中森明菜

中森明菜のレビュー・評価・感想

中森明菜
10

さすが日本の歌姫と感じさせるアルバ『ベスト・コレクション 〜ラブ・ソングス&ポップ・ソングス〜』

昭和の歌謡曲を聴くようになりました。リアルタイムな世代ではないですが、ヤクルトスワローズのマスコットキャラクターであるつば九郎の動画を見て興味が湧いたことがきっかけです。つば九郎が明菜さん好きなようで、動画の中で度々明菜さんの歌が流れ、踊るんです。
明菜さんは歌手としてとても有名な方なので、いくつか有名な曲は耳にしたことはあったのですが、今までしっかり聴いた事はありませんでした。初心者だったのでまずはベスト盤からと思い聴き始めましたが、圧倒的な歌唱力に驚きました。声に艶がありまた色っぽさもあり、心を一気に持っていかれた感じです。耳にした事のある楽曲が次々と流れて、「あ、この曲はこういうタイトルだったんだ」と改めて繋がりました。デビュー曲である「スローモーション」はしっとりとした曲で心が和み、「難破船」、「少女A」、「サザンウインド」、「飾りじゃないのよ涙は」、「DESIRE-情熱-」などなど、まだまだ書ききれない名曲が沢山ありますが、どの曲もメロディのカッコよさや歌詞の意味など深くて口から出てくる言葉は、只々凄いなぁしかなかったです。
可愛くてスタイルも良くて、人を引き付ける歌唱力がありカッコいい。このような方の歌を今まで聴いてこなかったことに後悔がありましたが、40代で気づけて良かったです。日本の歌謡曲ももっと聴いてみようという気持ちになれました。
最後になりますが、明菜さんはYouTubeでチャンネルを開設されて、Jazzバージョンの「スローモーション」など歌われていましたが、大人の雰囲気たっぷりで素敵な動画でした。

中森明菜
8

『スローモーション』

1982年5月1日に、『スローモーション』のシングルリリースでデビューした中森明菜。同じ年の7月に『少女A』、11月には『セカンドラブ』を続けてリリースしており、どの曲も大ヒットして彼女の代表作となります。

1982年同期のアイドルとして、松本伊代・早見優・小泉今日子・石川秀美・堀ちえみといった可愛い系のアイドルの中では、中森明菜は「アイドル」と呼ばれながらもアイドル路線から少し外れた異才の歌手です。
抜群の歌唱力と、時々世間を騒がせたアイドルらしからぬ言動がありつつも、シッカリとファンの心を掴んで離さない存在です。

歌手と言うよりシンガーと言う表現が似合う中森明菜は、1985年『ミ・アモーレ』でレコード大賞の大賞を受賞し、歌手の頂点に立ちます。
翌年には中森明菜の大ヒット曲であり、振り付けと衣裳にインパクトがあった「DESIRE -情熱-」で、1986年のあらゆる歌謡祭で賞を受賞しています。FNS歌謡祭・日本有線放送大賞上半期・日本レコード大賞などではグランプリや大賞を受賞し、またも頂点にたちました。
デビュー曲『スローモーション』から、わずか4年で少女から大人のシンガーに変貌していく中森明菜。不死鳥の様に彼女があの歌声を披露してくれる日がやってきて欲しい、そう思わせてくれるシンガーです。

中森明菜
10

日本が生んだザ・アイドル

K-POPなどがビルボードの上位に君臨し、1つのジャンルとして君臨しているアイドルという文化。日本では1960年頃からアイドルが誕生し始め、山口百恵、ピンクレディーなどを筆頭に日本でブームになっていきました。
そしてアイドル戦国時代と言われた80年代、2大巨頭といえば日本では松田聖子と中森明菜が出てくると思います。ライバルであり、光と影、陰と陽のように正反対な個性を持ったこの2人の中から今回は中森明菜について紹介させていただきたいと思います。

中森明菜は、1965(昭和40年)7月13日生まれで、1982年5月1日、17歳の時にデビューしました。
50代になってから新事務所を設立し、少しずつ動き始め2023年には『中森明菜イースト・ライヴ インデックス 23 劇場用 4K デジタルリマスター版』が映画館で上映され話題になりました。

