サザンオールスターズ / Southern All Stars

サザンオールスターズとは、タイシタレーベル所属の五人組ロックバンドである。1977年から活動しており、楽曲は夏、海をテーマとした楽曲が多い。これはバンドのボーカルで大半の楽曲の作詞作曲を手掛ける桑田佳祐が神奈川県の海水浴スポットとして有名な茅ヶ崎出身ということが関係している。夏や海をテーマとした楽曲が多いが、その曲調はロック、バラード、ヒップホップ、ジャズと幅広い。また楽曲にラブソングや男女のエロティックを題材としたものが多いのも特徴の一つである。活動初期は桑田が洋楽から影響を受けていたことから、和洋折衷の楽曲を数多く発表しており、桑田自身も「邦楽と洋楽の融合を目指していた」と発言している。しかし活動後期になるに従って、桑田曰く「日本人ミュージシャンとしての意識が強くなった」日本の邦楽的な歌謡曲的テイストの曲が多くなっている。数多くの楽曲で様々な賞を獲得しており、日本国内でも影響力の非常に強いバンドのひとつである。

サザンオールスターズ / Southern All Starsのレビュー・評価・感想

サザンオールスターズ / Southern All Stars
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時代を超えた日本の音楽シーンの伝説

サザンオールスターズは、日本の音楽シーンにおいて、その存在感と影響力を長年にわたって保ち続けているバンドです。1978年のデビュー以来、彼らの音楽は一瞬のうちに日本のポップス業界を変えていき、幅広い層に愛されていきました。バンドのボーカル&ギターリストである桑田佳祐の個性的な歌声と洗練されたポップセンスは、数々のヒット曲を生み出し、日本のポップカルチャーにおいて重要な役割を果たしてきました。

サザンオールスターズの音楽は、ジャンルにとらわれることなく、ロック、ポップ、ブルース、フォークなど様々な要素を取り入れています。彼らの楽曲は、日常生活の中のさまざまなシーンを描き出し、聴く者の心に寄り添うメッセージが込められています。例えば、「TSUNAMI」や「いとしのエリー」などの楽曲は、感動的なメロディーと深い歌詞で多くのファンの心を捉えました。

また、サザンオールスターズはライブパフォーマンスでも高い評価をがあります。エネルギッシュで親しみやすいステージングが特徴で、幅広い年齢層の観客を魅了し続けているのです。長いキャリアの中でオリジナリティを失うことなく、常に新しい音楽のトレンドを取り入れているのです。

サザンオールスターズの音楽は、単なるエンターテイメントを超え、日本人の生活や心に深く根付いたものとなっています。これからも時代を超えて多くの人々に愛され続ける、日本の音楽業界になくてはならない存在なのです。

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サザンオールスターズの魅力について。

「サザンオールスターズ」というバンドを知っていますか?
若い方だと「聞いたことがある」「親世代が歌っているので知ってる!」「UNIQLO の人や!」というのがほとんどかも知れませんが、日本のみならず、世界の人たちにも知られているほどのビッグスターなんです!

これを書いている私は歳の差婚をしているせいか、10代の子供から70代の夫、自身の親世代にあたる80代まで幅広く楽曲を聞いて楽しんでいます。そのなかで感じたことを書いていこうと思っています。

サザンオールスターズ(以下サザン)は桑田佳祐、原由子(原坊)、関口和之(ムクちゃん)、松田弘、野沢(毛ガニ)秀行の5人組です。2001年に大森隆志が脱退してからは、新しいメンバーを入れないでやっています。

「サザンといえば桑田佳祐しか知らない」「知っていても桑田の妻の原由子までしか知らない」という人も、多いのではないでしょうか?私の周りでもそんな感じです。でも日本を代表する凄いミュージシャンなのです。

サザンオタクと思われる一部のファン以外でも、楽曲は幅広く知られており、2000年1月26日に発売された「TSUNAMI」 は293万枚以上リリースされています。みなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか?
この楽曲は、発売当時「サザン史上最大の売り上げ」を記録したメガヒット・ナンバーで、初のレコード大賞を受賞した20世紀最後のシングルです。セールス記録とは対照的に、歌詞は「桑田佳祐の極めてパーソナルな想いが綴られているのも感動的」と、CDジャーナルデータベースでも言われています。
私も2000年には毎日のように歌っていた記憶があります。そして、モノマネする人も多数いたのも覚えています。
ファンじゃないと公言する人々の間にも、桑田佳祐の話題がいつも以上に出ていました。
どうしても「エロと文学の融合」と言われるサザンですが、「ほら、真面目にやったらちゃんと歌えんねん!」と、世間から評価されていました。
特に桑田佳祐と世代が近い、もしくは上の世代からは、そう評価されていたような気がします。

