The Living End(リヴィング・エンド)の徹底解説まとめ

The Living End(リヴィング・エンド)とは、1994年にオーストラリアのメルボルンで結成されたロックバンド。1998年に発売された1stアルバム『The Living End』が発売初週でプラチナ認定される快挙を成し遂げる。ロカビリーとパンクロックを融合させた「パンカビリー」という音楽性の旗揚げ的存在として台頭し、技巧派バンドとして位置づけられている。高い演奏技術とオリジナリティ溢れる音楽性、熱いライブパフォーマンスで、音楽ファンのみならず多くのミュージシャンの心も掴んでいる。

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The Living End(リヴィング・エンド)の概要

The Living End(リヴィング・エンド)とは、1994年にオーストラリアのメルボルンで結成されたロックバンド。
1998年に発売された1stアルバム『The Living End』がヒットを記録し、発売初週でプラチナ認定される快挙を成し遂げ、アメリカのGreen Day(グリーン・デイ)やblink-182(ブリンク ワン エイティー トゥー)といった、人気ポップパンクバンドのサポートアクトを務めたことが大きな話題となり、世界的にも高い知名度を獲得した。
高い演奏技術だけでなく、作曲やロカビリーとにパンクを混ぜた「パンカビリー」という音楽性を開拓した発想力の高さで、音楽ファンや同業のミュージシャンらの心を掴み、コラボレーションの現場でも活躍。ウッドベースにドタドタと拍車をかけるドラム、それに上質のギターとボーカルが乗ったサウンドを武器に、技巧派ライブバンドとしての地位を確立する。さらに、オーストラリア最大の音楽賞であるARIAミュージック・アワードにおいて、1998年の最優秀新人賞の受賞後、何度も最優秀アルバム賞や最優秀シングル賞を獲得するなど音源のセールスとしても成功をおさめている。

パンカビリーという新たな音楽ジャンルを開拓した彼らだが、メンバー達は「自身をパンクバンドだとは思っていない」と述べている。彼らは自身を「パンクのイデオロギーを持ったロックン・ロールバンド」と考えており、同じ傾向を持つバンドとしてIggy pop(イギー・ポップ)やThe Who(ザ・フー)、The Jam(ザ・ジャム)などを挙げており、周囲が社会的な風潮に目を向けるようにすることを目的として、音楽制作にあたっている。
こうした思想と、1980年代に一世を風靡したアメリカのロカビリーバンド、Stray Cats(ストレイ・キャッツ)に強い影響を受けたメンバーが作り上げてきた音楽性は、似たようなバンドを具体的に挙げられないほど、オリジナリティに溢れている。

The Living End(リヴィング・エンド)の活動経歴

結成直後のブレイク

1994年にオーストラリアのビクトリア州メルボルンで、ロカビリー・パンクを掲げるトリオバンドとして結成される。結成直後から地元のライブハウスで熱いパフォーマンスを繰り広げ、1997年にリリースされたシングル「Second Solution / Prisoner of Society」で知名度を得るようになった。ストレートなパンクサウンドとキャッチーなメロディが受け、ラジオやミュージックビデオで爆発的にヒットを遂げた彼らは、オーストラリアのチャートでトップ10入りを果たし、バンドとして一躍スターダムに躍り出る。
この成功を受け、1998年にリリースされた1stアルバム『The Living End』が発売初週でプラチナディスクに認定され、同年のARIAミュージック・アワードで最優秀新人賞を受賞、1999年には同作が最優秀ロックアルバム賞(Best Rock Album)に選出される快挙を成し遂げる。

世界進出とバンドの危機

デビュー後の彼らは、その勢いのまま大規模なツアーを敢行した。特にアメリカのGreen Dayやblink-182といった、人気ポップパンクバンドのサポートアクトを務めたことが大きな話題となり、世界的にも知名度を高めていくようになった。2000年には2ndアルバム『Roll On』をリリース。しかし、このころボーカル・ギターのクリス・チェニーが自動車事故で命の危機に瀕するほどの大けがを負い、2002年にはドラムを担当していたトラヴィス・デムシーが脱退を表明。バンドは活動休止を余儀なくされた。
2003年、クリスがカムバックし、新たなドラマーとしてアンディ・ストラッカンを迎え、バンドは3rdアルバム『Modern Artillery』を発表。初期の荒々しさを保ちつつも、より洗練されたサウンドと社会的なメッセージ性を強め、活動の拠点であるオーストラリアにおいて、トップバンドとしての地位を不動のものとする。2004年には初のベストアルバム『From Here on In : The Singles 1997–2004』をリリースし、結成当初からのファンを喜ばせることは勿論、新規ファンも順調に獲得していった。

活動ペースの調整

活動のペースを調整しても、熱量の高いライブパフォーマンスは健在だ。

2006年のアルバム『State of Emergency』の発表後、バンドは一時的に活動ペースを緩めるようになる。個々のソロプロジェクトや、メンバーそれぞれに結婚、育児などの転機が訪れたことで家族との時間を大切にする時期に入り、大規模なツアーなどは行わず、活動は控えめになっていった。
この休止期間は彼らの音楽に深みをもたらすことになり、そのサウンドはパンクロックの枠を超え、メロディやアレンジに新たな試みが加えられるようになった。2008年の『White Noise』や2011年の『The Ending Is Just the Beginning Repeating』といったアルバムでは、より成熟したサウンドを届けている。
2010年代半ばからは、バンドは再び精力的な活動を再開した。2016年には『Shift』、そして2018年には『WUNDERBAR』と2枚のアルバムをリリース。長年にわたって積み重ねた経験をひしひしと感じさせるような貫禄と、一貫してパンクロックの初期衝動を詰め込んだ音楽性で、ファンを大いに楽しませている。

The Living End(リヴィング・エンド)のメンバー

現メンバー

Chris Cheney(クリス・チェニー)

ボーカル・ギターを担当。バンドの楽曲のほとんどの作詞作曲を手掛けるフロントマン。
立ったままコントラバスを弾くベーシストのスコット・オーウェンとのダイナミックなコンビネーションで知られており、激しいパフォーマンスとテクニカルなギタープレイに定評がある。2001年に自動車事故に遭って命の危機に陥るが、奇跡的な回復を遂げ、バンド活動を再開した。

Scott Owen(スコット・オーウェン)

ベース・ボーカルを担当。立ったまま巨大なコントラバス(ウッドベース)を力強く演奏し、バンドのサウンドとステージパフォーマンスの核を担っている。ロカビリーの影響を強く受けた演奏スタイルが独特の跳ねるようなグルーヴとメロディをもたらしており、サウンド面でもヴィジュアル面でもバンドに欠かせない存在。

Andy Strachan(アンディ・ストラッカン)

ドラムを担当。2002年に加入した3代目ドラマー。ダイナミックなサウンドを支える、パワフルでテクニカルなドラミングに定評がある。前任のトラヴィス・デムシーが脱退し、さらにボーカルのクリスが自動車事故に遭うという、バンドが最大の危機に瀕していた時期にメンバー入り。以降、リズム的にも精神的にもバンドを支え続ける支柱として活躍している。

旧メンバー

Joe Piripitsi(ジョー・ピリピッツィ)

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