アート・ブレイキー(Art Blakey)とは、アメリカ出身のジャズドラマー。「ナイアガラ・ロール」と呼ばれる迫力あるドラミングでモダン・ジャズの発展に多大な影響を与えた。彼が率いた「ジャズ・メッセンジャーズ」はハード・バップの金字塔であり、ボビー・ティモンズやリー・モーガンらを輩出する新人ミュージシャンの登竜門としても機能した。明快で迫力あふれる演奏はジャズ初心者にも適していると評価されている。度重なる来日公演を行い、大の親日家としても広く知られた。
Art Blakey(アート・ブレイキー)の概要
アート・ブレイキー(Art Blakey)とは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のアフロアメリカンのジャズドラマーである。1919年10月11日生まれ。
「ナイアガラ・ロール」(Niagara Roll)と呼ばれる特徴的なドラミング奏法で知られ、その圧倒的なダイナミズムと力強いビートでモダン・ジャズの発展に多大な影響を与えた。彼が率いた伝説的グループ「ジャズ・メッセンジャーズ(Jazz Messengers)」は、ハード・バップの金字塔としてジャズ史に燦然と輝くだけでなく、新人ミュージシャンの登竜門としても機能した。
このバンドからは、ボビー・ティモンズ、リー・モーガン、キース・ジャレットをはじめとする数多くの著名なジャズマンが輩出され、スタープレイヤーへと育っていった。わかりやすく明快で迫力あふれる演奏スタイルと親しみやすい楽曲の数々は、素晴らしい意味でジャズ初心者にとって最初に買うレコードとして非常に適していると評価されている。また、生前は度重なる来日公演を行い、大の親日家としても広く知られた。
Art Blakey(アート・ブレイキー)の活動経歴
キャリア初期とドラマーへの転向
アート・ブレイキーは10代後半から地元ピッツバーグなどのジャズ・バンドでピアニストとして活動を開始し、その後ニューヨークへ進出。当初はピアノを担当していたが、クラブのオーナーからピアノをやめるよう指示されたことをきっかけにドラム奏者へ転向した。転向当初の演奏力は未熟であったものの、盟友であるトランペッターのディジー・ガレスピーらの助言を受けて急速に上達を遂げる。
1942年にメアリー・ルー・ウィリアムズのサイドマン、1943年にフレッチャー・ヘンダーソン楽団のドラマーを務め、1944年にはビリー・エクスタイン楽団へ加入。1940年代後半にはマイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーら第一線のミュージシャンと共演を重ねた。
ジャズ・メッセンジャーズの結成
1954年から1955年にかけて、ピアニストのホレス・シルヴァーとともに初代「ジャズ・メッセンジャーズ」を結成。クリフォード・ブラウンやルー・ドナルドソンらを擁し、名門ジャズ・クラブ「バードランド」等の出演で人気を博す。1956年にシルヴァーが脱退した後は一時不遇の時代を迎えるが、1958年にサックス奏者のベニー・ゴルソンを迎え入れてグループを再編。リー・モーガン(トランペット)、ボビー・ティモンズ(ピアノ)、ジミー・メリット(ベース)らを配した新編成を結成した。
同年10月、ブルーノート・レーベルに代表作となるアルバム『モーニン』を録音し、翌月発売。ティモンズ作曲のタイトル曲やゴルソン作曲の「ブルース・マーチ」などが大ヒットを記録した。直後の欧州ツアーやフランス映画『危険な関係』『殺られる』への音楽参加をきっかけに、日本をはじめ世界中で空前のファンキー・ブームを巻き起こした。
黄金期の活躍
1959年にテナー・サックスのウェイン・ショーターが加入すると、看板曲「チュニジアの夜」をブレイキーの壮大なドラム・ソロをフィーチャーしたアレンジへリメイクし、1960年に同名アルバムへ録音。これがブレイキーの真骨頂を示す象徴的な演奏として定着した。
ジャズ・メッセンジャーズは「若手ミュージシャンの登竜門(ジャズの虎の穴)」として機能し、1950年代後半から60年代にかけてフレディ・ハバード、キース・ジャレット、カーティス・フラー、チャック・マンジョーネ、シダー・ウォルトンらを排出。1980年代の「新伝承派」ブームにおいても、ウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、テレンス・ブランチャード、ケニー・ギャレットなど、数多くのジャズ界の第一人者を育て上げた。
メリハリの効いたバッキングや「ナイアガラ・ロール」と呼ばれるダイナミックなドラミング、滑らかなシンバルレガート、アフロ・キューバンリズムをドラムセットへ落とし込んだスタイルは、モダン・ジャズのドラム演奏における指標となった。
日本との絆
熱烈な親日家として知られ、1961年の初来日以来、生涯にわたり何度も日本を訪れて演奏を行った。初来日当時、アメリカ国内や世界各地で黒人差別による不当な扱いに直面していたブレイキー一行は、日本の空港でファンから温かい歓待を受けたことに深く感銘を受け、涙を流したと伝えられている。帰国時には「世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれた」という言葉を残した。
初来日時の感動を契機に親日家となり、「Ugetsu(雨月)」や「On The Ginza(オン・ザ・ギンザ)」といった日本をテーマにした楽曲を制作。鈴木良雄や鈴木勲などの日本人ミュージシャンをグループに迎えたほか、ジョージ川口や白木秀雄ら日本人ドラマーとのドラム合戦も行った。プライベートでも子供に「Taro」「Kenji」と名付けたり、日本人女性との結婚歴を持つなど日本との縁が深く、晩年はパール(Pearl)社製の日本製ドラムセットを生涯愛用した。
晩年
晩年は視力や聴力の衰え、腕力の低下などに見舞われながらも、世界各地のジャズ・フェスティバル等で精力的に演奏活動を続けた。
1990年10月16日、肺癌のためニューヨーク・マンハッタンの病院にて71歳で死去。