また「TSUNAMI」の楽曲は語り継がれる名曲ですが、2011年3月11日の東日本大震災を機に、桑田佳祐自身からは歌われなくなりました。
『桑田佳祐のやさしい夜遊び』でも、「いつか悲しみの記憶が薄れて、この曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいい」と語っています。しかし、東日本大震災の遺族からは「『TSUNAMI』を流してもいい」との声も上がっていきます。そんな中2017年、ラジオ福島で「TSUNAMI」が震災後初めて流れました。

またサザンといえば「いとしのエリー」もいい楽曲のひとつです。デビュー曲の「勝手にシンドバッド」、「気分しだいで責めないで」、1枚目のアルバム『熱い胸さわぎ』、そして「いとしのエリー」です!
この当時のサザンはパワフルかつコミカルで、エッチなサウンドかと思われていました。しかし「いとしのエリー」で「本格的なバラードも歌えるんだ、書けるんだ!実力派だ!」と世間で大きな話題となったのです。ちなみに「ドリフターズのいかりや長介に気に入られた」という逸話から、「ドリフターズに誘われた」などという話がありますが、それは話を盛りすぎているだけです。
ここまで、サザンオールスターズの初期の話をしました。

サザンオールスターズというのは桑田佳祐だけではありません。外のメンバーたちにも焦点を当てていこうと思います。
これを読んでいるみなさんのほとんどは、サザン=桑田佳祐、というイメージかもしれません。
しかし先ほども述べましたが、サザンのメンバーは桑田佳祐をはじめ5人です。

まずは、桑田佳祐(以下桑田)から詳しく紹介します。
1956 年 2 月 26 日生まれ、神奈川県茅ケ崎市生まれ。独特の歌声は学生時代にダミ声が流行しており、桑田も声を潰そうと思った結果生まれたものです。声質をより近づけるためにウイスキーを飲み、自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続ける、といったことを行っていたのです。
あの早口の歌い方も独特です。アマチュア時代および活動初期は、日本語と英語のダブルミーニングの歌詞や、早口な歌い方を取り入れていました。そのせいか、桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せたことが、テレビの音楽番組において歌詞の字幕スーパー(テロップ)が流される端緒であると噂されています。
順調に思えた歌手人生でしたが、2010年の7月に食道がんが見つかり、手術。無事手術成功し、大晦日の紅白歌合戦で復活しました。

2014 年には紫綬褒章も授与されています。また1995年4月1日から、毎週土曜日にTOKYO FMで『桑田佳祐のやさしい夜遊び』という番組を放送しています。興味のある人は1度聞いてみてください。
ソロ活動も有名で、クリスマスソングの定番となっている「白い恋人達」はサザンの楽曲ではなく、桑田のソロの楽曲です。

続いて原由子についてです。桑田佳祐の妻だとご存じの方も多いのではないかと思います。
原由子(以下、原)は1956年12月11日生まれで、神奈川県横浜市出身。愛称は原坊(ハラボー)。日本を代表する女性ミュージシャン、シンガーソングライターであり、サザンの紅一点のメンバーです。キーボードとボーカルを担当しています。
桑田は青山学院大学除籍ですが、原は青山学院大学の文学部を卒業しています。
1981年に「I Love You はひとりごと」でソロ活動をスタートさせ、サザンと併行して活動しています。単独コンサートや他のアーティストに楽曲提供を行いながら、エッセイ本も出版。CMやトーク番組、ラジオなどにも出演しています。

また、前述のとおり桑田の妻でもあります。
桑田が1年先輩で、原とは先輩後輩の仲。1975年、大学の音楽サークル“BetterDays”を結成します。2人が恋愛関係に発展したのは、結成1年前の頃だったといいます。

アマチュア時代のサザンは下北沢にあった“下北沢ロフト”で活動しており、いつも2人はジーパン姿でした。原は「原坊」と呼ばれていますが、この頃はメンバーみんなが「〇〇坊」と呼ばれ、桑田も「桑坊(クワボウ)」とよばれていたそうです。
当時は歌謡曲が全盛期でしたが、サザンはその風潮とは一味違う個性的なロックミュージックを展開しました。
すると桑田の作る曲と歌声に人々は魅了され、サザンは一躍人気になりました。
1977年、「ヤマハ」が主催したコンテスト“EastWest”に入賞し、桑田はベストボーカル賞に輝きます。そして、「ビクター」のレーベル“Invitation”からメジャーデビューが決定しました。
2人は出逢った直後、このように人生を大きく変える出来事を経験しています。

