毛皮のマリーズ(バンド)の徹底解説まとめ

毛皮のマリーズとはVo.志磨遼平、Gt.越川和磨、Ba.栗本ヒロコ、Dr.富士山富士夫の4人からなる日本のロックバンドである。2003年に結成され、2006年にインディーズデビュー。その後は国内のツアーや音楽フェスでライブを重ね、2010年に日本コロムビアからにメジャーデビューした。2011年12月に日本武道館でラストライブを行い同年12月31日をもって解散した。古典的なロック・ミュージックをルーツにした楽曲と情熱的なライブパフォーマンスで人気を博した。

愛のテーマはメジャー2ndアルバム『ティン・パン・アレイ』に収録されているラブソングである。初期の頃のバンドイメージである衝動性、破壊力のある演奏とは違い、60年代アメリカのサイケデリックロックの雰囲気がある曲だ。MVでは昔のテレビのような画面に、ヒッピーファッションを纏ったメンバーが演奏している姿が見れる。

毛皮のマリーズの名言・発言

志磨遼平「僕、50mくらい先のコンビニ行って帰る間までに3回職質されたことがあって(笑)」

メジャー1stアルバム『毛皮のマリーズ』発売時のインタビューにて。ステージに上がるとオーラ全開の志磨遼平だが、コンビニ行くだけで3回職質受けるなんて…ロックスターは違いますね。

志磨遼平「これはただのロックンロールアルバムでそれ以上でもそれ以下でもない」

メジャー1stアルバム『毛皮のマリーズ』発表時のインタビューにて。『毛皮のマリーズ』は60、70年代のロックンロールが詰まったアルバムで、志磨遼平と同じ趣味のリスナーが満足できる作品になった。この発言は、古いロックンロール好きに刺さる最高のキャッチコピーだ。

志磨遼平「毛皮のマリーズは常に新しいものを提示していきたいし、聴き手の想像を遙かに超える尋常じゃないスピードで突っ走っていきたい」

2008年ミニアルバム『Faust C.D.』発表時のインタビューにて。常に異なった作品を発表し、メジャー移籍後は1年半で3枚のアルバムを発表している毛皮のマリーズ。この発言から、初期のころから計算されていたことが分かる。

志磨遼平「ゴールディーズ(黄金時代) と呼ばれた50’sアメリカン・グラフィティをテーマとしたこの作品は、そのまま毛皮のマリーズの黄金時代でもありました」

インディーズ2ndアルバム『マイ・ネーム・イズ・ロマンス』10周年アナログ盤発売時のインタビューにて。この作品が、毛皮のマリーズ最盛期の作品だったことが分かる発言だ。

毛皮のマリーズの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

2012年のインタビューで解散の理由が明かされた

しっかり音楽のことを考えて、成長したかった。だから、停滞とかルーティーンとか惰性とか、そういうものがちょっとでもよぎった瞬間に辞めないと危ないという変な危機感というか。ピリッとしていたかったんです。ファンの人のことを言えば、お客さんを大切にする順番ってあるじゃないですか。バンドとしていい音楽を届けるということも含めて、ちゃんとするというのがまず1番だったし、 そういう状態で常にお客さんの前に立つというのが、僕としてはお客さんを一番大切に考える方法だと思っているんです。こっちが飽きているのにステージに立つというのは嫌だったから。

出典: mfound.jp

メジャーデビューしてから1年半で3枚のアルバムを残した毛皮のマリーズ。凄いスピードで駆け抜けたバンドの解散理由は、ファンのことを考えたものだったようだ。

バンド名の由来は寺山修司の『毛皮のマリー』から頂いた

自分が影響を受けたバンドの曲から名前をつけるロックバンドは多い。志磨遼平は、歌人、寺山修司の戯曲『毛皮のマリー』から頂いたと2008年のインタビューで語っている。

インディーズ3rdアルバム『Gloomy』の曲順は、曲ができた順番で収録された

「曲順を決める際に、できた曲を並べていったら結局できた順番になった」と2010年のインタビューで語っている。精神的に不安定だった志磨遼平はこのアルバムの最後の曲「悪魔も憐れむ歌」を完成させた頃には救われていたという。

ラストアルバム『THE END』はチープな作品にするつもりだった

ラストアルバムになった『THE END』は当初は音の悪いアルバムを作りたかったため、志磨遼平の自宅で録音される予定だった。多くのスタジオ・ミュージシャンを迎えて制作された『ティン・パン・アレイ』と真逆の内容にしようと、チープな音で録音したかったようだ。しかしレコード会社に断られ断念。「じゃあ、アビーロードスタジオはどう?」と志磨遼平が提案し渡英することになった。そこでラストアルバムに収録の4曲が録音された。

Vo.志磨遼平とGt.越川和磨は、人間椅子のGt.和嶋慎治とバイト先が一緒だった

Vo.志磨遼平とGt.越川和磨はメジャーデビュー前に製本屋のバイトをやっていた。そのバイト先に、ハードロックバンド「人間椅子」のギタリストである和嶋慎治も働いていたのだ。志磨と越川は気づいていたが、話しかけられずに退職。その後、「AOMORI ROCK FESTIVAL〜夏の魔物〜」で和嶋と再会し、お互いにバイト時代のことを話したというエピソードがある。

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