【伝説】高倉健のヤバい感動エピソードまとめ!

撮影時やプライベートでの高倉健の感動するヤバいエピソードをまとめましたので最後までご覧ください!
高倉健は、日本の俳優、歌手。本名は小田剛一だが晩年は親族に剛一郎と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章した。

撮影でのエピソードがヤバい

高倉健は6年ぶりとなる新作映画「あなたへ」の撮影中、いつも持ち歩いていた台本に、1枚の写真を貼り付けていた。
震災の残骸の中、唇をかみしめて歩く少年。新聞から切り抜いた。
「宝物です」。
被災地を思う高倉さんは「人生は切ない。切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」と語っていた。

『幸福の黄色いハンカチ』の冒頭となる、刑務所から刑期を終え出所した直後の食堂シーン。
女性店員についでもらったグラスに入ったビールを深く味わうように飲み干した後、ラーメンとカツ丼を食べるシーンがある。
その収録で、高倉は「いかにもおいしそうに飲食する」リアリティの高い演技を見せ、1テイクで山田洋次からOKが出た。
あまりにも見事だったため、山田が問い尋ねると、「この撮影の為に2日間何も食べませんでした」と言葉少なに語り、唖然とさせた。

真冬の福井へロケに行った際、高倉は休みの日だったが、ロケ現場へ激励に現れた。
厳冬下であったので、出演者・スタッフは焚火にあたっていたが、高倉は焚火にあたろうとしない。
スタッフが「どうぞ焚火へ」と勧めたところ、高倉は「自分はオフで勝手に来た身なので、自分が焚火にあたると、皆さんに迷惑がかかりますので」と答えた。
このため、スタッフだけでなく、共演者も誰一人申し訳なくて、焚火にあたれなかったと発言している。
やがて「頼むからあたってください。健さんがあたらないと僕達もあたれないんです」と泣きつかれ、「じゃあ、あたらせていただきます」となり、やっと皆で焚火にあたることができた。

軍隊が訓練中に八甲田山で遭難してしまう映画「八甲田山」でのエピソード。
吹雪の中で立ち往生してしまうシーン。現場に行くのに役者は歩いて行かないといけない。
しかし歩けば当然雪に足跡がつく。
立ち往生しているのに足跡がついているのはおかしいと、雪山で4時間、足跡が消えるのを待ったという。

高倉は撮影の前に必ず現場を自分の目で確かめにくる。
ある時、その時は撮影前日で、強い雨が降っていた。これだけ強い雨だから、もしかしたらチェックに来られないのではないかとスタッフたちも思っていた。
冬が近づいていてかなりの寒さだったため、スタッフは全員、緊張しながら高倉を待っていた。
約束の時刻ピッタリに車が止まり、ドアを開ける高倉が見えた。スタッフが待っている現場まで4~50mはあったが、高倉は傘も差さずに、のまま走って向かって来た。
一刻も早く現場をこの目で見たい、少しでも早くスタッフを確認したいとの思いだったのだろう。運転手や代理店の人間が、傘を持って後ろから高倉を追いかける。
一瞬のうちにずぶ濡れになった高倉を見て、スタッフは全員、差していた傘をその場に投げ捨てたという。

「ブラック・レイン」(89年、リドリー・スコット監督)に出た故・松田優作の言葉。
「優作が『高倉健さんって、ありがたいよね』
としみじみ言うんですよ。
『健さんが道をつけてくれたから、日本人の俳優というだけで尊敬される』って。

共演したマイケル・ダグラスは大阪京橋の野外シーンロケで、日本人のファンが高倉に憧れて接する姿を目撃した。
その様子をダグラスは「アメリカではブルース・スプリングスティーンの時だけだよ。あんなに尊敬される姿を見られるのは!」と驚いていた。

高倉のファンである映画監督・張芸謀(チャン・イーモウ)は、『単騎、千里を走る。』の撮影の際、高倉が休憩の時に椅子に一切座らず、他のスタッフに遠慮して立ち続けていたことや、現地採用の中国人エキストラ俳優にまで丁寧に挨拶していたのを見て「こんな素晴らしい俳優は中国にはいない」と発言している。

『夜叉』の撮影初日が終わり、役者・スタッフの泊まる旅館へ到着し、食堂へ行くと、高倉と監督の前だけ、皆とは違った豪華な料理が並んでいた。これを見た高倉は「自分も皆さんと同じ料理にしてください」と遠慮していた。

武田鉄矢は「幸福の黄色いハンカチデジタルリマスター」の公開記念試写会にて撮影当時を振り返り、
「僕は素人俳優だから、監督にいつも怒られていましてね。
健さんが『お前、大変だったな』となぐさめてくれるんですよ。
それで『オレばっかりいじめるんですよ』と愚痴をこぼしたら、
『伸びないやつはしごかねえよ』と言ってくれて……。宿まで泣きながら帰りましたよ」と話した。

