【伝説】高倉健のヤバい感動エピソードまとめ!
撮影時やプライベートでの高倉健の感動するヤバいエピソードをまとめましたので最後までご覧ください!
高倉健は、日本の俳優、歌手。本名は小田剛一だが晩年は親族に剛一郎と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章した。
岡村とは第23回日本アカデミー賞で同席し、長年のファンであることを伝えた。岡村は「将来は高倉健さんのような俳優になりたい」というスピーチで会場に笑いが巻き起こる中、高倉は立ち上がって拍手を送った。岡村が病気で療養中の際にも電話や手紙でメッセージを送っている。
芥川賞作家・丸山健二。
健さんの写真集に、「 それが高倉健という男では ないか 」という、一文を寄せる。
それを読み、元気づけられた高倉が礼を述べる。
また、それに感激した丸山は、主演・高倉 健として、
小説 「鉛のバラ」を、出筆・発表。
小林稔侍から聞いたとの事で秋元康が紹介。
高倉がヤクザ映画で売れている頃、稔侍さんは駆け出しで高倉の脇役。
稔侍の引越しが決まった時に高倉が祝儀(当時のお金で200万円~300万円)を渡そうとしたら、稔侍は固辞したそう。
そしすると、引越しの当日高倉は作業着を着て引越しの手伝いに現れたという話。
千葉真一は高倉を “ 一生あこがれの存在で永遠の師匠 ” と公言している。
「(千葉が)デビューして間もない頃、健さんが食事によく連れて行ってくれたり、取材向きの洋服がない時に健さんからスーツをもらった」「役者として少し売れてきた後でも(千葉自身の)撮影がない時には、健さんの付き人をしていた」「(千葉が)離婚した時に健さんから手紙で励まされ、それが心の支えになった」「(千葉が)東映の労働組合委員長と撮影進行で衝突して、映画界を辞めようと思った時に、健さんが思いとどまらせ、一緒に謝ってくれた」など、「健さんは厳しい人だけど、ちゃんと愛がある。そばにいて、俳優としても人間としても、大切なことをいっぱい教わった」と語っている。
若山が下戸であることを知らない高倉健が、日頃のお礼の意味で撮影前の若山に日本酒を一瓶贈った。
若山は困りながらも高倉の思いに応えようと、快く受け取ってそのまま高倉の眼前でラッパ飲みして見せた。
当然若山はそのまま倒れ、当日の撮影は中止。
高倉健はひたすら平身低頭していたという。
サプライズがヤバい
気持ちの通じ合った共演者に高倉はブライトリング、ロレックス、ヴァシュロン・コンスタンタンなどの高級腕時計に、「高倉健」の名前を彫ったモノをプレゼントする習慣があり、千葉真一・田中邦衛・渡瀬恒彦・板東英二などが貰っている。
田中も高倉をこよなく尊敬し、今も出かける際には、その時計を身に付けている
『ブラックレイン』で共演した松田優作にもロレックス「GMTマスター」を渡すつもりだったが、松田の病状を知らず、旅先で訃報を聞き、帰国後に松田邸まで出向き、夫人の松田美由紀に手渡した
高倉が撮影を終えて帰国したあと、撮影場所だった雲南省麗江が水害に見舞われた際、高倉はどこからその情報を聞きつけて、村にたくさんのプレゼントを送った。
そのプレゼント中に、とくに、向日葵の種が入っていたことに、村長が深く感動したとのこと。
高倉さんがJRA(日本中央競馬会)のテレビCMに出た時のことだ。
牧場を舞台にしたドラマ風CMの撮影に、北海道の小さな町の人たちが協力してくれた。
ある日、町に電話が入る。お世話になったお礼に「町の行事に参加したい。ただし、内証にしてください」
当日、会場に現れた高倉さんは、連れてきた宇崎竜童さん(だったと思う)のギターで何曲か歌った、と後日報じた記事には、町の人たちを感激させたとも書かれていた。
郵便物が届いた。開けてみると木の箱に入った上品なお線香の束と、丁寧だが簡潔な手紙が入っていた。
高倉からだった。
母によると父と高倉さんは決して親しい間柄ではなかったそうだ。映画で御一緒したこともないはずだという。想像するに、撮影所などで顔を合わせた際に挨拶を交わす程度のおつき合いだったに違いない。
そんな間柄を思い気遣ってくださったのだろう。通夜告別式の席に花を送るではなく、弔電を打つでもなく、葬儀が終わりほっとして家族にやっと哀しみが訪れる時を考えて、それも相手が決して不要とは思わないお線香を送ってくださる──。
何という優しさ、人への思いやりだろうと思った。多くの人に愛されるスタアとは、本当に素晴らしい役者さんとはこういう人のことだと思った。
母と僕は頂いたお線香に火をつけ、父の遺影に静かに手を合わせた。
ノンフィクション作家の、沢木耕太郎。
彼は、ボクシングのルポ「 一瞬の夏 」を、
カシアス内藤を、主題にして、書いてました。
「 俺より、君が観たほうが、イイ。」
健さんから、ロスで行なわれる、ヘビー級タイトルマッチ、
ラリーホームズ vs モハメッド・アリ戦の、
特等席一枚を、渡される。
沢木は、お礼として、健さんだけに、そのルポを出筆・報告。
