グロ注意!世にも恐ろしい食人鬼6人が語った人肉の味とは【カニバリズム】
人間にとって最大のタブーであるカニバリズムを犯し、人の肉を口にし続けた恐ろしい猟奇殺人犯6人を紹介。旧ソ連の食人鬼ニコライ・デュマガリエフなど、彼らのプロフィールや犯行手口をまとめました。人肉の味についての感想も載せています。
はじめに
本まとめでは実際に人肉嗜食が行われた殺人事件から、人肉がどんな味がするものなのかを探ります。
人肉嗜食
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「人肉嗜食とは、特殊な心理状態での殺人に時折見られる人肉捕食等のことで、緊急性がなく、かつ社会的な裏づけ(必要性)のない行為である。多くは猟奇殺人に伴う死体損壊として現れる。文明社会では、直接殺人を犯さずとも死体損壊等の罪に問われる内容であり、それ以前に、倫理的な面からも容認されない行為タブーである食のタブーとされる。」
こちらはカニバリズムのWikipedia。言葉の語源などが分かります。
アンドレイ・チカチーロと並び称される旧ソ連最悪の食人鬼 ニコライ・デュマガリエフ
ニコライ・デュマガリエフ
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1952年生。旧ソビエト連邦カザフ出身。
50人以上の女を殺して食べた食人鬼。その肉で伝統のカザフスタン料理を調理をして、友達にも振舞っていた。性的なカニバリズムではなく、人を食べるという行為自体を楽しんだ。
ニコライ・デュマガリエフは「ソビエトが産んだ連続殺人鬼」。人を食べるという行為そのものを楽しんだという。彼は捕まった後、警官に「鍋で煮ていた頭? あれは公園で出会った女のものだ。2人でお茶して、部屋に連れて行った。女はセックスしたがったが、俺は興味がない。殺すと直ぐに調理にかかった。人の肉は日持ちしないからね」「女の喉を掻き切ったら、まず血を飲むんだ。そして、乳房を切り取ってフライにする。これは猪のような味がする。それから部分ごとに切り分けて調理して行くんだ」と語っている。
ハノーファーの吸血鬼 フリッツ・ハールマン
フリッツ・ハールマン
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1879年生。ドイツ・ハノーファー出身。
若い男の喉を食い破って殺し、自らが営む肉屋で販売したと言われる。
犠牲者の数はわかっているだけでも27人、本人は48人殺したと豪語した。
第一次世界大戦後の物資不足の中で、常に新鮮な肉を売るハールマンの店は繁盛をした。
この事件の影響で、ハノーファーでは今でも菜食主義者が多いらしい。
殺人博物館〜フリッツ・ハールマン
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フリッツ・ハールマンは1919年から1924年にかけて少なくとも24人を殺害している殺人鬼。主に若い男性浮浪者や男娼を狙い、行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害したという。
ハールマンは手際よく肉を切りさばき、少し古くなったら自慢の腸詰を作った。その腸詰がまた美味で、飛ぶように売れたと語っているが、これを裏付ける証拠は無い。
人肉ホットドッグを売る肉屋 ゲオルグ・カール・グロスマン
ゲオルグ・カール・グロスマン
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1863年生。ドイツ出身。
浮浪者の女を家に連れ込み性交後殺害。
自分が食べて余った肉は、闇市に卸しホットドッグとして販売した。
ゲオルグ・カール・グロスマンはドイツ出身の殺人鬼。彼は動物や人間を相手に性交を行い、射精すると殺害し、調理したという。
人肉を市場に流通させようとした男 カール・デンケ
カール・デンケ
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1870年生。ドイツ出身。
町の名士だったカール・デンケは、食料不足の中、人肉を市場に流通させる事業をはじめることを思い立ち、商品開発のために50人程度の浮浪者を殺害した。
カール・デンケはドイツの町の名士。彼は食糧不足になった時に人肉を流通させることを思いついた。その商品開発の過程でデンケは多くの人肉を口にしている。生来のまじめさで、年齢や性別による肉の性質や味、加えられるべき適切な塩加減等について詳細にメモをとったという。商品開発の段階で、召使いや女中たちはマーケッティング調査の犠牲になった。また彼らの食事には必ず「商品」が供され、食後にはアンケートの提出が義務づけられた。
人肉を主食にした「ミルウォーキーの食人鬼」 ジェフリー・ダーマー
ジェフリー・ダーマー
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1960年生。オハイオ州ミルウォーキー出身。
「ミルウォーキーの食人鬼」の異名を持つ。
1978年から1991年にかけて、主にオハイオ州やウィスコンシン州で17人の青少年を絞殺し、その後に死姦、死体切断、人肉食を行った。逮捕時、部屋に人肉以外の食料がなかったことから、人肉を主食として生活をしていたと言われている。
ジェフリー・ダーマーはオハイオ州ミルウォーキー出身の食人鬼。彼は1978年から1991年にかけて17人の青少年を絞殺。
彼が逮捕された時、冷蔵庫の中には4つの頭部といくつもの肉片が保存されていた。ファイリング・キャビネットの上段には3つの頭蓋骨、下段には各部の骨が、箱の1つには2つの頭蓋骨とおぞましい写真アルバムが収納された。また鍋の中では2つの頭部が煮えて崩れかけており、その他の容器も手足や臓物でいっぱいだった。ガラス瓶の中には男性器がホルマリン漬けにされており、玄関に置かれた青い樽は塩酸で充たされ、中では3つの胴体が溶解されていた。
更に恐ろしいことに、冷蔵庫の中には人肉の他に食料らしいものがまるでなかった。このことはダーマーが被害者を食べて暮らしていたことを示唆していた。
後の法廷でダーマーは、切断した身体の一部を切り取っては、塩とこしょうで味付けして食べていたと証言している。
児童ばかり400人殺害した「ブルックリンの吸血鬼」 アルバート・フィッシュ
アルバート・フィッシュ
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1870年生。ワシントン出身。
多数の児童を暴行して殺害。400人殺したと自供している。
「満月の狂人」「グレイマン」「ブルックリンの吸血鬼」の異名を持つ。
アルバート・フィッシュはアメリカのシリアルキラー。多くの子どもを撲殺しており、中には食べる目的で殺された児童もいる。犯行が満月の日に行われたことが多かったことから「満月の狂人」という異名を持つ。
彼はある少女を殺害した後、彼女の両親に手紙を届けた。そこに書かれていたとされるのが以下の内容だ。
「私は彼女を絞殺しました。それから、彼女を小さくコマ切りにし、そのようにして私の肉を私の部屋に運び入れました。調理し、食べました。オーブンで焼いた彼女の小さなお尻の、なんて甘美で柔らかだったことでしょうか。彼女の全部を食べるのに9日間要しました。私が望むなら彼女をレイプできましたが、それは行いませんでした。彼女は処女のまま天に召されたのです」
その他にも少年を殺して食べた際の様子を弁護人に「まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉でシチューを作りました。たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました。なかなかいい味でした。
お尻の肉は二つに切り分けて、おちんちんと一緒に皿に置き、細かく刻んだベーコンを載せてオーブンに入れました。15分ほど焼いたところで、ソースを作るために半リットルの水をかけ、タマネギを4つ入れました。そして肉が焦げないように、たびたび木のスプーンで肉汁をかけました。
2時間ほどすると、肉はこんがりと焼き上がりました。ぽっちゃりした坊やのお尻のおいしいことといったら、ローストターキーなんか比べものになりません。私は4日かけて、そっくり平らげました。小さなおちんちんはナッツみたいで美味でしたが、睾丸は硬すぎて噛み切れないのでトイレに棄てました」と語っている。