Red Hot Chili Peppers(レッチリ)の徹底解説まとめ
Red Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レッチリ)とは、全世界トータルセールスは8000万枚超を記録している世界的ロックバンド。グラミー賞に12回ノミネートされ、3回受賞している。また、2012年にロックの殿堂入りを果たし、ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」で13位を獲得するなど、その人気と影響力は計り知れない。「ギヴ・イット・アウェイ」、「アンダー・ザ・ブリッジ」といった代表曲が知られている。
Red Hot Chili Peppersの概要
Red Hot Chili Peppers(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レッチリ)とは、全世界トータルセールスは8000万枚超を記録している世界的ロックバンド。グラミー賞に12回ノミネートされ、3回受賞している。また、2012年にロックの殿堂入りを果たし、ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」で13位を獲得するなど、その人気と影響力は計り知れない。「ギヴ・イット・アウェイ」、「アンダー・ザ・ブリッジ」といった代表曲が知られている。
1983年、Anthony Kiedis(アンソニー・キーディス)・Flea(フリー)・Hillel Slovak(ヒレル・スロヴァク)・Jack Irons(ジャック・アイアンズ)の4名で結成。
1984年、「Red Hot Chili Peppers」でデビュー。
その後、メンバーの度重なる脱退やドラッグの問題等を乗り越えながらも、2020年にはオリジナル・アルバムを11枚、ベスト・アルバムを2枚リリースしている。全世界でのトータルセールスは8000万枚以上。
過去3回グラミー賞を受賞している他、2012年にはロックの殿堂入りを果たしている。
2019年には、バンド黄金期を支えながらも脱退してしまったギタリスト・John Fruscianteの復帰がアナウンスされ、大ニュースとなった。
クオリティの高い楽曲と世界トップクラスの演奏力、派手なライブパフォーマンスにより「世界最強のバンド」と称される事も多い。
Red Hot Chili Peppersの活動経歴
バンド結成
1983年、Anthony Kiedis(アンソニー・キーディス)・Flea(フリー)・Hillel Slovak(ヒレル・スロヴァク)・Jack Irons(ジャック・アイアンズ)の4名で結成。
1984年、ポストパンクバンド「Gang of Four」のギタリスト・Andy Gill(アンディ・ギル)プロデュースにてデビューアルバム『Red Hot Chili Peppers』がリリースされるも、初期メンバーのHillel SlovakとJack Ironsは参加していない。
その後Hillel Slovakがバンドに復帰し、バンド「Pファンク」の創設者であるGeorge Clintonプロデュースにてセカンド・アルバム『Freaky Styley』がリリースされる。
その後Hillel Slovakに続きJack ironsが復帰し1987年にサードアルバム『The Uplift mofo Party Plan』がリリース。バンドとして充実した期間となったが、hillel Slovakがドラッグのオーヴァードーズにより死去し、Jack Ironsも再びバンドを去る事になり、オリジナルメンバーでの最初で最後のアルバムとなった。
1989年、新ギタリストにJohn Frusciante、新ドラマーにChad Smithを迎え、『Mother’s Milk』をリリース。プロデューサーのMichael Beinhornとかなりの衝突がありながらも、最強の布陣となったバンドは初のチャートヒットを記録した。
1991年、Warner Brothers Recordsに移籍し、大物プロデューサーであるRick Rubinを迎えた『Blood Sugar Sex Magik』をリリース。ブルース・ソウル・ファンク・ヒップホップ等のブラックミュージックをベースに、John Fruscianteのサイケデリックなギターが特徴的なこのアルバムは全世界でヒットし、バンドの代表作となる。また、Rick Rubinとの関係は10作目のアルバム『I’m With You』まで続く事になる。
