Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)の徹底解説まとめ

ジャコ・パストリアスとは、アメリカのエレクトリックベース奏者、作編曲家である。フレットレス・ベースを用いた驚異的な技巧で、リズム楽器だったベースをメロディ楽器の主役へと昇華させた。1976年に『ジャコ・パストリアスの肖像』でソロデビューし、同年ウェザー・リポートに加入。世界を席巻した。パット・メセニーやジョニ・ミッチェルとの共演などジャンルを超えて活動し、音楽史に不滅の足跡を残した。エレクトリック・ベースをアンサンブルの花形へと押し上げた伝説的ミュージシャンである。

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Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)の概要

ジャコ・パストリアスとは、アメリカ合衆国出身のエレクトリックベース奏者、作編曲家である。1951年12月1日生まれ。ジャズやフュージョンの領域で革新的な足跡を残し、エレクトリック・ベースをアンサンブルの花形へと押し上げた伝説的ミュージシャンである。
1975年にパット・メセニーの初リーダー作へ参加して頭角を現すと、翌1976年にはソロデビュー作『ジャコ・パストリアスの肖像』を発表。同年、伝説的バンド「ウェザー・リポート」に加入し、その名を世界に轟かせた。
ジャコはエレクトリックベース、特にフレットレス・ベースを用いた驚異的なテクニックで知られる。それまでリズム楽器としての側面が強かったベースを、メロディを奏でるアンサンブルの花形楽器へと昇華させた。ジョニ・ミッチェルのアルバムへの参加など、ジャンルを超えた活動でも音楽史に多大な影響を与えている。

Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)の活動経歴

音楽的ルーツと「ベース・オブ・ドゥーム」の誕生

1951年ペンシルベニア州に生まれ、後にフロリダで育ったジャコは、幼少期から聖歌隊で音楽素養を磨いた。当初はドラマーとして活動していたが、13歳の時にフットボールの試合で左手首を骨折したことを機にベーシストへ転向。この挫折が音楽史を変える転機となった。
彼はフェンダー・ジャズベースのフレットを自ら抜き、指板を船舶用エポキシ樹脂でコーティングした独自の「フレットレス・ベース」を作り上げ、アコースティック社のアンブと組み合わせて唯一無二のトーンを確立した。愛称の「Jaco」は、憧れの野球審判ジョッコ・コンランにちなんだニックネームを友人がフランス風に綴ったものを気に入り、自ら名乗るようになったものである。

デビューと黄金時代の幕開け

1975年にパット・メセニーの初リーダー作に参加して頭角を現すと、1976年にはソロデビュー作『ジャコ・パストリアスの肖像』を発表。ベース一台でチャーリー・パーカーの難曲を演奏する驚異的な技巧は世界を震撼させた。
同年、ジョー・ザヴィヌル率いる「ウェザー・リポート」に加入し、アルバム『ヘヴィ・ウェザー』などのヒットに大きく貢献。単なる演奏家にとどまらず、作曲や共同プロデュースも手掛けるバンドの顔となった。また、同時期にはジョニ・ミッチェルの作品やツアーにも参加し、フォークやロックの枠組みを超えた独創的なベースラインを提供して黄金時代を築き上げた。
1981年にはワーナー・ブラザースと契約し、自身のビッグバンドを率いたセカンド・ソロ・アルバム『ワード・オブ・マウス』をリリースした。
翌1982年にウェザー・リポートを脱退すると、活動の主軸を自らのバンドへと移し、同年のオーレックス・ジャズ・フェスティバルでの来日公演では、東京ユニオンのメンバーらを含む大編成で圧倒的なパフォーマンスを披露し大成功を収めた。この時期の彼は、ベースという楽器の限界を超え、ホーン・セクションを駆使した重厚なアンサンブルを構築する作曲家・指揮者としての才能を遺憾なく発揮していた。

悲劇的な最期

輝かしいキャリアの裏側で、1980年代初頭からジャコの私生活は荒廃し始めた。二人目の妻との離婚を機に双極性障害が悪化し、コカインやアルコールへの依存が深まっていった。来日ツアー中にも奇行が目立つようになり、帰国後は精神病院への入退院を繰り返した。
1986年にはアパートを追い出されてニューヨークの街角で路上生活を送るまでになり、かつての仲間からも疎遠にされ、多くのジャズ・クラブから出入り禁止処分を受けるなど、音楽業界から孤立していく。しかし、そのような過酷な状況下でも小規模なギグやセッションを続け、再起を画策し続けていた。