2021年8月13日の『おとなの週末Web』で、2人の結婚に関するエピソードから、印象深いものを紹介します。
桑田が25歳頃に、音楽評論家の岩田由記夫さんと道玄坂の喫茶店でコーヒーを飲んでいた時のことでした。
岩田由記夫さんが「なぜ原由子さんを選んだのか」と尋ねると、桑田はこのように答えたといいます。

“桑田佳祐は、ひょいとかがんで白い小石をひとつ、拾ってぼくに渡してくれた。答えが白い小石とは謎かけなのか、ぼくはキョトンとして、その小石をつまんだ。その表情を見て、桑田佳祐は“でしょう!”と言った。
ほとんどの女性は、俺がこうやって何でもない小石を拾って渡しても、キョトンとするだけだと思うんです。俺がこうやって小石を渡す。すると彼女は、桑田さんがくれたものなら、何か絶対に意味がある。そう思って、小石を大切に持ってくれる人なんですね。世の中に多くの女性がいても、小石を大切に持っていてくれるのはハラボーだけなんです。”
この記事で桑田の思いに感動し、同時に原の人柄も深く伝わったのではないでしょうか?

また2010年に桑田に食道がんが発覚した際、懸命にサポートしたことも知られています。
原の著書『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』に収録されている、桑田が綴った「あとがき」にも、その時の気持ちが書かれています。
「彼女はずっと僕のことをフォローしてくれて、とても有難かったし、時には“申し訳ないなぁ”という想いもあった」「そもそも、彼女に一番迷惑を掛けたのは僕だし、そんな手負いの亭主を抱えつつ、励ましながらの日々だったわけである。僕の面倒をみるだけで体力的にもキツかっただろう。でも彼女は“痛いの痒いの”をあまり言わない方なので」と原への感謝の言葉の中に、人間性についても述べています。
一方、原は「術後初めて声を出した、歩いた、ご飯を食べた、ついに歌ったとか、そんな事一つ一つが感動でした」と桑田の体調に常に目を配っていたり、病気後初の桑田のソロツアーに「実は私も自称雑用係として随行しています」と、夫に寄り添うことを楽しむかのように記述したりしています。派手でわかりやすい言葉はなくとも、夫を気遣うやわらかな文章が、この著書
にはちりばめられています。

次にサザンのベーシストであり、ウクレリアンの「ムクちゃん」こと関口和之です!
1955年12月21日生まれで、新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野̪市)出身。原の一つ先輩で、青山学院大学文学部を卒業しました。1978年にサザンのベーシストとしてメジャーデビューを果たし、1986年にアルバム『砂金』でソロ活動を開始します。
1991年にハーブ・オオタと出逢ったことをきっかけにウクレレの活動を始め、ハワイでウクレレのイベントを開催しています。また、『桃太郎電鉄シリーズ』などのゲーム音楽の作曲を手掛けています。
ミュージシャンとしての活動だけでなく、漫画やエッセイの出版、テレビドラマやラジオの出演など幅広く活動しています。
最後に松田弘です。
1956年4月4日生まれで、宮崎県出身。宮崎県立宮崎大宮高校中退。サザンの名ドラマー&コーラスです。
サザンのメンバーの中で唯一、原が産休に入ることが結成の動機となった、「KUWATA BAND」 のメンバーでもあります。

桑田は自身の著書『ロックの子』で、「とにかく歌心ってもんをとってもわかってる感じのドラマー」「あいつは貪欲なの、何に
対しても」「サザンの本島のリーダーは彼じゃないかなってのは僕は思うんですよね」と綴っています。
また1978年に松田が一時郷里に引き返したことがあった際、「ひきとめたのね、一所懸命。車の中でも口説いたの。もっとやってくれ!って」と同著の中で語るほどの人物です。声も素敵で、スイートボイスと評されています!

野沢秀行はサザンのパーカッション担当です。愛称は“毛ガニ”。1954年10月19日生まれで、東京都出身、栃木県育ち。佐野日本大学高校を卒業。個人の意見ではありますが、「サザンには、毛ガニさまのパーカッションがないとサザンではない」と感じています!
実際に桑田は「野沢の叩くコンガでありボンゴは、世界で誰にも真似ができない」「毛ガニの音は毛ガニにしか出せない」「パーカッションの重要性を、私はほとんど彼から教わった」と述べており、パーカッショニストとしての野沢へ厚い信頼を寄せています。

