何度読んでも泣ける…涙腺崩壊間違いなしの感動話まとめ
世界には、「なんて素晴らしい話なんだろう…」と思わずにはいられないような素敵なエピソードがたくさんあります。人の温かさだったり、親子間の絆の深さを感じられるような話を聞くと、つい涙腺が緩んできてしまいますよね。この記事では、そんな感動話についていくつかまとめました。どこかで聞いたことのあるような有名なエピソードも混じっているかもしれません。
俺の母親は俺が十二歳の時に死んだ。
ただの風邪で入院してから一週間後に、死んだ。
親父は俺の二十歳の誕生日の一ヶ月後に死んだ。
俺の二十歳の誕生日に入院中の親父から手紙を渡された。
黄ばんだ封筒を開けるとセロハンテープの後がくっきり写る。
中を読むとお袋からの手紙だった。
『パパになったたけしへ』
内容は俺が生まれた時のことから中学の入学した頃までのことが書いてあった。
生まれた子が俺で良かったって。
短い間だったけど楽しかったって。
感謝してるって。
でも、ゴメンって。
だからあなたの子供にはあなたと同じ思いはさせないで頂戴って。
泣きながら読んでる俺に親父が謝った。
すまんなって。
でも何を謝ることがあるのか。
お袋が死んでから親父は忙しい中俺のために働いてくれた。
遊びにも連れてってくれた。
反抗期の息子に何を言われても黙ってた。
俺は知ってた。
お袋が死んだ直後親父の手に出来た沢山の包丁傷の跡。
あれほど好きだったゴルフをやめたこと。
いつの間にかタバコもやめてたな。
こっちこそゴメン。
ダメな息子でゴメン。
俺は普通の人より早く両親を亡くしてるだろうけど、他の誰にも負けないくらい幸せだ。
家族3人で過ごした思い出は何よりの宝物。
父さん、母さん、ありがと、ほんとにありがと。
「父の面影」
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ…
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
「宝物ボックス」
俺が、中2のときだった。
けっこう前から幼馴染で恋心も抱いてたKって言う女子がいた。
でもKは俺の数倍かっこいい男子と付き合っていた。
俺がかなう相手でもなかった。
彼女自身がそれを伝えてきたので、むちゃくちゃ複雑な気持ちだった。
それからか、時々恋愛経験のない俺にいろいろ悩みを相談してきたりした。
俺は、正直話聞くだけで嫌だったんだが…
だけど、ある日
そこらにある人気のない公園でなんとなくペンダントをしてKの相談に乗っていた。
Kは彼氏と関係がちょっと危ういやらなんやら、と言ってた。
そこで、話が一段落したらKが聞いてきた。
K「…そういえば、そのペンダント何~?」
俺「ただの安物。」
実際は、けっこう値のはるものだった。
当時の宝物のひとつだったし
K「へぇ~。」
Kはそういったら、さりげなく後ろに回りこんでささっと俺のペンダントをとった。
で、一言。
K「仲直りってことで、これ彼氏にあげてくるね♪」
なに言ってんだこいつ。
他人(男)のお古を普通彼氏に渡すか?
俺「おい、ちょっとま…」
マジで行った。
K「大丈夫!大切にしてくれるよw」
公園の出口で少し手を振って、消えていった。
その後のことは、後日相談を受けたときに聞いてみたが話をそらされた。
そしてその2ヶ月ほどが過ぎたとき
Kは車にひかれて死んでしまった。
かなり急なことだったから、その事を聞いた時は、全く動けなかった。
葬式のときも、まだ素直に現実を受け止められなかった。
家に帰った後
どうしても抑えきれず、Kのお母さんにKの部屋を見せてほしいと頼んだ。
幼馴染でよく遊んでいたからかKのお母さんは、多少迷いながらも頷いてくれた。
Kの部屋に入ってみたら、どこか懐かしい香りがした。
思い出にふけりなら、部屋を見ていると
タンスの上に箱があった。
「宝物ボックス」と汚い字で書かれていた。
恐らく、小さいころからずっと使っていたんだろう。
そっと開けてみると
中には、ちっちゃな消しゴムやら鉛筆やら友達とピースしている写真やらが、沢山入っていた。
その中に、俺のあの時のペンダントがあった。
思わずドキッときた。
えっ…?
