コロナ禍だからこそ観る意味、明日を生きると言うこと
3.11被災者である主人公の女子高生・岩戸鈴芽がある日壮麗な青年・宗像草太と出会い、バディを組んで日本各地にある「扉」を戸締まりしていく話。
不思議な猫のダイジンを追いかけて、時に導かれる様に、舞台は九州・宮崎から、愛媛、兵庫、東京、そして鈴芽の生まれ故郷である東北へ。夏も残暑が過ぎた頃、一週間にも満たないだろうその時間の中で、忘れられていく場所を想い、人と土地の記憶と向き合っていく鈴芽と草太の姿に、つい忘れていってしまう大切だった筈のことを思い出させてくれます。
新海誠監督の描く圧倒的な、美しい映像に、RAD WIMPS野田洋次郎さんの音楽が合わさることで産まれる無類の世界を表現してくれます。
登場する人物の心象表現も丁寧で、鈴芽や草太がお互いに真っ直ぐに正直に向き合う姿には、コロナ禍で忘れてしまわれた様に感じる人同士の付き合いの温かさを必ずや思い出させてくれます。
私たちには忘れてはいけない過去があり、私たちが未来へ続く明日を生きていくのだと言うことの意味を感じさせる作品です。
新海監督の集大成と言う言葉通りの作品だと思いました。ただ、一度見ただけでは全ての意味や伏線が理解できないと思いうけれど、この作品は何度でも見ることにもとても価値があるのではないでしょうか。