Blood Sugar Sex Magikの成功により、John Fruscianteは精神的に追い詰められてしまい1992年ワールドツアーで来日中に突如脱退。
その後Jane’s Addictionでギタリストを努めていたDave Navarroをメンバーに加え、6枚目のアルバム『One Hot Minute』をリリースしたが、Daveはこのアルバムのみで脱退となる。
従来の作品に比べハードロック色が強くなったこのアルバムは、一部のリスナーからは未だに高評価を得ているが、バンドメンバーは「気に入っていない」と発言している。
黄金期
1999年、ドラッグの依存症から立ち直ったJohn Fruscianteがバンドに復帰し『Californication』をリリース。従来の作品の様に派手な勢いのあるサウンドメイキングではなく、メロディアスな楽曲が目立つ優しい雰囲気のアルバムとなり、バンド自身最大のヒットとなる。
また、復帰前と比べJohn Fruscianteのギターサウンドが変化しており、空間を生かしたシンプルでスカスカなギタープレイ・エフェクターを大量に繋いで音痩せさせたサウンドメイクは「枯れたギター」と称された。
2002年には『By The Way』をリリース。John Frusciante色の非常に強いメロディアスアルバムとなっており、John Fruscianteの多彩なギターサウンドやコーラスワークが最もフィーチャーされたアルバムとなった。
2006年にはバンド集大成ともいえる『Stadium Arcadium』をリリース。バンド初の全米1位を獲得した他、日本でもアルバム収録曲の「Dani California」が映画『DEATH NOTE』の主題歌に起用された事からヒットした。
John Frusciante復帰後に見られたメロディアスな路線を引き継ぎつつも、バンド初期の頃の様なファンク色の強い楽曲も多数収録された。
アルバムリリース後の2007年、Rolling Stone誌にて、John Fruscianteが「現代の三代ギタリスト」に選出される。
John Fruscianteが再び脱退
2009年、バンドの活動休止期間にJohn Fruscianteが再び脱退。「バンドがこのまま活動していくと思ったが、2年間休みを取る事になり、他の事をやりたくなった」との理由だった。John Fruscianteはその後、Aphex TwinやSquarepusherに影響されたエレクトロアルバムを複数枚リリース。
2011年には新ギタリストに、元々「Stadium Arcadium」のツアーにバックミュージシャンとしていたJosh Klinghofferが加入。10枚目のアルバム『I’m With You』をリリース。
活動休止期間中、FleaがThe Rolling Stonesのアルバムをよく聴いていたという事もあり、所々にThe Rolling Stonesの影響を感じさせるアルバムとなっている。
2012年にはロックの殿堂入りを果たすが、バンド全盛期を支えたJohn Fruscianteの姿は会場には無かったと報じられる。
2016年には5作目の『Blood Sugar Sex Magik』から10作目の『I’m With You』までを支えたプロデューサーのRick Rubinを離れ、Danger Mouseをプロデューサーに起用し『The Getaway』をリリース。
Anthony Kiedisが、「『Blood Sugar Sex Magik』に似た雰囲気を感じるアルバム」と述べた様に、メンバー全員で1つのグルーヴを作り上げるかの様なアルバムになっている。
John Fruscianteが再々加入
2019年12月 Josh Klinghofferの脱退、そしてバンド黄金期を支えたギタリスト・John Fruscianteの再々加入が発表され、大ニュースとなる。
2020年11月現在、新作の制作を進めていると度々ニュースになっているが、明確なリリース期等は未定である。
Red Hot Chili Peppersのメンバー
現メンバー
Anthony Kiedis(アンソニー・キーディス)
ヴォーカル。結成時からのメンバーだが、『ジ・アップリフト・モフォ・パーティ・プラン』のレコーディングの頃に一度脱退している。
海洋生物の保護のための直接行動を掲げ、日本をはじめとする各国の海域で過激な活動をしている「シーシェパード」のスポンサーとしての側面も持つ。
Flea(フリー)
ベース。アンソニー・キーディスと同じく、結成時からのメンバー。
ベーシストとして高い技術力を持っており、アメリカの音楽データベース「All Music Guide」から、「one of rock's most talented bassists(史上最も才能豊かなロックベーシストの一人)」と評価されている。