最後に、サザンには欠かせない人物がもうひとりいます。桑田さんの実姉である岩本えり子さんは、サザンの楽曲の英訳などに参加されていました。真偽は不明ですが『いとしのエリー』のモデルではないかといわれたこともあります。残念ながら2008年に癌で他界されていますが、私はもうひとりのサザンメンバーと呼んでもいい方だと思っています。

ちなみに、サザンオールスターズの名前の由来は、幼馴染であり同級生だった音楽評論家の宮治淳一さんが、間に合わせ的に作ったものです。
そんな粒ぞろいのサザンについて、興味を持っていただけましたか?
少しでも聞いてみたい、久しぶりにカラオケで歌ってみようかな、と思っていただけたら幸いです。

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サザンオールスターズ

サザンオールスターズは、桑田佳祐(ボーカル・ギター)関口和之(ベース)松田弘(ドラム)原由子(キーボード)野沢秀行(パーカッション)による日本のロックバンドだ。結成時は、大森隆志(ギター)も在籍していたが、後に脱退。
1978年6月25日に勝手にシンドバッドでメジャーシーンにデビューする。デビュー当時はタンクトップに短パン、スポーツタオルを首にかけるという奇抜なスタイルでテレビの歌番組に出演し注目を集めた。メンバーは青山学院大学の音楽サークルbetter daysの仲間であり、その音楽性の高さから注目をされていたため、デビュー時のスタイルに「芸能界とは、かく厳しいものなのか」とかつての同窓生達を驚かせた。
彼らが発表するシングル、アルバム等は、独特の世界観があり、特に歌詞は桑田佳祐の万葉集へのリスペクトが感じられる。また、バンドのリフレッシュのために、数年に一度、活動休止期間を設け、再開の度に斬新な楽曲及びパフォーマンスで世間を驚かせている。活動の場も音楽番組だけにとどまらず、お笑い番組等にも出演している。CDから配信へと音楽の供給スタイルが変化しても、特にアルバムにおいては曲順を考察し、スキップやシャッフルをされないよう取り組んでいる点も要注目である。

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サザンオールスターズの桑田佳祐さん

サザンの桑田さんといえば、45周年を迎えるほどの大物ミュージシャンです。「みんなのボウリング大会」をやったり、UNIQLOのCMソングを担当したり元気に活動していますね。サザンオールスターズのデビュー当時、まだ私は小さくて、少し時代がずれていますが、ドラマの主題歌にも沢山使われていましたので、馴染み深い曲ばかりでした。
そう言えば、私が思春期真最中の頃、卒業制作に各自で手作りのオルゴールを作ったのですが、その時に好きな人からプレゼントしてもらった彼の手作りのオルゴールの曲が「いとしのエリー」で、嬉しいやら、恥ずかしいやら、今となっては素敵な思い出です。それから10年後に出会った旦那さんも、偶然にもサザンが大好きな人で車の中や、仕事中・趣味の事をやる時もサザンの曲をずっと流していました。当然、そばにいた子供達も、自然にサザンの曲を聞いて育ちましたので、息子と娘が社会人に成長し、カラオケで歌う歌にサザンが入っているとは、「さすがです!」としか言えませんよね。

世代関係なく、桑田さんの歌声・歌詞・曲・人柄が愛されています。こんなにも長い時間をトップでいられるのはとても凄いことです!

コンサートに行くと、パワフルで色々な年代のファンが大勢いるのですが、きっと皆がいくつになっても「やんちゃ坊主」の桑田さんと騒ぎたいのでしょうね。

これからもサザンと共に…一緒に歳をとっていくのはとても楽しみです。

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日本を代表するバンド「サザン」

サザンオールスターズは、40年以上に渡り活躍する、日本を代表するミュージシャン(バンド)の一つです。
彼らは1978年「勝手にシンドバッド」でメジャーデビュー。当初はコミックバンドのような出立ちで、すぐに消えるバンドだろうと思われていました。しかしその翌年に「いとしのエリー」を発表し、本格的なバラードを作曲できる才能を世間に示し、人気を不動のものにしました。

その後500曲を超える作品を発表し、ボーカルの桑田佳祐氏はソロでも活動。2000年に発表した「TSUNAMI」では日本レコード大賞を受賞しました。
ファン層の年代は幅広く、若いファンがライブに参加しているのをよく見ます。

最大の魅力は桑田氏の歌唱力やパフォーマンスです。珠玉のバラードから稀代の下ネタソングもそつなく歌える歌唱力を持ち、エンターテインメントに昇華できる才能は他に類を見ません。それを支えるバンドのグルーヴも、完成された領域にあります。

2019年以降、桑田氏のソロ活動が続いていますが、日本J-POP史の伝説のような存在になっているサザンオールスターズが、更なる活躍をしてくれると期待しています。

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愛情に満ちた神と魔法と!敬し友と闘え!