そんな彼女の魅力について3つ紹介させていただきます。
1つめはなんといっても彼女ならではの美貌と美声。
中森明菜の魅力を話すうえで、アイドルとしての大事な要素である容姿と歌唱力は外せません。
この2つがデビュー当初からずば抜けていて、年を取るたびに違った姿を見してくれるのが彼女なのです。
デビュー当初は、幼くかわいらしい風貌と甘い歌声でしたが、大人としての魅力が出てくるとそのイメージは一変します。
低いトーンから始まる、見る人を魅了するような歌声と振付、そして衣装。そんな大人っぽい姿になるのはデビューしてから数年という僅かな時間だったことにも驚きを隠せません。
YouTubeでデビュー当時の曲でも聞けるものがあるので、興味がある方は是非見て聞いてみてください。
2つめは作詞・作曲・振付・衣装です。
本人が作詞や作曲、振付をするのは珍しいことではありませんが、それは80年代にはあまりない文化でした。作詞家・作曲家・振付師・衣装作成専用のプロデューサーがいて、アイドル本人は舞台で踊って歌うことが基本だったのです。
その中で中森明菜は自分で振り付けを考え、衣装を作り毎週のように歌謡番組に出ていたのです。
とくに有名なのは「DESIRE- 情熱-」という曲の着物に、黒髪おかっぱのウィッグをつけた姿。これは印象が強く、覚えている方も多いと思います。
そして彼女が世に出してきた名曲の作詞・作曲は80年代を代表する大物ばかりです。デビュー当初はしていませんでしたが、本人が作詞している曲もあります。
60~70年代のアイドルの曲の作詞家といえば、阿久悠や来生えつこ、80年代でいえば細野晴臣、玉置浩二、井上陽水などがいます。
そんな数々の有名な作詞家が作る歌詞を、まるで当事者のように歌う若き日の中森明菜の姿は、圧巻の一言です。
3つめはザ・アイドルと言われていることです。
2000年代以降の世間一般がイメージするアイドルは、複数人でのパートを分けや、大きな振り付けで生歌ではないことを疑われることがあります。また、1人でデビューするアイドルは中々おらず、絶大な人気を誇るほど有名になっている方はあまり見かけません。
しかし彼女はネットも技術も発達していない時代に、あれだけの美貌を維持し、イヤモニもなくマイクも高性能ではないのに、女性1人で武道館やドームを満員にしました。
それがアイドルとしてトップに君臨し続ける理由、そして彼女の魅力なのだと思います。

中森明菜
10

若い世代に聴いてほしい昭和の歌姫

昭和のアイドルといえば、松田聖子や松本伊代の様に清純派な歌を歌っているイメージが強いと思うが、彼女の歌は女の子がちょっぴり背伸びをして歌っているような印象を受けるかっこいい歌ばかり。しかし、かっこいい中に可愛さも入ってキラキラしており、歌唱力、ルックスともに歴史上のアイドルの中でトップではないかと思われるような人です。大きな瞳で可愛らしい顔立ちなのに、歌声は低めでしっかりと芯のある声。歌う姿も10代とは思えない凛とした態度。しかし、圧巻のステージ前後で他の人と話しているシーンなどを見ると、表情はあどけなく10代の女の子そのもので、歌っているときとそうでないときのギャップもまた彼女の大きな魅力のように感じます。
彼女の歌で初めて知ったのは「少女A」でした。かっこいい歌で綺麗なお姉さんが歌っているのかと思いきや、幼い少女が歌っている姿に衝撃を受けました。「TATOO」や「十戒」の様にかっこいい歌もあれば、「難破船」のように静かなバラードでは歌声と圧倒的な表現力により歌に引き込まれます。「サザン・ウィンド」のようにアップテンポな曲も可愛くこなす彼女は、天使だといわれても信じてしまいそうです。
圧倒的な歌声と表現力、そしてルックスを兼ね備えた歌姫のステージは同じものを何度見ても飽きず、移動時の車内で彼女の音楽をかけると、家族も大熱唱します。いつまでもいつまでも新曲を待ち続け、彼女の歌を楽しみにしています。

中森明菜
9

まさに伝説

1982年に「スローモーション」にてデビュー。
当時人気だった歌番組「ザベストテン」「夜のヒットスタジオ」で活躍し、1985年に「ミアモーレ」1986年に「DESIRE」と二年連続レコード大賞入りという大挙を成し遂げた所謂昭和の歌姫中森明菜。
人気曲「少女A」「飾りじゃないのよ涙は」という曲は誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。
デビューして間もない頃は前向きで強い女を思わせる曲が多かった中森ですが次第に別れを連想させる悲しい曲が目立つようになります。
精神的にあまり強くない中森ですが、この頃、交際していたジャニーズの近藤真彦による海外での「松田聖子との密会」が新聞記事の見出しに。
同棲のために貯めていた一億円近いお金をボートレースに無断で使われていたこともあり、これを見た中森は、近藤宅の浴室にて自殺未遂。
これを受けて近藤は結婚を連想させる金屏風を用意し記者会見をするのだが、中森が登場すると雰囲気は一変、謝罪会見だったのだ。
信じていた人に裏切られ、金も持っていかれた中森。1989年の出来事だった。その後彼女が歌う「難破船」という曲では涙を流す一面も。
それをきっかけに芸能界に顔を出すことは減り、今では音沙汰もなく、唯一あるのはファンクラブのメッセージくらいだ。
今では動画サイトなどでしか視聴できない彼女こそ「伝説」であろう。