Tahiti 80(タヒチ80)の徹底解説まとめ

Tahiti 80(タヒチ80)とは、フランスのルーアンで結成されたポップ・ロックバンド。1992年ごろに結成され、1993年から本格的な活動を開始。1999年にアルバム『Puzzle』でデビューを果たし、渋谷系サウンドが全盛を迎えていた日本で特に高い人気を獲得する。流行や音楽シーンの変化に迎合することなく、穏やかで普遍的なポップソングという音楽性を一貫しており、「続けること」そのものを体現する姿勢で愛され続けている。

Changes

Tahiti 80「Changes」

3rdアルバム『Fosbury』に収録の一曲。彼らのベースとなるフレンチポップの要素は残しつつ、そこにエレクトロニカなダンスチューンやソウルのようなブラックミュージックサウンドなどを織り交ぜたサウンドが特徴となっている。1st、2ndアルバムと、いわゆるフレンチポップ路線を色濃く出した作品をリリースしてきた彼らにとって、この3作目は挑戦的な1枚であったことがうかがえる。

Tahiti 80(タヒチ80)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

日本での人気獲得の立役者は小山田圭吾

Tahiti 80が日本でブレイクするきっかけを作った小山田圭吾

Tahiti 80の日本での知名度を上げるのにきっかけを作ったのは、フリッパーズギターやCorneliusとして活躍し、日本の音楽界で第一線を走っている小山田圭吾だ。彼にデモテープが渡ったことがきっかけで、小山田圭吾セレクトのコンピレーションアルバムにTahiti 80の楽曲が収録されることになり、その音楽性は徐々に日本の音楽ファンに浸透していったのである。時代的にも、日本はいわゆる90年代前半にピークであった「渋谷系」といったオシャレ音楽が衰退していた状況だったため、このタイミングでフランスからやってきた彼等の登場は衝撃をもたらしたのだ。
こうした背景もあり、Tahiti 80は当時の世界の音楽シーンでややおとなしめな印象があった「フランスミュージック界」というものを、再度アピールするのに一役買ったアーティストでもあるといえる。
小山田圭吾との関連性、そして、日本人が渇望していた渋谷系オシャレ音楽、これらの条件を満たしたTahiti 80の日本での人気は、本国フランスや音楽先進国であるアメリカ、イギリスよりも顕著だったことで知られている。彼らのポップセンスを高く評価し、世に送り出す一助となった小山田圭吾の慧眼には感服せざるを得ない。

keeper
keeper
@keeper

目次 - Contents