日本が生んだザ・アイドル
K-POPなどがビルボードの上位に君臨し、1つのジャンルとして君臨しているアイドルという文化。日本では1960年頃からアイドルが誕生し始め、山口百恵、ピンクレディーなどを筆頭に日本でブームになっていきました。
そしてアイドル戦国時代と言われた80年代、2大巨頭といえば日本では松田聖子と中森明菜が出てくると思います。ライバルであり、光と影、陰と陽のように正反対な個性を持ったこの2人の中から今回は中森明菜について紹介させていただきたいと思います。
中森明菜は、1965(昭和40年)7月13日生まれで、1982年5月1日、17歳の時にデビューしました。
50代になってから新事務所を設立し、少しずつ動き始め2023年には『中森明菜イースト・ライヴ インデックス 23 劇場用 4K デジタルリマスター版』が映画館で上映され話題になりました。
そんな彼女の魅力について3つ紹介させていただきます。
1つめはなんといっても彼女ならではの美貌と美声。
中森明菜の魅力を話すうえで、アイドルとしての大事な要素である容姿と歌唱力は外せません。
この2つがデビュー当初からずば抜けていて、年を取るたびに違った姿を見してくれるのが彼女なのです。
デビュー当初は、幼くかわいらしい風貌と甘い歌声でしたが、大人としての魅力が出てくるとそのイメージは一変します。
低いトーンから始まる、見る人を魅了するような歌声と振付、そして衣装。そんな大人っぽい姿になるのはデビューしてから数年という僅かな時間だったことにも驚きを隠せません。
YouTubeでデビュー当時の曲でも聞けるものがあるので、興味がある方は是非見て聞いてみてください。
2つめは作詞・作曲・振付・衣装です。
本人が作詞や作曲、振付をするのは珍しいことではありませんが、それは80年代にはあまりない文化でした。作詞家・作曲家・振付師・衣装作成専用のプロデューサーがいて、アイドル本人は舞台で踊って歌うことが基本だったのです。
その中で中森明菜は自分で振り付けを考え、衣装を作り毎週のように歌謡番組に出ていたのです。
とくに有名なのは「DESIRE- 情熱-」という曲の着物に、黒髪おかっぱのウィッグをつけた姿。これは印象が強く、覚えている方も多いと思います。
そして彼女が世に出してきた名曲の作詞・作曲は80年代を代表する大物ばかりです。デビュー当初はしていませんでしたが、本人が作詞している曲もあります。
60~70年代のアイドルの曲の作詞家といえば、阿久悠や来生えつこ、80年代でいえば細野晴臣、玉置浩二、井上陽水などがいます。
そんな数々の有名な作詞家が作る歌詞を、まるで当事者のように歌う若き日の中森明菜の姿は、圧巻の一言です。
3つめはザ・アイドルと言われていることです。
2000年代以降の世間一般がイメージするアイドルは、複数人でのパートを分けや、大きな振り付けで生歌ではないことを疑われることがあります。また、1人でデビューするアイドルは中々おらず、絶大な人気を誇るほど有名になっている方はあまり見かけません。
しかし彼女はネットも技術も発達していない時代に、あれだけの美貌を維持し、イヤモニもなくマイクも高性能ではないのに、女性1人で武道館やドームを満員にしました。
それがアイドルとしてトップに君臨し続ける理由、そして彼女の魅力なのだと思います。