1987年9月11日、故郷フロリダのクラブへの入店を巡ってガードマンと激しい乱闘になり、コンクリートに頭部を強打して脳挫傷を負った。意識不明の重体が続く中、回復の兆しが見られないことから家族の決断により人工呼吸器が外され、同年9月21日、35歳の若さでこの世を去った。

Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)のプロフィール・人物像

ジャコ・パストリアス(本名ジョン・フランシス・パストリアス三世)は、1951年12月1日、ペンシルバニア州ノリスタウンに生まれる。7才でフロリダのフォート・ローダーデイルに移住。祖父は軍楽隊のドラム軍曹、父もシンガー&ドラマーとして生計を立てていたこともあり、ジャコも最初はドラマーを目指していた。しかし、13歳の時にフットボールの試合で左手首を骨折し、ドラムの継続を断念してベーシストへ転向した。愛称の「Jaco」は、メジャーリーグの審判ジョッコ・コンランにちなんだ幼少期のニックネーム「Jocko」を、音楽仲間の綴り間違いをきっかけにフランス風の「Jaco」として気に入り、定着させたものである。
ジャコの演奏は、それまでのベースの常識を覆す高度なテクニックに支えられていた。右手の親指をブリッジ側のピックアップに固定し、人差し指と中指を伸ばしたまま根元から動かす独自のピッキングにより、極めて速いパッセージを正確に奏でた。また、スラップ奏法は用いなかったが、手のひらで指板を叩くパーカッシブな奏法や、親指を使った複雑なピッキング・ハーモニクスを駆使し、1本のベースから多彩なトーンを引き出した。演奏中も頻繁にボリュームやトーンのノブを調整する姿からは、理想の「サウンド」に対する並外れた執着心が窺える。
スタジオ録音では「ダブル・トラッキング」という手法を好んで用い、フレットレス・ベース特有の微妙なピッチのズレを活かしたコーラス効果を生み出した。ライブではMXR社のデジタル・ディレイを使用してこの効果を再現したほか、初歩的なサンプリング機能を使って自らのフレーズをループさせ、その上でソロを弾くといった当時としては先駆的なパフォーマンスを披露していた。これらの技術は「Portrait of Tracy」や「Continuum」といった名曲において、幻想的で重厚な世界観を構築する不可欠な要素となっている。
ライブでのジャコは、卓越した演奏技術だけでなく、観客を魅了するエンターテイナーとしての側面も強かった。ディストーションを効かせた激しいソロの終盤、フィードバックが鳴り響く中でベースを床に置き、忽然とステージから姿を消す演出や、ジミ・ヘンドリックスのフレーズを引用したプレイが有名である。また、興奮が最高潮に達すると「カニ歩き」と称される素早い横歩きでステージを駆け回り、時には野性味溢れるシャウトを上げた。

使用していたベース

ベースオブドゥームのレプリカ

ジャコは自分の使っていたベースに名前をつけていた。有名なのがベースオブドゥームである。
フェンダーのジャズベースを改造し、フレットレスの状態にしてある。
しかし、盗まれたという話もあり、どこにあるのかわからなくなっている。

Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)のディスコグラフィー

ソロ・アルバム

『ジャコ・パストリアスの肖像』

1976年8月発売

1. 「ドナ・リー / Donna Lee」
2. 「カム・オン、カム・オーヴァー / Come On, Come Over」
3. 「コンティニューム / Continuum」
4. 「クル / Kuru (Speak Like a Child)」
5. 「トレイシーの肖像 / Portrait of Tracy」
6. 「オーパス・ポーカス / Opus Pocus」
7. 「オコンコレ・イ・トロンパ / Okonkole Y Trompa」
8. 「(ユースド・トゥ・ビィ・ア) チャ・チャ / (Used to Be a) Cha-Cha」
9. 「忘れ去られた愛 / Forgotten Love」

1976年に発表されたジャコ・パストリアスのソロ・デビュー・アルバムである。エレクトリック・ベースをリズム楽器から主役のソロ楽器へと進化させ、ジャズやフュージョンの歴史を塗り替えた金字塔的作品として知られている。

『ワード・オブ・マウス』

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