サザンは、親子でファンの人達も多いです!また、クワタバンドがいいですね。
「泣かしたこともある~」ともう何十年前にもなるのでしょうか?
『愛しのエリー』は私の宝物にもなっています。「笑ってもっとベイビー~」と。
どこかで何かをつくることは、何か本物になって私たちの目に前に現れてきます。

『SMILE~晴れ渡る空のように~』は、東京オリンピックが行われる2020年にさまざまな共同企画、各種イベントやスポーツなどを彩られることになり、
民放共同企画「一緒にやろう」応援ソングとして書き下ろされたもので、本当にさわやかな空のようです!
「栄光に満ちた孤独なHERO~世の中は今日このときも悲しみの声がする~」と、桑田さんの歌を聴きながらオリンピックを観戦しました。
そんなとき桑田さんの歌に対する愛情を感じてきます。

「夢と希望の舞台!私とあなたが出逢うところ、ここから未来を始めよう!」「愛情に満ちた神と魔法と、敬いし友と闘え!」
「命の限り、幸せに!」「栄光に満ちた孤独なHEROの影に多くの人たちがいる」
「次の世代に何を残そうか?」「また、ひとつ時が動いた」という歌詞のところは大きな未来への希望と夢とを感じます。
桑田さんありがとう!

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【聞かなきゃ損】サザンオールスターズを聴いた方が良い理由

日本人ならサザンオールスターズを聴かなきゃ損です。
なぜなら、日本を代表するトップアーティストであり数々のヒット曲を生み出しているからです。
サザンオールスターズの曲は多くの人の心を動かし感動を与えてくれます。
例えば、辛い時があった時は勇気を与えてくれたり。悲しいときは励ましてくれたり。曲を聴いて『また明日も頑張ろう!』っ思える。心に歌詞が刺さりまくります。
生きていれば皆さん色んな事が沢山あると思いますが、そんな時は一度でも良いので聴いてみるのをオススメします。
「サザンオールスターズって古くない?」って思う人もいるかもしれません。
最近だと様々なアーティストの方がいますがやはりどの業界にも流行り廃りというものは存在しますよね。
サザンオールスターズの曲は言うならば王道です。流行り廃りのない音楽で老若男女、音楽を楽しむことができます。またテンションの上がる曲から、ゆったり落ち着く曲まで
色んなシーンに合わせて音楽を楽しめるのもオススメの理由です。
以上がサザンオールスターズのオススメな理由です。時代の流れに流されない本物のアーティストだと思います。これを機会に聞く人や久しぶりに聴いてみようかなと思う人には是非、人生の何か良いきっかけにでもなれば幸いです。

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伝説のバンド サザンオールスターズ

1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューし40年以上も第一線で活躍し続けるまさに伝説のバンドです。誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
サザンオールスターズのいくつかの伝説を挙げてみましょう。一つ目の伝説は、すべての年代でヒット曲を発表していることです。70年代には「いとしのエリー」、90年代には「真夏の果実」「涙のキッス」、2000年には「TSUNAMI」、2015年には「東京VICTORY」などです。およそ40年にも渡ってヒット曲を発表し続けるという伝説です。
二つ目は、曲のジャンルの多さです。これまでに挙げた「真夏の果実」や「TSUNAMI」のような心切なくなるバラードから、「勝手にシンドバッド」のようなラテンチックな曲、さらには「マンピーのG★SPOT」のようなロックまで、幅広い音楽ジャンルの曲を生み出しています。
三つ目は、日本語のロックを作ったといわれる作詞です。それまでの日本の曲は1音符に1音を載せて歌うことが当たり前でした。しかし、サザンオールスターズは洋楽のように日本語のアクセントを上手に使うことで、1音符に複数の音を詰め込むことを可能にしたのです。つまり、彼らがいなければ現在のJ-POPは無かったのです。まだまだ、現役で活躍するサザンオールスターズ。これからの活躍が楽しみです。

