古田織部を漫画「へうげもの」で学ぶ!戦国時代の茶の湯に魅せられた男の生涯

古田織部(ふるたおりべ)という人物をご存知でしょうか。茶道を嗜んでいる方ならご存知かと思いますが、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて活躍した茶人です。漫画『へうげもの』は彼が主人公。もともと武将だった彼がなぜ茶の道を行くことになったのかなど、その生涯を学べます。この記事で簡単にまとめたので、気になった方はぜひ漫画で本編をお楽しみください。

茶の湯と物欲に魂を奪われた戦国武将・古田織部。

戦国期の大名茶人。
正式名は「古田織部正重然(ふるた,おりべのかみ,しげなり)」。通称「左介」。

歴史に興味がない方でも千利休の名前は知っていると思いますが、その千利休の後継者と目された 「古田織部(ふるた おりべ)」はご存知でしょうか。

出典: mag.japaaan.com

へうげもの→読み方は「ひょうげもの」

戦国時代から安土桃山時代、江戸時代初期にかけての武将。1544年(天文13年)~1615年(慶長20年)。美濃(岐阜南部)出身。
織田信長の美濃攻略により臣従し、使番として仕えた。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えて緒戦で活躍し、1585年(天正13年)に秀吉が関白に就いたとともに従五位下織部正に任ぜられた。
関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍側に与して生き残り、徳川秀忠の茶道指南役となったが、大坂の役夏の陣で豊臣氏に内通していたとして、切腹させられた。

出典: dic.pixiv.net

武将としての古田織部

古田家は美濃の守護大名に仕えていたのですが、17歳で織田信長の桶狭間の戦いに使番として仕官して以来22年間信長に仕えました。信長の上洛に従軍し、摂津攻略に参加した記録もあります。

出典: www.choeisha.com

出典: network2010.org

茶人としての古田織部

1576年には山城国乙訓郡上久世荘の代官に就任し、武将としての活動が始まりました。
信長の死後、豊臣秀吉に仕える事になるのですが、秀吉に今までの功績を称され、従五位下織部正に任命され、
この時から「古田織部」と呼ばれるようになりました。

出典: bushoojapan.com

茶の湯の名人としても名をはせている。千利休を師事し、利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられる。利休が大成させた茶道を継承しつつ、「人と違う事をしろ」という教えから、武家好みの動的で大胆かつ自由な気風の流派を確立した。
茶器製作・建築・造園などにも携わり、「織部好み」と呼ばれる一大流行を生み出し、各界の著名人との人脈と影響力も持った。故意に形をひしゃげさせたり、一度完成したのをわざと壊して継ぎ合わせたりした茶碗、パズルピースのような形の皿などのような、不均衡さに美を見いだす作品が「織部好み」として様々に伝えられている。

出典: dic.pixiv.net

me-ow
me-ow
@me-ow

目次 - Contents