Art Blakey(アート・ブレイキー)のプロフィール・人物像
出生名:アーサー・ブレイキー(Arthur Blakey)
別名:Abdullah Ibn Buhaina
生年月日:1919年10月11日
出身地:アメリカ合衆国・ペンシルベニア州ピッツバーグ
アート・ブレイキーは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のアフロアメリカンのジャズドラマーであり、バンドリーダー。「ナイアガラ・ロール」と称される迫力あるドラミングとダイナミックなリズムでモダン・ジャズの黄金期を築き上げ、ハード・バップの牽引者としてジャズ史にその名を刻んだ。
音楽的功績にとどまらず、後進の育成に尽力した人物としても知られる。彼が率いた伝説的コンボ「ジャズ・メッセンジャーズ」は若手ミュージシャンの登竜門として機能し、リー・モーガン、ウェイン・ショーター、キース・ジャレット、さらには80年代の新伝承派を代表するウィントン・マルサリスなど、数多くのトップ・ミュージシャンを輩出した。
人物像を語る上で欠かせないのが、熱烈な親日家であった点である。1961年の初来日当時、アメリカでは有色人種への不当な差別が公然と行われていたが、日本の空港で待ち受けていたファンから温かい歓迎と花束を受け取ったブレイキー一行は、その人間的な温もりに深く感銘を受けて涙を流した。「世界中で日本だけが我々を人間として歓迎してくれた」と語ったエピソードは有名であり、このときの感動が彼を生涯の親日家へと変えた。
初来日時の感動を契機に親日家となり、「Ugetsu(雨月)」や「On The Ginza(オン・ザ・ギンザ)」といった日本をテーマにした楽曲を制作。鈴木良雄や鈴木勲などの日本人ミュージシャンをグループに迎えたほか、ジョージ川口や白木秀雄ら日本人ドラマーとのドラム合戦も行った。プライベートでも子供に「Taro」「Kenji」と名付けたり、日本人女性との結婚歴を持つなど日本との縁が深く、日本酒を好み、晩年はパール(Pearl)社製の日本製ドラムセットを生涯愛用した。
Art Blakey(アート・ブレイキー)のディスコグラフィー
アルバム
『バードランドの夜 Vol.1』(A Night at Birdland Vol. 1)
1954年発売。
10インチLP盤
A面
1. スプリット・キック - "Split Kick"
B面
1. ワンス・イン・ア・ホワイル - "Once In A While"
2. クイックシルヴァー - "Quicksilver"
12インチLP盤
A面
1. スプリット・キック - "Split Kick"
2. ワンス・イン・ア・ホワイル - "Once In A While"
3. クイックシルヴァー - "Quicksilver"
B面
1. チュニジアの夜 - "A Night In Tunisia"
2. メイリー - "Mayreh"
1stライブ・アルバム。ジャズ・クラブ「バードランド」での歴史的セッションを記録したモダン・ジャズ屈指の名盤。
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目次 - Contents
- Art Blakey(アート・ブレイキー)の概要
- Art Blakey(アート・ブレイキー)の活動経歴
- キャリア初期とドラマーへの転向
- ジャズ・メッセンジャーズの結成
- 黄金期の活躍
- 日本との絆
- 晩年
- Art Blakey(アート・ブレイキー)のプロフィール・人物像
- Art Blakey(アート・ブレイキー)のディスコグラフィー
- アルバム
- 『バードランドの夜 Vol.1』(A Night at Birdland Vol. 1)
- 『バードランドの夜 Vol.2』(A Night at Birdland Vol. 2)
- 『バードランドの夜 Vol.3』(A Night at Birdland Vol. 3)
- 『Blakey』
- 『カフェ・ボヘミアのジャズ・メッセンジャーズ Vol.1』 (At the Cafe Bohemia, Vol. 1)
- 『カフェ・ボヘミアのジャズ・メッセンジャーズ Vol.2』 (At the Cafe Bohemia, Vol. 2)
- 『Art Blakey with the Original Jazz Messengers』
- 『Originally』
- 『Hard Bop』
- 『Ritual: The Modern Jazz Messengers』
- 『Drum Suite』
- 『Orgy in Rhythm』
- 『Mirage』
- 『Selections from Lerner and Loewe's...』
- 『Tough!』
- 『A Night in Tunisia』
- 『Cu-Bop』
- 『Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk』
- 『Hard Drive』
- 『Art Blakey Big Band』
- 『モーニン』(Moanin')
- Art Blakey(アート・ブレイキー)の代表曲とミュージックビデオ(MV/PV)
- "Moanin'"(モーニン)
- "A Night in Tunisia"(チュニジアの夜)
- Art Blakey(アート・ブレイキー)の名言・発言
- 「俺は今まで世界を旅してきたが、日本ほど俺の心に強い印象を残してくれた国はない。それは演奏を聴く態度は勿論、何よりも嬉しいのは、アフリカを除いて、世界中で『日本だけが我々を人間として歓迎してくれた』ことだ。人間として、ヒューマンビーイングとして」
- 「僕らがすべきことは、人々を幸せにすることなんだ。音楽ってのは黒人のものでも白人のものでもなく、みんなのものさ。僕はそれを誇りに思ってる」
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