John Frusciante(ジョン・フルシアンテ)
ギター。もとはチリ・ペッパーズの熱狂的なファンの一人で、亡くなったヒレル・スロヴァクの後任として18歳の若さでバンドに加わった。
1992年の日本ツアー中に突如帰国し、脱退してしまう。歯を全て失ってしまうほどの薬物依存に苦しんでいたが、依存症を克服してバンドに復帰した。
2009年に自身の音楽を追求するため、友好的な2度目の脱退をする。2019年12月、2度目の復帰を果たした。ソロ活動を精力的に行っている。
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目次 - Contents
- Red Hot Chili Peppersの概要
- Red Hot Chili Peppersの活動経歴
- バンド結成
- 黄金期
- John Fruscianteが再び脱退
- John Fruscianteが再々加入
- Red Hot Chili Peppersのメンバー
- 現メンバー
- Anthony Kiedis(アンソニー・キーディス)
- Flea(フリー)
- John Frusciante(ジョン・フルシアンテ)
- Chad Smith(チャド・スミス)
- 元メンバー
- ギタリスト
- ドラマー
- Red Hot Chili Peppersのディスコグラフィー
- 「The Red Hot CHIli Peppers」(1984)
- 「Freaky Styley」(1985)
- 「The Uplift Mofo Party Plan」(1987)
- 「Mother’s Milk」(1989)
- 「Blood Sugar Sex Magik」(1991)
- 「What hits!?」(1992・ベスト盤)
- 「Out In L.A.」(1994・未発表曲集)
- 「One Hot Minute」(1995)
- 「Californication」(1999)
- 「By the Way」(2002)
- 「Greatest Hits」(2003・ベスト盤)
- 「Live in Hyde Park」(2004・ライヴ盤)
- 「Stadium Arcadium」(2006)
- 「I’m with You」(2011)
- 「The Getaway」(2016)
- Red Hot Chili Peppersの代表曲、ミュージックビデオ(MV/PV)
- Give It Away
- Scar Tissue
- Dani California
- Red Hot Chili Peppersの名言・発言
- Anthony Kiedis編
- 「世の中には醜さと美しさが同居している事に気づかなきゃいけない」
- 「すげえ歳を取ってるのに、奥さんや彼女と強烈にイチャつく人って良いと思う。止める必要なんてないだろ?」
- 「宇宙からカーブボールを投げられて、そのカーブボールをホームランに出来ると物凄くワクワクする」
- John Frusciante編
- 「俺が影響されたギタリスト?それは前の晩にヤった相手だ」
- 「音楽というのは人間よりも大きな存在であり、人間の知識より遥かに賢い存在なんだ」
- 「友達と音楽どっちかを取るなら即答で音楽」
- Flea編
- 「人は音楽をコントロールしようとすると、抑圧してしまう事になる。ヒッピー的な感じだけど、俺の場合はエナジーを放出してありのままにさせる。それが俺の才能だ」
- 「ファンクの本質は、ファンクに忠実である事だ。ファンクによって生き、四六時中ファンクを感じている事。真の世界共通言語だよ」
- 「朝起きて、LSDを10回やる。母親の化粧品で自分を紫色に塗る。そしたら裸に紫色の身体で街へ駆け出し、通りすがりのヤツに卵を投げつける。一致団結して一つになったフリークス達についての歌を歌う。これが平均的な一日、凄く普通な日だ」
- Chad Smith編
- 「ドラムを叩くって事は、メンバーのケツを蹴り上げる様なもんさ」
- 「俺は『ドゥン』ってやるんじゃなく『ッドドゥン』って感じに引っ掛ける事が多い。こうする事で実際の拍に広がりが出て、それがハネる感じにつながってるんじゃないかな」
- Red Hot Chili Peppersの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話
- 破天荒な人生を送るAnthony Kiedis
- 愛猫の為にアルバムをリリースしたJohn Frusciante
- 多才なFlea