よく見てみると、さっきの消しゴムの一部や鉛筆の端っこには、俺の名前がうっすらと残されていた。
もしかして…
そう思った瞬間、急に涙があふれてきた。
止められやしなかった。
「俺、しあわせになりてぇ!」
僕たちは、元々親がおらず養護施設で育ちました。
3つ上の兄は中学を出るとすぐに鳶の住み込みで見習いになってその給料はすべて貯金してました。
そのお金で僕は私立の高校、そしてさほど一流でもありませんが大学へも行けました。
小さな会社ですが就職も決まり、兄への感謝を込めて温泉へ連れて行きました。
ビールで上機嫌の兄に、
「あんちゃんありがとう、あんちゃんも遊びたかっただろう?」
と言うと
「お前憶えてねえんか?『あんちゃん、俺、しあわせになりてえ』って
小6のとき言ったろ?それで決めたんだ、なーんも辛くなかったけど
お前を『しあわせ』にしてやるのが俺の夢だったかんな」
自分ではそんなこと言ったなんて憶えてません。
思春期には、金髪で人相も悪く、クチャクチャと 音をたてて食事する兄を恥ずかしく思い、そんな兄に学校へ行かせてもらうことへの憤りすら感じてました。
その晩は23歳と26歳の兄弟が布団で抱き合って眠りました。
8年前のことですが、ネタじゃないんですよ
本当の話です。
「ばあちゃんのスイカ」
昨年の夏に高知へ行った。
夏真っ盛りで走ってても頭がクラクラするくらいの炎天下。
R439の全線走破目指して2日目の午後、中村市に近いところまで辿り着いた。
辺りにはなにもない川べりの道端にビーチパラソル立てて、
一人の婆ちゃんがスイカとトマト売ってた。
オレは水を張った樽の中に浮かんでるスイカとトマトに魅かれてバイクを停め、
「おばあちゃんココで食べてもいいか?」と聞いた。
婆ちゃん笑って椅子を出してくれ、小さなスイカを四つに切ってくれた。
ほんのりと冷えていて、喉が渇いていたオレは二切れを一気に食った。
「トマトも食うか?」
そう薦められて歪な形の、それでも真っ赤に熟れたトマトを一つ頬張った。
「なあツトム、」と婆ちゃんがオレに話しかけた。
「今日は学校休みなんか?」
オレは食いかけのトマトを握り締めたまま婆ちゃんの顔を見た。
ビーチパラソルの青い色の下で、婆ちゃんは優しそうに笑ってた。
「そいともこれからか? 学校は」
婆ちゃんがボケているのだと気づくまでに少し時間が必要だった。
「そうだよ、今日はこれから学校なんだよ」
そう答えると婆ちゃんは何度も何度も肯いて、
「ツトムはちいこい頃からよく勉強しちょったなぁ」と笑った。
「このオートバイはツトムんか?」
「気いつけんといかんぜよ、バアちゃん泣かさんちくれよ」
「今年は台風がよう来よっと西瓜みんな割れてしもうた」
婆ちゃんはオレの返事などお構いなしに独りで話し続けた。
高くて真っ青な空に、夏雲が飛んでいた。
青草の匂いのする風が、オレと婆ちゃんの座っているパラソルを時々揺らした。
なんにも音のしない本物の夏が、ただキラキラ輝いてた。
トマトの濃厚な味を感じながらツトムって誰だろうとオレは思った。
婆ちゃんの孫だろうか? それとも息子だろうか?
このトマトを食い終わるまでの間だけ、オレはツトムになった。
今年もまた夏がやってくる。
高知の西の川べりに、またあの婆ちゃんはスイカを売るのだろうか?
