左利きのベースプレイヤー ポールマッカートニーの「仕事」
今やサーの称号を持つ Paul McCartney。2015年にはビートルズ時代から約50年ぶりに武道館ライブを実現させました。
その長い音楽人生の間に数多くのことを成し遂げてきたポール。彼の仕事を振り返ってみます。
ビートルズ時代 1962年〜1970年
ビートルズ解散直後
WINGS 時代 1971年〜1981年
1971年、ポールはウイングスを結成します。
メンバーは妻のリンダ(音楽の経験が乏しかったが、キーボードや歌で参加)の他、メンバーの入れ替わりは激しかったようです。
それでもウイングスでは数々のヒット曲が生まれました。
1980年にはビートルズ解散後初めての来日をしますが、この時はマリファナの不法所持で入国してすぐに当局に逮捕され、コンサートは中止に。
ウイングスも翌年には解散となりました。
そして1980年12月、ジョン・レノンが射殺されるという事件が起こりました。
ポールは大変なショックを受けてしばらくは引きこもり状態になったそうです。
1980年代
その後1980年代は、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダーら大物ミュージシャンとデュエットをしたり、1984年には自らが脚本・音楽を手がけ、主演した初の映画作品「ヤァ!ブロードストリート」を制作。
しかし興行的にはあまり成功しませんでした
1990年代
初めての単独日本公演
1990年3月に、ようやく日本公演が実現。筆者も数日間行われたコンサートの中1日を、東京ドームに足を運んで、ポールとリンダが一緒にステージに立って歌うのをこの目でみることができました。
1990年代に入ると、ポールの活動はロックという範疇を超えていきます。
ロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団創立150周年を記念したポール初のクラシック作品「リバプール・オラトリオ」が90年代前半に上演されました。
アンソロジー・プロジェクト
まさか解散から25年もたって、再び「新曲」が聞けるとは思いませんでした。
1998年リンダ死去。ポールはかけがえのない人を失いました。
リンダとの間に生まれた次女ステラは現在「ステラ・マッカートニー」ブランドのトップとして有名になっています。