武満徹(たけみつ とおる)とは、日本の作曲家、音楽プロデューサーである。1930年に東京で生まれ、ほぼ独学で作曲を修めた。若手芸術家集団「実験工房」に所属し前衛的な表現を展開。琵琶、尺八とオーケストラによる『ノヴェンバー・ステップス』をはじめとする代表作で世界的な評価を確立した。管弦楽曲や室内楽曲から映画音楽、ポップスまで幅広く手がけ、エッセイストとしても活躍。多大な影響を多くの芸術家に与え、1996年に死去した。
武満徹の概要
武満徹(たけみつ とおる)とは、日本の作曲家、音楽プロデューサーである。1930年10月8日生まれ。東京府東京市本郷区(現:東京都文京区)出身。
濱田徳昭に対位法や和声を学び、清瀬保二に師事したもののほぼ独学で作曲を修め、第二次世界大戦中に音楽の道を歩むことを決意。若手芸術家集団「実験工房」に所属し、映画音楽やテレビ音楽などで前衛的な表現を幅広く展開した。琵琶、尺八とオーケストラのための『ノヴェンバー・ステップス』をはじめとする代表作により日本を代表する現代音楽家として世界的な評価を確立。
管弦楽曲、ピアノ曲、室内楽曲から映画音楽やポップスに至るまで多岐にわたる楽曲を手掛けたほか、エッセイストやプロデューサーとしても精力的に活動し、多くの芸術家や演奏家に多大な影響を与えた。1996年2月、急性肺水腫により死去。
武満徹の活動経歴
少年時代と戦争
武満徹は、1930年10月8日、東京市本郷区駒込曙町にて誕生した。父の武満威雄は鹿児島県出身で帝国海上保険に勤務していたが、玉突きやダンスを得意とする放蕩者で、早すぎる死の間際には「徹を絶対に会社員にしてくれるな」と言い遺した。母の麗子は祖父が漢学者という厳格な家庭で育ちながらも、外国人と文通をし、パーマネントを真っ先に取り入れ、軍部批判も口にする先進的な女性だった。
生後1ヶ月で父の赴任先である満洲の大連へ渡り6年間を過ごしたが、1937年に「日本の小学校へ行きたい」と単身帰国し、富士前尋常小学校に入学。生田流箏曲の師匠であった伯母の家に7年間寄留した。叔母の家では年上の従兄から手回し蓄音機でベートーヴェンの『月光ソナタ』やメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲などのクラシック音楽を聴かされたが、武満自身は当時「つまらないもの」と感じていた。また、道楽者の叔父の影響でヒステリーを起こした伯母から辛く当たられた体験から、伯母の演奏する琴そのものに強い嫌悪感を抱き、後年日本の伝統音楽に興味を持った後も「琴だけは作曲する気になれなかった」と語っている。両親とは戦争開始直前に再会したものの、1938年に父が病死。母は生計を立てるため別居したため、父との触れ合いはほとんどなかった。
小学生の頃は映画館に通い映画に熱中していたが、終戦の年である1945年3月初めに愛する伯母が死去。同年の東京大空襲を経験し陰鬱な日々を送る中、母の家で空襲に遭った際には、父の位牌を持ち出そうとするも母に放り投げられ、持ち出そうとした貴重な汁粉の鍋をこぼしてしまったという。母は武満が音楽の道へ進むことに反対しなかったものの、純音楽に関しては「金にならない」と演奏会にも行かず、後年映画音楽を手がけるようになって初めて映画館で鑑賞したという。
1943年に私立京華中学校に入学。「ツェッペリン」のあだ名で呼ばれ、教官からのしごきに反発するなど過酷な学校生活を送る中、1945年に埼玉県の陸軍食糧基地へ勤労動員される。その軍の宿舎で、同室の下士官が隠れて聴いていたリュシエンヌ・ボワイエのシャンソン「聴かせてよ、愛のことばを」を耳にして心の穴が満たされるような強烈な衝撃を受け、終戦後に学校へ行く気をなくし音楽の道を志すことを決意した。
終戦と独学の時代
太平洋戦争終戦後、進駐軍のラジオ放送でフランクやドビュッシーなど近代フランスの作曲家の作品に親しみ、横浜のアメリカ軍キャンプで働きながらジャズに接した。教練の成績が最低で大学進学やサラリーマンの道を諦めた武満は、東宝交響楽団の事務員の紹介で作曲家の清瀬保二にレッスンを受ける。清瀬は武満の楽譜から溢れ出る個性を感じ取り、技術に手を加えるのではなく芸術観を鍛える指導を行った。