「14年前」
もう14年も昔の話なので、今は普通に暮しているけど、母が癌で死んだ。
しかも子供だった私達姉妹は最後まで癌だった事は知らされずに死んだ。
本当に素晴らしい人だった。たぶん一生私の中で尊敬する人だし、目指すべき人でもある。
抗がん剤を投与して髪が無くなりレースのヘアーキャップをかぶって病室で笑ってる母を
今でも思い出す。私の中学の入学式の日に無理やり病室から出てきてかつらで入学式に出てくれた母。
制服姿の私を見て涙する母に大げさだなーと笑っていた私。
後から聞けば、前日父から母に癌を告知されたらしい…
東京の病院に移り、北海道の私達の家に無言で帰宅した母に驚きでしばらく涙も出なかった。
その後、癌だと言う事を教えてくれなかった父に激しく怒りをぶつけ、口も聞かなかった。
でも、父は父で1人で辛い思いをして来た事に気づいたのは母が父に宛てた手紙を見つけた時だった。
その手紙の日付の夜、父は真夜中まで帰って来ず目を真っ赤にして次の日の朝笑っていた事を思い出した。
この前飛行機に乗って、前列の方に遺体があるのに気づき、その後ろで黙って座っている
男性を見たとき、父も同じように帰ってきたんだなと思い涙が出た。
昨日から色々自分の事で悩んでいて、死んでしまいたいと思っていました。
でも、このスレッドを見て死んだ母の事を思い出し、又、色々な方々の体験を読ませて貰って
自分の愚かさに気づきました。
「震災と向き合う12歳の日記」
「お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました」。巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか。岩手県山田町の町立大沢小学校を3月に卒業した箱石佑太君(12)が毎日小学生新聞に寄せた体験日記には震災と向き合う姿が率直につづられていた。
◇3月11日
卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。
◇3月18日
津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。
◇3月23日
卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。
◇3月25日
親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。
ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。
◇3月26~27日
見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。
◇3月28日
きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。
◇4月7日
きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。
* *
箱石君は25日、155人の仲間と一緒に町立山田中学校に入学した。日記は、大沢小の子供たちが復興に立ち向かう様子を紹介する「大沢からの報告」として毎日小学生新聞に11日に掲載。何回も読み、涙が止まりません。皆様が少しずつでも前に進める日がくることを願っております。
「白いヒール」
私は昨日小学4年生の子から手紙で相談を受けました
『僕のお母さんに元気になってほしくてプレゼントをあげたいんだけど、僕のお小遣いは329円しかありません。この値段で買えて女の子が喜ぶ物は何ですか?』
という内容でした。
その子の母親はガンで長く生きられないのです。
男の子はその事実は知りません。
私は今日デパートに男の子を連れていきました。
「お母さんダイエットしてるのかな?ご飯全然食べないし無理して笑ってるみたいなんだ。ダイエットのやつ買えるかな」
「靴かえるかな?お母さんと水族館いきたいな」
「手紙かぁ、恥ずかしいよ!でも書いてみるね。うん、折り鶴に書いてみる」
「お花買えるかな?でも枯れたら悲しいから、サボテンにしようかな?」
「お母さんの手冷たかったから手袋買えるかな?でも、冬しか使えないよね」
「お母さん、キャビア食べたいって言ってた!買えるかな?」
その子の母を思う言葉一つ一つに涙が出そうになりました。
「僕、靴にする!お母さんといろんな場所に行きたいんだ!」
靴なんてとても300円程度では買えません
私はその子がトイレに行ってる間に靴売場に行き、事情を話し、300円で買えるようにお願いしました。
もちろん後から足りない分、私が払うつもりでした。
店員は快く、了解してくれました。
その子を連れて靴売場に行くと、300円均一と紙に書いてありました。急いで作ったのか雑でしたが胸が熱くなりました。
「これにする!」選んだのは白いヒールの靴でした。後で払おうとしたら「300円ですから、ちょうどです」と笑顔で言われました。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
「早くお母さんの喜ぶ顔が見たい」
と言われ、さっそく病院に向かうことになりました
お母さんプレゼント!!大きな声で笑顔で病室のドアを開けました。
驚いて中身を見、母親は泣きだしました。
『ありがとう。でも、ごめんね、お母さん、もう靴を履いて出かけられないかもしれないの。死んじゃうかもしれないの』
男の子は驚いた顔をし、うつむきこう言いました
「一生懸命生きた人間は星になるんだ!一生懸命輝いた星は人間に生まれ変わるんだよ。空を見ればお母さんがいるから寂しくないよ!でも、一生懸命に生きないとダメだから諦めないで頑張ろう!