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日本最高のバンドです。

サザンオールスターズと言えば、皆さん一度は聴いたことがあるのではないでしょうか? それほど、代表曲が多いバンドです。大学の仲間で結成されたサザンは、仲の良さを感じさせてくれるのも魅力です。
サザンの特徴は、曲の振り幅の広さです。70年代から10年代まで、全てで1位を取っています。デビュー曲「勝手にシンドバット」に代表されるようなアップテンポの曲から、「エロティカセブン」「マンピーのGspot」などのエロスをコミカルに表現した曲、「真夏の果実」や「tsunami」のような正統派バラードも歌いこなします。
私がお勧めしたい曲を挙げさせていただきます。
まずは、「いとしのエリー」です。これは、ドラマの主題歌として発売された正統派バラードです。あのレイチャールズも「エリーマイラブ」という曲名でカバーするぐらいです。歌詞やメロディーもいいですが、イントロが特に最高です。桑田さんのかすれた声で歌いあげることにより、哀愁の漂う恋を感じさせてくれます。
次に挙げるのは「希望の轍」です。こちらもイントロが最高なのですが、それだけではありません。サザンと言えば、海、湘南、茅ケ崎を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。海辺をドライブしながらかける曲にぴったりな曲です。夏の疾走感を感じさせてくれ、何歳になっても青春を思い出させてくれる素晴らしい曲になっています。
他にも多数名曲がありますので、きっとあなたのお気に入りに出会えると思います。

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サザンは本当にすごい!

サザンのすごいところ、それは、色んなジャンルの曲があることです。バラードや、ロック、歌謡曲、ポップス的なところもあり、本当にすごいと思います。しかもデビューから41年たつのに、いまだにヒット曲がたくさんあって、老若男女の人に聞かれ続けていることろは、すごいと思います。サザンをあまり聞いたことがない人でも必ず1曲は聞いたことがあるということがすごいです。そしてメンバーの人柄の良さもサザンの魅力の一つです。もしもサザンがいなかったら、今の日本の音楽業界はさらにつまらなくなると思います。桑田さんの音楽に対する情熱も本当にすごいと思います。1曲1曲手を抜かず、アルバム曲でも本当にいい曲がたくさんあり、本当にすごいのです。エロい曲あり、泣ける曲あり、本当に素晴らしいと思います。そして何度聞いても全く飽きないし、聞くたびに胸がキュンとなります。サザンは本当にすばらしいバンドだと思います。ぜひ今まであまりサザンを聞いたことのない人も一度じっくりと聞いてみてほしいです。コンサートも音楽だけでなく、映像やトークも最高です。本当にサザンなしの人生はありえないと思います。これからも健康に気を付けてずっと日本をリードしてほしいです。

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心に染みるサザンオールスターズの名曲

日本人であれば「サザンオールスターズ」と言う名は必ず知っているといってもいいほどのビックバンドですよね。サザンオールスターズの曲を聴いていると「心に染みてくる」という表現がものすごく当てはまります。名曲というのはこういうものだ!と教えられているような気がします。
私が一番好きな曲は『TSUNAMI』です。TSUNAMIは2000年にリリースされた名曲で、この曲はギターで弾こうとするとコード進行が非常に複雑で難しいのです。こだわり抜かれたメロディーラインなのだなと言うのがよくわかり、心にそっと流れてくるように心地が良いです。波の音を聞いているかのようなメロディーがものすごく魅力的です。そして何と言っても歌詞がものすごく素敵で、「人は涙見せずに大人になれない」と言う2番のサビの歌詞が特に大好きです。桑田佳祐さんは一体どんな人生経験をしてきたのかとうらやなましいほど素敵な歌詞がたくさん書かれていて、いつまでも聴き続けたいですし、次の世代にも「サザンオールスターズ」と言うビックバンドの名を語り広げていきたいなと思います。まだまだ現役バリンばりのサザンオールスターズですので、これからの素敵な曲が世の中に出ることを期待して待っていたいなと思います。これからもサザンオールスターズを応援し続けます。

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サザンの魅力解説

昨年40周年を迎えたサザンオールスターズ。たくさんの魅力があります。ロック系の曲、バラード、歌謡曲など本当にバリエーションがあり、何年聞いても全く飽きさせない魅力があります。40年の間にいろんな音で日本中を元気づけたり、感動させたり……本当にすごいと思います。そして、何より、メンバーの人柄も本当に素敵です。誰一人、自分が、自分が、という人がいなく、桑田さんをみんなで支えたいという気持ちが伝わってくるし、反対に桑田さんも他のメンバーのことを信頼していることが素敵だなと思います。売れた曲はもちろんのこと、コアな曲も手を抜くことなく、作り上げていることが伝わり、メンバー皆本当に音楽を愛していることが伝わるから、サザンを聞いている時間が本当に幸せだと思います。大学時代からずっと一つのことを40年間出来ることが素晴らしいと思います。テレビのインタビューで桑田さんのことを「枯れない泉」とほかのメンバーが証言していまいたが、まさにその通りだと思います。41年目以降もきっと日本を元気づけ、感動させ、笑顔にし続けることは間違いなく、これからの活動が本当に楽しみです。体に気を付けてずっと活躍してほしいです。