武田鉄矢が話していた、映画のデビュー作・幸福の黄色いハンカチのエピソード。
ラストの黄色いハンカチがたくさん干しているシーンで、鉄矢は泣く芝居をしないといけなかった。しかしそのシーンに一週間撮影をかけていて、毎日ハンカチを見ているうちにハンカチが安全第一の旗に見えてきて、泣く演技をするのに苦労した。
そのシーンが終わったら撮影も終わるため、東京に帰ることになっていたが、「よーい」ってカチンコが上がった瞬間、高倉が小さい声で、
「長い間世話になったな。東京に帰っても体元気づけて、しっかり生活するんだぞ。楽しかったぜ。」
って言ったため、武田は大号泣。
涙ぼろぼろ、おいおい泣いたそう。

高倉健が6年ぶりに主演する映画「あなたへ」の撮影で、高倉は27年ぶりの共演となるビートたけしと息の合ったところを披露した。
2人は合間を縫って取材に応じ、たけしがJR高山駅に2日深夜に着いた時、高倉が1人で駅まで出迎えたことが明かされると、たけしは「顔を伏せた人が近づいてきて、地元のヤクザかと思ったら健さんでした」などとサプライズ歓迎を受けたことを爆笑エピソードを交えて明らかにした。

『居酒屋兆治』。ロケは函館の市場のシーンから始まった。
ドキドキしながら前日の夜、函館のホテルに入ると、部屋に高倉からの花が届いていた。高倉の声が聞こえるようで、しみじみうれしかったことを今も覚えている。

志村が映画撮影のために北海道へ行く前日、高倉は関係者から志村の携帯番号を聞き出し、メッセージを入れたそう。
『高倉です。明日よろしくお願いします。寒いですので気をつけて下さい』
志村は本人からの録音を聞いて感激したという。

黒澤は詳細な絵コンテを描くことで有名だが、
「乱」の絵コンテに描かれた武者姿はまぎれもなく高倉だった。
黒澤さんは「いままでに見たことが無い高倉健を見せてあげますよ」と言ったそうだ。
条件が会わなかったようでこの話は成立しなかったが、後日、「乱」のプロデューサーになった原正人にこの絵コンテの話をしたら、
原は、「健さんがその話を聞いたら喜んだろうになぁ。彼は本当は出たがっていたんだよ」
と言っていたそう。

録音師の証言
撮影開始前、高倉に、「シーンによっては、体に小型マイクをつけることがあります。」と説明をしに行ったら、
「問題ないですよ」と言って、自分の服を広げて見せてくれた。すると、すでに8つのマイク用ポケットが縫い付けてあり、どれも音がしっかり拾えるような角度で付けてあって、驚きすぎて倒れそうになった。
「これこそ、本当のスターだ、プロだ」と思ったという。

中国側の多くの配役に素人の民間人を起用し、しかも本名を役名に使うという手法は新鮮に映った。
高倉(彼の役名は高田)のガイドを務める役者の本業はやはり観光ガイド。
あるシーンでは、緊張したガイドの十数回に及ぶNGにも黙って対応し、最後は頬をさすったり肩を揉んだりしてリラックスさせそのシーンを撮り終えた。

東映に出演した東宝の池部良は
高倉健が食べているところを見たヤツは「撮影所広しといえども誰もいないんですよ」と聞かされたという。

高倉がタバコのLarkのCMをやってた時のことだ。
以前はヘビースモーカーだった高倉だったが当時は一切吸っておらず
あくまで仕事として割り切って受けた。
…にも関わらず、高倉はCM期間中いつもワイシャツの胸ポケットにLarkを入れ、薄らと見えるようにしていた。

独立以後も現在まで映画スターであり続けている一方で、高倉のテレビドラマへの出演は数えるほどしかない。
その出演理由も「故郷にいる母親にテレビで毎週自分の顔を見て安心して欲しいから」というものである。

慕う人とのエピソードがヤバい

藤純子の実父、俊藤浩滋は、東映やくざ映画の大プロデューサー。
鶴田浩二や若山富三郎を育て、もちろん高倉も彼に育ててもらった。
しかし、やくざ映画の斜陽と共に、誤解が生じ、疎遠となってしまう。
以下、俊藤の著作より、
“ そんなことを思うていたら、突然、年末に彼が私の家にやってきた。
「 ご無沙汰しています。」
健ちゃんは玄関に突っ立って、そう言うたきりボロボロ涙を流して、言葉が出ない。
「 まあ、上がれよ。」と言うと、
「 いやあ…」と、ただ涙ながらに立っている。
「 今日は何も言えませんから、またあらためて来ます。」
それで帰ってしまった。 ”

高倉健の成城の自宅が火事になったとき、著者は横尾忠則と2人で現場に駆けつけた。
「横尾さんはすぐ、タクシーを拾い、高倉邸にかけつけた。ぼくも素早く同乗した。(中略)野次馬を阻止する非常線も、横尾さんの新種の映画スターのようなルックスとファッションの威力でなんなく突破した。
健サンは、門のあたりにいた。妻の江利チエミの姿はなかった。横尾さんが健サンに近づいていった。すると健サンはくるりと振り返り、『アッ、横尾さん、おいそがしいのに、こんな所にワザワザ来ていただいて恐縮です。さあ、お茶でも……』といいながら、自ら魔法瓶のコーヒーをマグカップに注ぎ、横尾さんに手渡した。」

高倉健、すごい人である。
そして、自宅が炎上する中、それを眺めながら高倉健と奇抜な服装の横尾忠則がコーヒーを飲んでいたという絵もすごい。

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