僕、お母さんと水族館いきたいんた!ずーと、はけるように大きいの買ったよ」
母親は涙をふき笑顔で男の子を抱き締めました。
もし、病気などで諦めかけてる方、男の子の言葉を思い出してください。諦めず頑張る事、まだ幼い子が懸命に大切だと訴えています。
生きることを諦めないで。
「ガイドブック」
東京で単身赴任してたとき、連休とかにはいつも嫁が来て、家のことなどしてくれていた。
母にも、たまには東京来いよと言ってたんだけど、人混みが苦手だと決して来なかった。
そんな母が脳梗塞で突然死んじゃって、呆然としたまま遺品を整理していたら、東京のガイドブックが出てきた。
皇居とか、浅草とかベタなところに一杯赤鉛筆で線引いてあって、何度も読み返したらしくボロボロになってた。
親父に聞いたら、行きたかったんだけど嫁の方ががいいだろうって我慢してたんだそうだ。
自分は肉が嫌いなくせに、俺の好きそうな焼肉屋とかにも一杯線引いてあって、俺と一緒に回るのを夢見てたみたい。
俺は、お義理で誘っただけなんだけど、誘われた後は何回も何回も息子が来いと言ってくれたと喜んでいたらしい。
一緒に行きたかった場所には、俺の名前が書いてあって、それがたくさんたくさん書いてあって…
死に顔を見たときよりも、葬式の時よりもすっごく泣いた。
田舎に戻った今でも、生きてる間に呼ばなかったこと後悔している。
「白猫のミーコ」
私が生まれる前から
私の家には猫がいた
白くて、ふわふわで、温かかった
私はミーコが大好きだった
ミーコもそんな私に懐いてくれた
父が入院し、母も体調が悪くなったときも
中学入試をさせたがった母が、
何一つできない私に怒り、家の外に追い出され
一人で泣いていたときも
両親が働きに出て寂しいときも
ミーコはいつもそっと傍に居てくれた
ただ隣に座っていてくれるだけで力をもらえた
私は無事母の言っていた私立中学に合格した。
しかし
中二の冬休みに母は言った。
「中学校を辞めて、公立の方に行きなさい。」
そんなの嫌だった
だけど
母は私にもっと上の高校に言って欲しいと言った。
立派な人間になってほしいと言った。
気持ちは嬉しかった。
私を思ってくれてた。
私の頭にはこの母の説得を押しつぶせることができる
そんな言葉を思いつくことが出来なかった。
毎晩泣いていた。
新しい学校でいじめもうけた。
近所の大人たちは陰口をいい、話してくれなかった。
母を恨んでしまう自分が情けなかった。
先が見えなくて不安だった。
そんな頼りない私が心配だったのか、
ミーコは二十歳になった。
人間で言うと120歳だと聞いた。
中三になりある模試で学校で一位になった
母も褒めてくれた。
私は久しぶりの満面の笑みでミーコに報告した。
ミーコの声が少し高く、明るく感じた。
私が1位だったことが広まると、
いじめはだんだん少なくなっていった。
ミーコはだんだん弱っていった。
そしてある日
学校から帰ると
小屋の中で死んでいた。
冷たかった…
はじめは全然涙が出てこなかった。
ミーコが居なくなるという実感がわかなかった。
ミーコの墓を作っている間
私は何も話さなかった
家に帰って、落ち着くと急に実感がわいてきた
涙が溢れ出した
私はまたミーコの墓まで走って行き、言った
「ミーコ、今までありがとう。」
そう言って涙でぐちゃぐちゃな顔で笑った。
もう私は大丈夫だよ。
しっかり笑って生きていくよ。
だから…安心してね。
天国で会えたら、ミーコと話がしたいな…
今度は私が聞いてあげる。
私も楽しい話が出来るように今から頑張るね。
『ミーコ、本当に大好きだよ。』
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目次 - Contents
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- 【ゲームセンターで対戦する高校生と小学生】
- 【母が描いた絵のアルバム】
- 【海軍にいた新郎のおじいさんの挨拶】
- 【娘が好きだったハム太郎の映画を観た】
- 【飛行機】
- 【娘】
- 【エメラルドの指輪】
- 【エスパーなキミ】
- 【バカな彼女】
- 【初めての親友】
- 【君に会えるのを】
- 【保護メール】
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- 【おにぎり】
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- 「救急箱」
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- 「日記」
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- 「ビデオテープ」
- 「母の匂い」
- 「オレオレ詐欺」
- 「大丈夫!この子の誕生日に死んだりしないから。」
- 「余命」
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- 「父親として最高の愛をありがとう」
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