現代的アート辞典:今から一緒にそれから一緒に、殴りに「九州派」
その闘志が羨ましくなるのか?九州派についてまとめています。芸術家は決して作品で内に込めた情熱をぶつけるだけではありません。
九州派とは
「反芸術」「反東京」の前衛運動を行なった九州の美術家集団。会費によって運営されたリーダーをもたない民主主義的な組織。主にオチ・オサム、桜井孝身、菊畑茂久馬、山内重太郎、石橋泰幸、田部光子らの名が挙げられるが、メンバーの多くは流動的であった。
出典: artscape.jp
会費制なのにいや会費制だからか、流動的とは何とも言えません。
1957年の読売アンデパンダン展に参加し、その理念を九州に持ち帰った。同年7月に「西日本美術展出品者大会」、8月に「グループQ十八人展」、11月に「第二回九州派街頭展」など、主に地元の福岡市を中心に活動した。
出典: ja.wikipedia.org
理念を持ち帰ったと言う言葉にアツいものが伝わります。
その作家陣達
オチオサム(本名: 越智靖、 - 2015年4月26日[1])は日本の前衛芸術家。1950年代から1960年代にかけて活動した日本の前衛芸術グループ「九州派」の創設者のひとり[1]。
出典: ja.wikipedia.org
当然でありますが本名は漢字である模様。ご冥福をお祈りします。
山内重太郎氏について
昨日久しぶりにアート教室PAFへ出かけ、そこで山内重太郎さんが亡くなったことを知りました。
山内さんは、アート集団「九州派」の一人で、よくPAFにも来られて銅版の作品を製作されていました。(当時は「鯨」を多く作成されていました。)また久留米一番街でパフォーマンス製作もされていました
出典: www.hakata.net
そう言えば、山内さんは、絵以外にも漢詩も自作した。
私は、絵画とは、色彩で表現する詩でありたいと、思っていたが、
そのことを話す間もなく昨秋、山内さんは急逝した。
運動に参加していた作者達が次々と亡くなっているのは仕方がないことかもしれません。
九州派のエネルギーがたぎっていた時代。
武骨な九州の気風は朝鮮戦争以来ますます熱く、殴り合いなどは日常茶飯事、アスファルトを黒々と盛り上げ、パチンコ屋で流れる軍艦マーチを大声で謳いながら制作していたとのことです。1957年7月、九州派主催による西日本美術展出品者大会。8月、グループQ48人展。9月、機関誌『九州派』発刊。11月、第2回街頭展「グループQ/詩科・アンフォルメル屋外展」。
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とにかくアツい血潮がたぎっているような作家たちらしいですね。
九州という土地と生活者の土俗的なエネルギーを背景にした作品制作、活動をした。中心メンバーだった菊畑茂久馬さんの著書『反芸術綺談(きだん)』で、九州派の活動の様子が初めて記録された。
出典: kotobank.jp
作品などで充分にそれは伝わります。
福岡を拠点にしながら「東京への殴り込み」と銘打って主要な展覧会は東京で行なったという東京志向性も否定できない。
出典: artscape.jp
東京まで行って殴りこみをしないとまあ思いを充分伝えきれなかったのでしょう。
九州派は九州男児と言う言葉が似合うよなう人達で集まっているような印象を受けました。殴り合いまでするって今の時代には考えられないかもしれませんが、きっとそれは一見穏やかに見えるかもしれない人も昔はこのような時代があったって話ですよね。