あせることの無いまま2000年に解散した。
Read Article
BLANKEY JET CITYとは、独特な歌声とギターリフを野太いリズム体による重厚なグルーヴに乗せ、繊細かつ攻撃的な音楽で多くのロックファンを魅了した日本を代表するロックバンド。1987年に結成され、オリジナルアルバム8枚をリリースし、そのカリスマ性が色あせることの無いまま2000年に解散した。
90年代のロックシーンをけん引し、今も著名な有名人、ミュージシャンから尊敬を集めるバンドです。浅井健一(ボーカル、ギター)照井利幸(ベース)中村達也(ドラムス)の3人からタフで男臭い一面と、壊れそうに繊細で純粋な少年のような浅井健一の一面が違和感なく同居していた。バイクを乗り回し、チェーンを振りかざし、放埒な自由を謳歌する筋金入りの不良たちが、楽器を持ち、ロックバンドを組んだ、そんな佇まいが感じられる。表現されているのは純粋性と大人になっていくことへの恐れであり、孤独と空虚である。彼らの飾らぬ、だが研ぎ澄ました感性は、聞く者の感性を揺さぶる。彼らの音楽には、3人の男たちが常にギリギリの真剣勝負を繰り広げているような緊張感があった。純粋な愛の歌を歌ったかと思えば、明日などどうでもいいような刹那的な歌もある。強力な感情な振り子の状態が続くようなバンドであった。スピード感とスリリングな感じ。情景が浮かぶ映画のような歌詞。テクニックよりも、生き様が出ているバンド。うまいミュージシャンはたくさんいるだろうが、記憶に残り、生き方に影響を与えるバンドは非常に限られている。自分にも子供がいるが、高校生になったら聞いて欲しいなぁと、心の片隅で思っている。
80年代に輝いた「BLANLEY JET CITY」という3人組バンドはご存じだろうか。剃刀のようにするどいギター音と、地を這うようなドラム、そして空間を作るベース。ロックを奏でるために生まれてきた3人の演奏は唯一無二の存在として光る。
何よりもボーカリストの浅井健一氏の詩的表現は、かの椎名林檎氏によって「歩く芸術」とも称されており、その独特な詩は聞くたびに刺さる。唄いあげるその声も心の琴線を揺さぶる歌声である。
1987年に結成されたBLANEY JET CITYは、
Vo/Gt. 浅井健一
Ba. 照井利幸
Dr. 中村達也
からなるスリーピースバンドで、そのバンド名は自分たちで作った物語が由来である。
ヴィジュアル系バンド・J-POPSが盛り上がっていた1980年代に、イカすバンド天国(1989年にTBSで放送されていたバンド紹介番組)で人気に火が付き、その後、1991年にミュージックステーションで全国メディア露出が始まると、日本で本物のロックをしている数少ないバンドとして音楽シーンをチェーンソーのように切り裂いた。
惜しまれながら2000年に解散するまで日本を代表とするロックバンドとして第一線で活躍していた。解散後、各メンバーはソロ活動や別のバンドで活躍しそれぞれの冒険を続けている。
BLANKEY JET CITY に影響されているバンドも多く、築いた街は、拡大して日本に本物のロックを届けている。
ブランキー・ジェット・シティ 。その名の通りどこかの街の物語かと思うようなグループ名。そう、彼らの存在や彼らの奏でる音楽は1つの街そのもの。
街には日々戦いや悲哀、出会いや別れが繰り返されていて、そのそれぞれに人と人の物語があるが、彼らの音楽を聴いていると、人間の深い生命の物語が絵に描かれたように伝わってくる。そんなグループを僕は他に知らない。
いい歌を奏でるグループはいくらでもある。切ない歌やハッピーな歌。しかしそれらは人間のほんの一部分の切り取りにすぎず、人間の真の姿ではない。人間とは本来脆く壊れやすくカッコ悪い。その中で足掻き、もがき、ボロボロになりながら、今にも壊れそうな思いを抱えて生きている。
