
THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)とは、1997年に北海道札幌で結成されたヒップホップグループ。1998年に1stアルバム『STILLING, STILL DREAMING』をリリースし、精力的なライブ活動で全国各地に熱狂的なファンベースを築いてきた。自身のレーベルである「THA BLUE HERB RECORDINGS」を運営し、メンバー個々でもソロ活動を行っている。特徴的なトラックとMC、練りに練られたリリックで、従来のヒップホップとは一線を画す存在として常に注目を集めている。
THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の概要

THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)とは、1997年に北海道札幌で結成されたヒップホップグループ。結成以降、札幌市を拠点として活動を続けている。1998年に1stアルバム『STILLING, STILL DREAMING』をリリースし、特徴的なトラックとMC、練りに練られたリリックで、それまでの日本ヒップホップシーンとは一線を画す存在として活動直後から注目を集め、熱狂的なファンベースを築く。2000年には、初の全国ツアーを行い、同年のFUJI ROCK FESTIVALに出演。
2005年からはレコーディングに集中するためとしてライブ活動を休止するが、2007年には自身のレーベルである「THA BLUE HERB RECORDINGS」を設立し、メンバー個々でも積極的なソロ活動を行っている。
BOSS THE MC(ボス・ザ・エムシー)のポエトリーリーディングのような歌唱法と、彼の手掛けるリリックは特に注目の的となっており、強いメッセージ性があるとされている。 存在の誇示(セルフボースティング)、セレブや音楽業界の東京中心主義への批判(ディスリリック、バトルライム)が注目されがちなヒップホップという音楽ジャンルではあるが、イデオロギーの差による人間の対立や生への希望、死者への追悼など、強く幅広いメッセージがリスナーの心を掴んでいる。
2022年に開催された北京オリンピックのスノーボードで金メダルを獲得した、平野歩夢選手が決勝本番前に聴いていた音楽としてTHA BLUE HERBを挙げたことでも話題となった。
THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の活動経歴
結成早々に熱曲的なファンベースを確立
1997年、北海道札幌で、ラッパーのILL-BOSSTINO(BOSS)、トラックメイカーのO.N.O、そしてライブDJのDJ DYEの3人によって結成。BOSSの文学的で哲学的なリリック、O.N.Oが生み出すダークで実験的なトラック、そしてDYEのライブでの圧倒的なDJプレイが融合した、他の追随を許さない唯一無二のヒップホップサウンドを確立していく。当時、東京を中心に盛り上がりを見せていた日本のヒップホップシーンとは一線を画す存在として認知されるようになっていき、結成早々に熱狂的なファンベースを築くようになる。
1999年、自主レーベル「THA BLUE HERB RECORDINGS」を設立し、1stアルバム『STILLING, STILL DREAMING』をリリース。このアルバムは、既存の日本のヒップホップの枠を打ち破る衝撃作として、瞬く間に全国のアンダーグラウンドシーンを席巻した。彼らの音楽は、「ヒップホップとは何か」という根源的な問いを投げかけ、多くのリスナーやアーティストに強い影響をもたらした。
全国各地での精力的なライブ活動を通じて熱狂的なファンベースを築き上げた彼らは、日本のヒップホップシーンにおいて、誰もが無視できない確固たる地位を確立していった。その影響力は、文学界やロックシーンにまで及ぶほどとなる。
ライブ活動の休止と新たな幕開け
2005年、レコーディングに集中するためとしてライブ活動を一時休止。この活動休止は、個々のメンバーが新たな表現方法を獲得するための重要なフェーズとなった。彼らは、2007年の活動再開までの間、多角的な視点から音楽を捉え直し、表現の幅を広げていく。
活動休止期間を経て、2007年にマキシシングル『PHASE 3』の発売をきっかけに活動を再開、同年5月には3rdアルバム『LIFE STORY』をリリースしたTHA BLUE HERBは本格的に活動を再開。以前にも増して強固な結束力と、深化を遂げた音楽性で、再び日本のヒップホップシーンの最前線に躍り出た。
これ以降もコンスタントにアルバムをリリースし、その作品は常に高い評価を獲得。彼らのライブパフォーマンスは、初期からの熱量を保ちつつ、熟練の円熟味を増し、観る者を圧倒する存在感を示し続けている。日本のヒップホップ、アンダーグラウンドシーンの唯一無二のオリジネーターとして、多くのフォロワーを生み出し続けている。
THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)のメンバー
正式メンバー
BOSS THE MC(ボス・ザ・エムシー)/ILL-BOSSTINO(イル・ボスティーノ)

THA BLUE HERBのMC。1971年10月27日生まれ。本名は清水和之。北海道亀田郡七飯町大中山出身。札幌市豊平区平岸在住。
テレビ番組「ダンス甲子園」を視聴したことをきっかけとし、友人とダンス&ボーカルグループを結成し、ダンサーとして活動していたことがある。すすきののキャバクラやクラブで働いている間にヒップホップに傾倒するようになる。アメリカのラッパーのナズが1994年にリリースしたアルバム『イルマティック』の歌詞カードの日本語訳を読んだことで衝撃を受け、作詞について研究と思考を深める。THA BLUE HERBの活動はBOSS THE MC(ボス・ザ・エムシー)名義で行い、外部作品及びTHA BLUE HERB以外のプロジェクトではILL-BOSSTINO(イル・ボスティーノ)を名乗っている。相性は「ボス」。
O.N.O (オー・エヌ・オー)

THA BLUE HERBのトラックメイカー。既存のヒップホップに捉われないサンプリングの加工や、複雑に打ち込まれたドラムで独自のグルーヴを生み出している。ソロアーティストとしても活躍し、2004年にはFUJI ROCK FESTIVALに登場して音楽ファンを大いに沸かせた。2007年にはMETAMORPHOSEに出演している。
DJ DYE (ディージェイ・ダイ)

ライブの際に登場するライブDJ。個人名義でも音源のリリースを行っている。
準メンバー
JERRY "KOJI" CHESTNUTS(ジェリー“コージ”チェストナッツ)

シンガー。たびたびTHA BLUE HERBの音源に参加し、準メンバーとして活動を共にしている。
THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)のディスコグラフィー
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目次 - Contents
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の概要
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の活動経歴
- 結成早々に熱曲的なファンベースを確立
- ライブ活動の休止と新たな幕開け
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)のメンバー
- 正式メンバー
- BOSS THE MC(ボス・ザ・エムシー)/ILL-BOSSTINO(イル・ボスティーノ)
- O.N.O (オー・エヌ・オー)
- DJ DYE (ディージェイ・ダイ)
- 準メンバー
- JERRY "KOJI" CHESTNUTS(ジェリー“コージ”チェストナッツ)
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)のディスコグラフィー
- アルバム
- STILLING,STILL DREAMING
- Sell Our Soul
- LIFE STORY
- TOTAL
- THA BLUE HERB
- ミニアルバム
- 2020
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- PRAYERS
- Ame Ni Mo Makez
- 路上
- 智慧の輪
- ILL-BOSSTINO(イル・ボスティーノ)名義でのコラボ楽曲
- クラムボン featuring ill-bosstino「あかり from here」
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の名言・発言
- BOSS THE MC「俺が好きなんだろうね。叙情性とか、ひとりの旅の空とか。まぁ言葉もひとりで書くし、結局は個だよね。そこからは逃れられない。」
- THA BLUE HERB(ザ・ブルーハーブ)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 拠点を札幌に置き続ける理由は「徹底した独立精神」