1949年、清瀬の勧めで東京音楽学校(現:東京藝術大学)を受験するも、控室で意気投合した受験生(熊田)と「作曲に学校や教育は無関係だ」と結論づけて二日目の試験を途中棄権し、映画館で『二重生活』を観て過ごした。当時は自宅にピアノを買う金がなく、本郷から日暮里の街を歩いてピアノの音が聞こえる家に直接出向いて弾かせてもらっていた。のちにこれを知った黛敏郎から妻のピアノを贈られる。
1950年、清瀬らが開催した「新作曲派協会」でピアノ曲『2つのレント』を発表し作曲家デビュー。しかし評論家の山根銀二から「音楽以前である」と酷評され、映画館の暗闇で泣くほど傷ついた。
前衛表現の探求と「実験工房」
1951年、詩人・瀧口修造のもとに多方面の芸術家が集まった「実験工房」の結成に参加。湯浅譲二、鈴木博義、佐藤慶次郎、福島和夫、園田高弘らと共にメシアンの研究や電子音楽に取り組み、『ヴォーカリズムA.I』や『木・空・鳥』などのテープ音楽(ミュジーク・コンクレート)を制作して具体音を音楽要素として捉える意識を深めた。
この時期から映画、舞台、ラジオ、テレビなど幅広いジャンルで創作を開始。私生活では、結核を患い血痰を吐いて1953年に入院するも病状が改善せず、退院を決意したところで、デビュー作のチケットを贈った縁である劇団四季の女優・若山浅香に引き取られる形で1954年に結婚した。
1956年、日活映画『狂った果実』で映画作曲家としてもデビューし、多くの監督から厚い信頼を得る。1957年発表の『弦楽のためのレクイエム』は、1959年に来日したイゴール・ストラヴィンスキーがNHKで偶然聴いて絶賛したことで、世界的な評価を受ける大きな契機となった。
邦楽器との融合と『ノヴェンバー・ステップス』
1960年代には『切腹』『不良少年』『砂の女』『他人の顔』など数々の名作映画の音楽を手がけ、高い評価を獲得。その過程で邦楽器の音色や「間」に着目し、1966年に琵琶と尺八のための二重奏曲『蝕(エクリプス)』を作曲した。同曲に寒気がするほど感動した指揮者・小澤征爾の仲介でレナード・バーンスタインに伝えられ、ニューヨーク・フィルハーモニックから創立125周年記念作品の委嘱を受ける。
1967年、琵琶、尺八とオーケストラによる『ノヴェンバー・ステップス』がアメリカのフィルハーモニックホールで初演され、拍手が鳴り止まない大成功を収める。楽屋にはバーンスタインやアーロン・コープランドらが訪れ絶賛した。これにより「世界のタケミツ」としての地位を確立し、1970年の日本万国博覧会鉄鋼館での音楽監督、1973年からの「今日の音楽」プロデュースなど、多方面で精力的に活動した。
晩年と最後の創造
1980年代以降は前衛的な音響から和声的で調性的な作風へと移行し、世界中のオーケストラからの委嘱に応えた。また、クラシックや現代音楽の枠にとどまらずポップスのCDを制作するなど、ジャンルの壁を超える前代未聞の試みを展開。1994年には異文化間を繋ぐ重要な懸け橋となった功績からルイヴィル大学のグロマイヤー賞を受賞した。
晩年はオペラ『マドルガーダ(夜明け前)』の制作に取り組んでいたが、1995年4月に膀胱がんと膠原病が発覚。一時退院中に最後の完成作『森のなかで』や『エア』を作曲するも、1996年2月20日、呼吸困難に陥り65歳で死去した。葬儀では黛敏郎により、かつて武満が黛のアシスタント時代に書き温められていたメロディ『MI・YO・TA』が繰り返し歌われ、その死が悼まれた。
武満徹のプロフィール・人物像
生年月日:1930年10月8日
出身地:東京府東京市本郷区(現:東京都文京区)
死没:1996年2月20日(65歳没)
学歴:富士前尋常小学校、京華中学校(旧制)
武満のその独自の感受性や自由な芸術観には、波乱に満ちた生い立ちと身近な人物との関係性が強く影を落としている。型破りな両親のもとに生まれ、父の威雄はビリヤードやダンスを嗜む放蕩者で、早すぎる死の間際には「将来、徹を絶対に会社員にしてくれるな」と言い遺した。武満が後に会社員を目指した時期があったのはこの言葉への反発からだったという。母の麗子も女学生時代から外国人と文通し、戦時下に堂々と軍部批判を展開するような進歩的かつ奔放な女性だった。
幼少期に預けられた叔母の家での体験も、後の音楽観に決定的な影響を与えた。生田流箏曲の師匠であった叔母は度々ヒステリーを起こして武満に辛く当たったため、武満の中に叔母の演奏する琴そのものへの強い嫌悪感が植え付けられた。後年、日本の伝統音楽に深い関心を寄せるようになってからも「琴だけはいくら頼まれても作曲する気になれなかった」と回想している。
