Madonna(マドンナ)の徹底解説まとめ

Madonna(マドンナ)とは、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、女優、ダンサー、音楽プロデューサー、作家、映画監督、実業家である。1982年10月に「Everybody(エヴリバディ)」でデビューして以来、多数のヒット曲を持つ。「デビュー史上最も売れたアーティストのひとりであり、世界で最も成功を収めた女性ミュージシャンとして知られている。デビュー当時から現在に至るまで女性の権利や多様性について訴えており、その姿勢に賛同するファンも多い。

「私はこの世界で神よりも有名になる」

1977年、初めてニューヨークのタイムズスクエアに降り立った際、彼女は「私はこの世界で神よりも有名になる」と誓った。彼女の強い意志や覚悟がうかがえる。その後様々な職につき、ヌードモデルや成人映画への出演もしている。彼女の執念や努力がその後の活躍に結びつき、その言葉は有言実行されたと言っても過言ではない。

「真ん中に裸の男の人がいるってセクシーじゃない?」

『ザ・ベストヒットUSA』に出演した際、小林克也がマドンナがいつも身に着けている十字架のネックレスについて質問した際に「真ん中に裸の男の人がいるってセクシーじゃない?」と回答した。キリスト教信者から強く批判されるであろう際どい発言が彼女のイメージをより強く人々の心に焼き付けた。

「私は悪いフェミニストになる」

2016年ビルボード・ウーマン・オブ・ザ・イヤー賞を受賞した際「女性は男性の望むものであらねばならない。歳をとってはいけない。それは罪だから。このルールを守らなければ、女性は批判、非難され、ラジオで曲をかけてもらえなくなります」と発言し、男性の絶対的支配が社会の基本法則であることを皮肉を込めて痛烈に批判した。レディ・ガガをはじめ多くの女性から賞賛された。90年代に発売された楽曲や写真集は過激な内容なものが多く、女性のフェミニストからも「マドンナは女性の立場を後退させた」と批判を受けるほどだった。彼女は上記の言葉をもって、自分なりのやり方で女性差別や偏見と闘っていくことを宣言したのだった。

Madonnaの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

「所持金35ドルからのスタート」

マドンナが1978年に故郷を発った際、所持金35ドルだけを持ってニューヨーク行きの長距離バスに乗車したことは有名な話。ほとんど何も持っていない状態から今の地位を確立させたことからも彼女の気概がわかる。

「巨大十字架に磔けられたマドンナ」

2006年「The Confessions Tour(コンフェッションズ・ツアー)」で「Live to Tell(リヴ・トゥ・テル)」を歌う際、高さ6メートルの巨大十字架に自らを磔にするという演出を行った。これが世界中の宗教団体から非難され「無礼で悪趣味、挑発的」「神への冒涜」等多くの声が上がったが、ローマ公演ではローマ教皇ベネディクト16世を招待したため非難の勢いは増した。しかし、彼女を強く非難したカトリック教会の中心地、バチカン市国近くのスタディオ・オリンピコでコンサートは敢行された。

「母としてのマドンナと4人の子供」

マドンナは二人目の夫、ガイ・リッチーとの間に息子のロッコをもうけたが、その他にも映画俳優のCarlos Leon(カルロス・レオン)との間に授かった娘Lourdes Maria "Lola" Ciccone Leon(ローデス・マリア・ローラ・チッコーネ・レオン)、アフリカのマラウイ共和国から養子縁組をした息子David Banda(デービッド・バンダ)、同じく同国から養子縁組した娘Mercy James(マーシー・ジェームス)計4人の子供がいる。
ガイ・リッチーにロッコを自分の自宅に送り届けるようニューヨーク州裁判所に提訴したり、養子縁組の際は金持ちの白人が貧しい黒人を養子として買うことが奴隷制度のようだと論争が起こるなど、家族間の波乱は様々あった。しかし、ローデス・マリア・チッコーネ・レオンとは母子でメイキャップブランド『Marerial Girl(マテリアル・ガール)』を立ち上げたり、デービッド・バンダはマドンナのワールドツアーに同行しステージで共演を果たすなど仲の良い様子も見られている。常にショービズ界を全力で駆け抜けながらも、4人の子供を愛し育むマドンナは世界的なスーパーシングルマザーと言えるかもしれない。

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