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国民的ロックバンド

言わずと知れた国民的ロックバンド「サザンオールスターズ」メインボーカルであり、リーダーの桑田佳祐を中心とした五人組。1978年にデビューして以来40年以上もの間、日本のエンターテイメント界のトップを走り続けている。
デビュー曲『勝手にシンドバッド』で日本語をぶっ壊したかと思えば『いとしのエリー』では日本人の琴線に触れる珠玉のバラードを披露。サザンオールスターズというバンドの懐の深さをみせつけた。
その後、ボーカルの桑田佳祐とキーボードの原由子が結婚、原の妊娠中にサザンの長い活動の中でも歴史的な名盤『KAMAKURA」が発売される。当時のサザンとしてはかなり実験的にデジタルサウンドを取り入れており、当時このアルバムを聴いた小室哲哉は「サザンもこういう音楽やるんだ」とびっくりしたそう。
その後、何度かの活動休止や個々のソロ活動などを繰り返しながら、サザンとして新曲を出し、アルバム発表、全国ツアーといったサイクルで活動を重ね、年越しライブはサザンの代名詞的なものとなりました。
そんな彼らもメンバー全員、還暦を超えちょっとゆったりとしたペースで音楽と向き合い、年齢にあった音楽を我々ファンに提供してくれればなと思う。

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サザンの評価・レビュー

サザンオールスターズはデビューから40年以上経った今でも第一線で活躍するミュージシャンです。楽曲はほぼ全て桑田佳祐の作詞作曲です。通常のミュージシャンは長く続けていくうちにいい曲が書けなくなったり曲調が似通ってきたりしますが、サザンオールスターズに関しては似通った曲調が少なく、常に新鮮で新曲が待ち遠しくなります。歌詞に関しては少しクセがあり多様するフレーズなどがありますが、桑田佳祐らしさを感じます。個々の楽曲についてはアップテンポなものからロック調、バラードとバラエティー豊富ですが、特に評価が高くファンにも人気が高いのがバラードです。初期に大ヒットした「いとしのエリー」や1990年代の「涙のキッス」、2000年代の「TSUNAMI」がその代表です。その他にもアルバム収録のみの隠れた名曲なども多く、飽きの来ないミュージシャンと言えます。また、コミックソングや政治的な楽曲も多く、歌詞の内容の幅は広いですが基本的には他のJ-POPミュージシャンと同様に恋愛をテーマにした楽曲が多数を占めます。桑田佳祐は活動開始から年月を経ても作詞作曲の質が落ちない稀有なミュージシャンですが、最近は以前のような大ヒットで歌い継がれるような楽曲が見られないので今後の活躍に期待したいと思います。

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夏を感じられるサザンオールスターズ

サザンオールスターズは、1974年に青山学院大学の学生により結成されたミュージックグループです。所属芸能事務所はアミューズで、所属レコード会社はJVC KENWOOD・ビクターテンターテインメントでした。
公式のファンクラブはかつてから立ち上げられていて、そのファンクラブ名は「サザンオールスターズ応援団」です。
彼らがデビューしたのは1978年のことで、そのデビュー曲は「勝手にシンドバッド」でした。彼らの名前を有名にしたのは1979年にリリースされた「いとしのエリー」です。この楽曲は有名なテレビ番組の主題歌になったこともあり、多くの人が耳にすることとなります。
その後、1980年代には「チャコの海岸物語」や「BYE BYE My Love」などが大ヒットしました。1990年代になると、「涙のキッス」・「エロティカ・セブン」・「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」・「愛の言霊 〜Spiritual Message〜」などがミリオンヒットとなりました。更に「ホテルパシフィック」や、「ツナミ」、「涙の海で抱かれたい」などがダブルミリオンを記録しました。2010年には「ピースとハイライト」がオリコンチャートで第一位を獲得しました。

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まだまだ衰えを知らない

サザンオールスターズは、1974年から活動が始まり1978年にリリースした「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューしているバンドである。活動休止、再開を繰り返しながらも40周年を迎えた国民的なバンドである。ほとんどの曲が作詞、作曲をボーカルの桑田佳祐が担当しており、そのほとんどがヒット曲へと繫がっている。
サザンオールスターズは、これまで数々のヒット曲をリリースし、多くの人がサザンオールスターズの曲に魅了されている。こんなにも魅了されている理由は、私の見解では三点ある。先ずは、ボーカルの歌声である。ほとんどの曲を、桑田佳祐が歌っているが、その歌声が誰にも真似できないような渋く、時には高音の素晴らしい声にある。また、いくつかの曲はバンドメンバーの原由子が歌っているが、これまた声が美しく、柔らかく包み込まれるような癒される声を持っている。次に、歌詞の日本語と英語の使い方がとても上手いところにある。他の作詞家が認めるほど、言語が違えども上手く歌詞が融合している曲を作っているところにある。三点目に、サザンオールスターズの多くの曲は聴けば聴くほど中毒性があり、歌詞や曲調など時には面白く、時にはしっとりと聴かせてくれる曲が多い。最後に、これからもサザンオールスターズは、まだまだ衰えを知らない進化し続けるバンドであろう。これからも楽しみである。