一方で、同じ家に住む従兄の影響でポピュラーなクラシック音楽に触れたものの、当時は「つまらないもの」と感じていた。しかし太平洋戦争中の勤労動員先で、隠れて聴かされたシャンソン「聴かせてよ、愛のことばを」に心の穴が満たされるような衝撃を受け、音楽の道を志す。
こうした体験が重なり、武満は学校教育や型にはまった生活から離れ、ほぼ独学で音楽の道を突き進むこととなる。東京音楽学校の受験時には控室で意気投合した受験生と「作曲に学校や教育は無関係だ」と結論づけて二日目の試験を放棄し、映画館へ行ったという。
デビュー初期に作品を酷評されても独自の表現を貫き、前衛芸術集団「実験工房」での活動や映画音楽の制作、さらには琵琶や尺八といった伝統楽器を西洋オーケストラと融合させた『ノヴェンバー・ステップス』で世界的な評価を確立していった。
また、社会や政治に対しても深い関心を持ち続けていた。1960年前後の安保闘争においては「若い日本の会」や草月会館で開かれた「民主主義を守る音楽家の集い」などに参加し、自身もデモ活動に身を投じたほか、1970年代にはスト権ストを支持した。1991年の湾岸戦争時には、報道番組における音楽の使われ方に警鐘を鳴らし、報道番組で音楽を使用すべきではないと主張した。その一方で、音楽を政治参画の手段とすることには否定的な立場を取っており、1970年代には自身が関わった季刊誌『トランソニック』でその見解を示している。
主な作品
「弧(アーク)」(1963 - 1976)
「ア・ウェイ・ア・ローン」(1981)
「秋庭歌一具」(1973 - 1979)
「アステリスム」(1967)
「ア・ストリング・アラウンド・オータム」(1989)
「雨ぞふる」(1982)
「雨の樹」(1981)
「雨の樹 素描」(1982)
「雨の呪文」(1982)
「アントゥル=タン」(1986)
「波(ウェイブズ)」(1976)
「ウォーターウェイズ」(1978)
「ウォーター・ドリーミング」(1987)
「海へ」(1981)
「エア」(1995)
「エキノクス」(1993)
「蝕(エクリプス)」(1966)
「オリオン」(1984)
「オリオンとプレアデス」(1984)
「ガーデン・レイン」(1974)
「カシオペア」(1971)
「風の馬」(1971 - 1976)
「カトレーン」(1975)
「環礁」(1962)
「ギターのための12の歌」(1977)
「樹の曲」(1961)
「グリーン」(1967)
「クロス・トーク」(1968)
「群島S.」(1993)
「系図」(1992)
「弦楽のためのレクイエム」(1957)
「遮られない休息」(1952 - 1959)
「サクリファイス」(1962)
「ジェモー」(1971 - 1986)
「四季」(1970)
「シグナルズ・フロム・ヘヴン」(1996)
「ジティマルヤ」(1987)
「地平線のドーリア」(1966)
「十一月の霧と菊の彼方から」(1983)
「November Fog」(1990)
「スタンザ I」(1969)
「スペクトラル・カンティクル」(1995)
「すべては薄明のなかで」(1987)
「精霊の庭」(1994)
「セレモニアル」(1992)
「そして、それが風であることを知った」(1992)
「ソリチュード・ソノール」(1958)
「ソン・カリグラフィ」(1958)
「ディスタンス」(1972)
「手づくり諺」(1982)
「トゥイル・バイ・トワイライト」(1988)
「トゥリー・ライン」(1988)
「トゥワード」(1993)
「遠い呼び声の彼方へ!」(1980)
「閉じた眼」(1979)
「鳥は星形の庭に降りる」(1977)
「鳥が道に降りてきた」(1994)
「波の盆」(1983)
「虹へ向かって、パルマ」(1984)
「ノスタルジア」(1987)
「ノヴェンバー・ステップス」(1967)
「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」(1991)
「ピアニストのためのコロナ」(1962)
「ピアノ・ディスタンス」(1961)
「悲歌」(1966)
「ヴィジョンズ」(1990)