http://www.youtube.com/watch?v=RQgOw7SGJ4U&feature=player_detailpage
20年以上経って、
「 俺だけで、仕舞っておくルポじゃないから、発表しな。」
スポーツ雑誌・ナンバーに、掲載。
健さんが、親しい友人に、高級時計を贈ることは、有名。
いつも、羨ましく思っていた、運転手の石倉三郎は、
ある日、「 欲しいのか?」 「 ハイ! 」
健さんは、自分の腕にしていた時計を、その場で、石倉にあげたそうです。
石倉三郎:高倉健さんに「俳優になりたいのか?」みたいな声をかけてもらい東映エキストラをやらせてもらうも、元々喧嘩っぱやぃ彼は撮影現場で暴れ喧嘩し、それから仕事のない生活をするも、ある日寝てたら電話が鳴り、「高倉ですが…」との声に、まさか高倉健さんからだと思うわずに、高倉健さんに対し「何言ってんだ、バカヤロー!」と電話口で怒鳴りつける。
本人だと分かり…慌てて「今から行く…」という高倉健さんに、慌てて布団をたたみ、待ってると、雨の中…ジープでアパートに健さんが現れ、「今日、誕生日だろ?」と、着てた革ジャンを彼に渡し…そのまま健さんは立ち去った
ある後輩に、お祝いに何が欲しいか聞いたところ、カッターシャツが、欲しいとのこと。
米国・ロサンゼルスの、ブルックス・ブラザーズに、本人が行き、そこで購入して、日本に戻りプレゼントした。
1990年(平成2年)のロッテの村田兆治投手の引退試合中継を見て感銘を受け、それまで面識も無かった村田の住所を関係者に一通り尋ねて調べ、さらに留守中だった村田の自宅前に、花束を置いて帰った
石倉三郎が結婚したとき、
自宅に突然、高倉健がジープに乗ってやってきて、
お祝いだといって、腕時計かなんか貰ったらしい。
そのジープの運転手は、小林念待だったそうだ。
いろいろヤバい
主演映画「あなたへ」のロケ地として協力を受けた富山県・富山刑務所を表敬訪問した。今作で演じた倉島英二は刑務所の指導技官という役どころで、昨年9月に5日間にわたり撮影を行った。高倉の感謝の気持ちを伝えたいという思いから、再訪が実現。同刑務所内の講堂で受刑者約350人と対じし「1日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください。心から祈っています」と語りかけると、受刑者たちから盛大な拍手が沸き起こった。
中国でも年配層に知名度、人気が高い。これは、政治闘争に溢れた文化大革命後、外国映画に飢えていた中、『君よ憤怒の河を渉れ』(佐藤純彌監督)が中国に輸入され、高い娯楽性と華やかな日本の風景などで非常に人気を博したためである。中国人の半分が観たともいわれている。ちなみに、この映画の宣伝のために田中邦衛と訪中した時、宿泊先のホテルには、高倉を一目見たいというファンが大勢詰め掛けた。
ある時、とある歌手が高倉健と共にスポンサーの接待を行った時のこと。
行ったクラブでマネージャーが歌を歌って欲しいと要望され、歌手は困ったという。
横にいた高倉が困っている歌手の姿を見て
「絶対に歌ってはいけませんよ、貴女はプロなんですから」
そう囁くと、しつこく要望するマネージャーに
「僕は歌手じゃないから、僕が歌いましょう」
そう助け舟を出してくれた。マネージャーさん、絶句。結局引き下がってくれた。
映画『居酒屋兆冶』で共演した女優の大原麗子さんが09年に急死した際も、
葬儀には遺族に迷惑がかかると出席しなかった。
その後、同年10月に健さん一人で、大原さんのお墓をお参りしていたことが、
大原さんの遺族の話で明らかになった。
1959年(昭和34年)に江利チエミと結婚したが、1971年(昭和46年)に離婚。その後は独身を通している。江利の命日である2月13日には、毎年早朝にひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けている。離婚の原因も不仲ではなく、江利の異父姉によるふたりへの誹謗中傷と夫婦の財産横領が原因といわれている
知り合いの整備士から聞いた話。
彼は暫く太秦映画村近くのガソリンスタンドでアルバイトしていた。場所柄、ときどき俳優がやって来る。といっても一人で来るのはまれで、殆んどは取り巻き連中に囲まれてやってる。そんなだから直接話をする事はないし、話す事があったとしても、役ではいい人を演じてるのに「なんやこいつは」と思う俳優が結構いるらしい。
そんな中で「さすがだな」と思った人の話。
ある日の事「すみません洗車させて下さい」と高倉健が一人でジープに乗ってやって来た。
スタンドの事務所の中では「高倉健だ、高倉健だ」と大騒ぎをしているのに、当の本人はそんな事にお構いなく黙々と洗車をしだした。少し寒い日だったので気の毒に思った知人が「手伝いましょうか?」と言うと、スクリーンの中のあの姿勢と話し方で「いえ結構です、一人でやります。」といって、また黙々と洗車をしだしたという。
スクリーンの中の健さんは、私生活でも高倉健であった。
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