ボーカル浅井健一の壊れそうなハイトーンボイスを聴くと、人間の脆さや狂気を思い出させる。ベース照井のベースラインは泣いたり叫んだり、感情が入り乱れている。そしてドラム中村が奏でる音は、壊れた心を何とか繋ぎ合わせて手足をバタつかせているように切ない。
一つ一つは壊れかけた旋律で、決して綺麗とは呼べない3人の言葉にも似た音楽が重なり合った時に、壊れかけていた旋律は壮大な街の物語に変化する。たった3分の曲を1つ聴いただけでも長編映画を観たような気持ちになる、唯一無二のミュージシャンだ。
私はイトコの影響で学生の頃から伝説的なロックバンド『BLANKEY JET CITY』(以後「ブランキー」)を知り今も大好きです。
ブランキーは今現在はバンド活動してはいませんが、ロックが好きな方ならば恐らく知らない人はいないくらい知名度も存在感も大きなバンドです。
あくまで私個人の意見ですが、ボーカル&ギターの浅井健一さんは、今で言う『ELLEGARDEN』のボーカル&ギター細美武士さんクラスのカリスマ性があったと考えています。
ブランキーの存在感は今も色褪せていないと感じます。
現に昨年2018年にテレビ東京で放送されていた俳優・藤原竜也さんの深夜番組「藤原竜也の二回道」にてブランキーのドラム・中村達也さんがオープニング音として、藤原竜也さんに頼まれ共演をしていました。
藤原竜也さんが以前「BLANKEY JET CITY」とプリントされていたTシャツを着ていたことも番組内で放送されていました。
それくらい今も存在感が大きいです。
このブランキーというバンドは3人組でして、ボーカル&ギター、ベース、ドラムという3ピースバンドなのですが、ライヴなどをみていてもサポートメンバーを入れることなく演奏しているのに音の物足りなさを感じさせることない凄腕のバンドです。
もちろん、ボーカル&ギターの浅井健一さんの歌声、ギタープレイ、楽曲などの存在はかなり大きいのですが、それだけが凄いわけではなくベースやドラム全てが重なってこそ偉大なロックを奏でているという感じです。
因みに、私がブランキーの中でお勧め&大好きな楽曲は『ガソリンの揺れかた』『SATURDAY NIGHT』などです。
私自身は(ミーハーな感じですが)『SATURDAY NIGHT』に完全に魅了され、ブランキー好きになった一人です(遅めのスタートでした。)。
ブランキージェットシティーは1987に結成された日本人3ピースバンドなんです。2000年に解散しているので、解散して早くも18年位の時間がたっています。しかし私が今まで聞いてきた日本のロックの中でこんなに攻撃的で、切なくて、気持ちがたかぶる音楽は他にはないと思います。
私がブランキージェットシティーと出会ったのは、思春期真っ盛りの高校生のころだと思います。それまで聞いていた、ブルーハーツやエックスなどでは満たされない気持ちがありました。そんな時、夜中にテレビをつけていたら、急に「キスしてくれないか?僕のこのナイフに~」という歌詞がテレビから流れてきました。この曲「風になるまで」というタイトルなのですが、とても悲しげなメロディーなんです。
私は一発でこのベンジーの書く歌詞とメロディーの世界観にやられてしまいました。すっかりブランキージェットシティーにはまってしまった私は、本気でベンジーと同じタトゥーを腕に入れようかと考えたくらいです。
今の音楽(特にロック系)のバンドにとやかく言うつもりはないですが、ブランキージェットシティーの音楽は若い人が奏でる音楽とは深さが違います。
特に初期の作品が切なくてやるせなくて、行き場のない気持ちの揺れを感じている若い人にお勧めしたいと思います。
あなたも本気でベンジーのタトゥーを入れようかと思うこと間違いなしです。