ゲームボーイ開発秘話 横井軍平、人生最大の失敗
順調に見えたゲームボーイの開発ですが、思わぬところに落とし穴がありました。横井軍平は、人生最大の危機に直面します。
「液晶が見えない!!」人生最大の失敗
自社で液晶を生産できない任天堂は、ゲーム&ウオッチ時代から共同開発をしているシャープに、ゲームボーイの液晶製造を一任していました。ある日横井氏はシャープがTN液晶(ゲーム&ウオッチと同じ方式のもの)で作った試作機を見て、即「OK」を出します。しかしこの判断が後に彼を大きく苦しめるきっかけとなってしまいます。
山内社長がその試作機を手に取り、真正面に構えてこう言いました。「なんだこれ。見えへんやんか。」TN液晶は、斜め下5度から見ると見えやすくなるのが特徴で、電卓やゲーム&ウォッチなどの「下からのぞき込む」タイプの小型のハードには最適でした。しかしそれよりサイズの大きいゲームボーイは、ユーザーが自然と正面かやや上から見る格好になり、もともと視野角が狭い液晶なので、とても見え辛くなってしまうのです。
「どうすんや、これ。こんな見えへんの売れへんぞ。もう、売るのやめや。」社長はそう言いましたが、なんとシャープは横井氏のOKを受けて、ゲームボーイ専用の液晶工場を40億円を投じ、既に建設を始めていたのです。彼は絶望の淵に立たされました。食事も喉を通らず、一時期は真剣に自殺することを考えたほどでした。
思わぬはまり役 STN液晶
追い込まれた横井氏は、ダメでもともとのつもりで、急きょTN液晶からSTN液晶へと切り替えることをシャープに要請します。STN液晶の特徴は、表示スピードが遅くアクションゲーム等では残像ができるなどの欠点がありましたが、明暗のコントラストがはっきりと表示されるので正面からでもはっきり見え、視認性の問題は解決されました。また日光の元でも見えやすかったので、携帯ゲーム機との組み合わせはうってつけと言えました。
思いもよらない幸運に救われた横井氏は危機を乗り越え、無事にゲームボーイを発売できることになりました。
そして全世界で大ヒットへ
1989年から発売されたゲームボーイシリーズは、2000年に全世界で1億台以上もの売り上げを記録しました。世界中で最も売れたソフトは「テトリス」の424万本で、このゲームはロシアの宇宙飛行士であるアレクサンドル・セレブロフが、1993年にソユーズ内でプレイしていたことでも有名です。ゲームボーイは「宇宙空間でプレイされた初のハード」になりました。
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