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何十年たっても色あせない

サザンオールスターズほどすごいミュージャンはいるのでしょうか?
私はサザンオールスターズのファン歴は長く30年近くになります。それでも全く色あせないのがすごいです。30年前の曲も最近の曲でも古い、新しい。という感覚がないです。歌詞もとても工夫されているのかな?と、思っています。昔の曲を聴いていても違和感や、今の子が聴いて「なに、それ?」と、思うような歌詞がありません。例えば「ポケベル」です。今私が聴くと「懐かし」ですし、若い子が聴くと「なに、それ?」となってしまいます。サザンオールスターズの歌詞にはそういった言葉がないと思います。なので、普通に聴くことができます。
それと、もう一つ凄いことは年齢層が広いことです。昔も今もサザンオールスターズは若い子もすこし年配にも人気があります。楽曲のパターンは豊富ですが私はサザンオールスターズといえばバラードが一番です。歌詞がとにかく切なく、桑田佳祐の声がまた最高。メロディーも優しくて何度聴いても飽きません。しかも、歌詞が聞き取りやすく歌っているので心に響きます。これぞバラードといった曲がたくさんあります。大好きなグループです。

サザンオールスターズ / Southern All Stars
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日本のロックモンスター・サザンオールスターズ!!

サザンオールスターズの名前を知っている人は、多いかと思います。では、サザンオールスターズがデビューしたのはいつか、知っていますか?2000年?1990年?いやいや、なんと1978年なのです。2018年をもってデビュー40周年!デビューして長い期間の経つミュージシャンは結構いますが、これだけの人気を保ち続けているミュージシャンは、そうそういないのではないでしょうか?あのビートルズでさえデビューは1962年。サザンオールスターズより16年しか前ではないのです。ビートルズというと、もうロックのクラシックという感じ。それに比べてサザンオールスターズはまだ現役バンドの匂いプンプンです。

デビュー第1作は「TENなんばあずカラット」。あまりにも有名なデビュー曲「勝手にシンドバッド」を含んで」いますが、まだ地味で、ツボミ的な感じがします。その後しばらくは、こういった作風のアルバムが続きますが、それでもサザンオールスターズ(特に桑田佳祐)の並々ならぬ才能の片鱗を感じる楽曲を随所に見ることができます。
転機となったのは、1984年発売のアルバム、「人気者で行こう」です。ポップ性と高い音楽性を融合させ、多大なセールスを記録したのでした。そして次が「ある意味最高傑作ともいえる2枚組アルバム「Kamakura」(1986発売)。このアルバムでサザンオールスターズは、「コミックバンド」のイメージを完全に払拭し、日本のミュージックシーンの頂点に立ったのです。

サザンオールスターズ / Southern All Stars
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サザンオールスターズの絶大な魅力

サザンオールスターズは日本を代表するアーティストといっても過言ではないでしょう。
桑田佳祐の歌声に幾度も涙しました。歌詞やメロディーが人の心を動かす力があり、音楽の世界にどっぷりとひたりたい時に聞きます。
大好きな作品があまりにも多すぎて、迷うのですが、中でも私にとって永遠の名曲を上げていきます。まずは、いとしのエリーです。優しい気持ちになれます。イライラした時でも自分を慰めてくれているような感覚になります。涙のキッスもいい曲だと思います。なんだか、心が軽やかになるような、真夏の果実も忘れてはいけませんね。独特のメロディーが印象的でいい曲だと思います。TSUNAMIは、いつも頭から離れない曲です。歌詞が素敵で世界観にどっぷりひたることができる名曲です。
桑田佳祐さんと原由子さんご夫婦を尊敬しています。何だか飾らない、気取らない、そういうご夫婦だと思います。原由子さんの優しさが夫を大きく包み込んでいると思います。彼女の存在があるからこそ、いい曲がたくさん生まれるのだと思います。これからも、メンバーと共にたくさんの人達を魅了するグループでいて欲しいとおもいます。彼らの曲は永遠に語り継がれていくでしょう。