「ビトゥイーン・タイズ」(1993)
「ファンタズマ/カントス」(1991)
「フォー・アウェイ」(1973)
「フォリオス」(1974)
「2つのレント」(1950)
「冬」(1971)
「ブライス」(1976)
「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」(1990)
「声(ヴォイス)」(1971)
「星・島(スター・アイル)」(1982)
「マージナリア」(1976)
「マイ・ウェイ・オヴ・ライフ」(1990)
「マスク」(1959)
「水の曲」(1960)
「径(みち)」(1978)
「三つの映画音楽」(1994 - 1995)
「夢窓」(1985)
「ムナーリ・バイ・ムナーリ」(1967)
「巡り」(1989)
「森のなかで」(1995)
「ユーカリプス」(1970)
「夢の引用」(1991)
「夢の時」(1981)
「夢の縁へ」(1983)
「夢みる雨」(1987)
「揺れる鏡の夜明け」(1983)
「妖精の距離」(1951)
「リヴァラン」(1984)
「リタニ」(1950 / 1989)
「環(リング)」(1961)
武満徹のディスコグラフィー
アルバム
『生誕90年 武満 徹オーケストラ作品集』
2008年1月23日発売。
【Disc 1】
1. 弦楽のためのレクイエム
2. ノヴェンバー・ステップス
3. 遠い呼び声の彼方へ!
4. ヴィジョンズ I- 神秘
5. ヴィジョンズ II- 閉じた眼
【Disc 2】
1. ジェモー I- ストロフ
2. ジェモー II- ジェニシス
3. ジェモー III- トレーセズ
4. ジェモー IV- アンティストロフ
5. 夢窓
6. 精霊の庭
【Disc 3】
1. 秋
2. ア・ウェイ・ア・ローンII
3. ウォーター・ドリーミング
4. トゥイル・バイ・トワイライト
【Disc 4】
1. 地平線のドーリア
2. 「環礁」 I- Accumulation
3. 「環礁」 II- Poem I
4. 「環礁」 III- Accumulation II with for strings
5. 「環礁」 IV- Poem II
6. 「環礁」 V- Accumulation III
7. 鳥は星形の庭に降りる
8. 群島S.
9. 弦楽器のためのコロナII
【Disc 5】
1. スペクトラル・カンティクル
2. 星・島
3. 夢の時
4. グリーン
5. 樹の曲
武満徹の没後10年企画としてリリースされたオーケストラ主要作品を網羅した5枚組CDボックスセット。小澤征爾や岩城宏之らの指揮、NHK交響楽団や東京都交響楽団などの演奏による名演が収められている。
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目次 - Contents
- 武満徹の概要
- 武満徹の活動経歴
- 少年時代と戦争
- 終戦と独学の時代
- 前衛表現の探求と「実験工房」
- 邦楽器との融合と『ノヴェンバー・ステップス』
- 晩年と最後の創造
- 武満徹のプロフィール・人物像
- 主な作品
- 武満徹のディスコグラフィー
- アルバム
- 『生誕90年 武満 徹オーケストラ作品集』
- 武満徹の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- 「弦楽のためのレクイエム」
- 「ノヴェンバー・ステップス」
- 「鳥は星形の庭に降りる」
- 「夢の時」
- 「オーケストラのための 波の盆」
- 武満徹の名言・発言
- 「私は生きることに自然な自然さというものをとうとびたい。それを"自然"とよびたい。」
- 「東洋は一つではなく、宇宙全体がひとつで『私』であるということでいかなければウソじゃないかという気がするのです」
- 「だって、思わなかったら!最初っから絶望していたら、何も始まらないので」
- 武満徹の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 作曲家のみならずエッセイストとしても活躍
- プロデューサーとしての手腕も発揮した武満
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