わたなべまさこさんの作品における、「乙女チック」「かわいらしさ」の追求には、幼少期の経験が関係しているのではないかと考えられます。
幼いころから「振袖や赤の草履をねだって買ってもらい、うれしくて抱きながら眠りについた」……などというエピソードを持つわたなべさんは、「好き」「カワイイ」という意識に非常に敏感なお子さんだったのではないかと考えられます。
わたなべさんの作品を現代の感覚で見ていても、作りこまれたイラストは細部まで「カワイイ」が凝縮されていますが、当時から美的感覚が冴えていたのでしょう。
初恋の人はロダンの「考える人」というエピソードからも、常人離れした感性を思わされます。
しかしそんなわたなべさん、清く正しいお嬢様だっただけではなく、木のツタにつかまって「あーああー♪」と叫ぶ「ターザンごっこ」にハマっていたというお茶目すぎるエピソードも持っています。
乙女的で繊細なかわいらしさと、自然の力強さをあわせもつというまさにわたなべさんの作風を体現するような幼少期ですね。
わたなべさんは、第二次世界大戦まっただなかに思春期を過ごすこととなります。
幼少期から大人びたセンスを持っていたわたなべさんは、その後19歳という若さで結婚→出産→同時期にマンガ家デビュー!という怒涛の転換期を見せるのですが、彼女のそうしたたくましさの影には、戦争経験も少なからず関係しているのではないかと思います。
現在の中学にあたる女学校に入ったわたなべさんは、礼儀作法に厳しい学校での指導と、学徒動員での嫌な仕事に悩まされていたそうです。
それでも17歳で経験した終戦では「戦争が終わったの?じゃあスカートはいていいのね?」と言って母に怒られるというエピソードからも、たくましさが伝わってくるようです。
前述の通り、わたなべさんがマンガを書き始めたのはなんと妊娠中!
妊娠中に偶然手にした手塚治虫先生の『鉄腕アトム』を見て強い衝撃を受け、「私も描いてみたい!」と本当にペンをとったのです。
デビュー作である「小公女」に関して「赤ちゃんと処女作という二重の生みの苦しみを味わった」というわたなべさん……どこまでタフなのか。
しかしデビュー直後、出版社が倒産してしまったため、わたなべさんは子どもを抱えたまま出版社を訪ねてまわっては持ち込みをするのです。
「子連れ持ち込み」は今でも伝説として語り継がれているそう。
そこには旦那さんの協力はもちろん、戦後のもののない時代の中で「どうやって生活をするか」「生活をしながら、好きなものを諦めないか」というわたなべさん自身の葛藤があってこそ。
今、物資の溢れる生活をするわたしたちにとって、まさに「ハングリー精神」を体現しているわたなべさんの強烈エピソードは、見習うべき部分が多いのではないでしょうか。
参考:わたなべまさこ「まんがと生きて」(双葉社)