David Foster(デイヴィッド・フォスター)の徹底解説まとめ

デイヴィッド・フォスター(David Walter Foster) は、1949年11月1日生まれの、カナダ出身のミュージシャン、作曲家、編曲家、レコードプロデューサー。70代よりキーボーディストとして活動をスタートし、78年にジェイグ・レイドンと共に「エアプレイ」を結成。その後数々のアーティストに楽曲を提供、作品をプロデュースし、「ヒットマン」の異名をとる。グラミー賞47回ノミネート、そのうち16回受賞。全世界で5億枚以上を売り上げた世界で最も成功したプロデューサーの一人である。

1983年に日本で発売されたフォスター初のソロアルバム「The Best of Me」からのタイトルソング。フォスターの数ある名バラードの一曲。この後この曲はオリビア・ニュートンジョンとのデュエットで再リリースされるが、こちらはフォスター、ソロによる貴重なオリジナルバージョン。

The Best Of Me - David Foster & Olivia Newton-John

デイヴィッド・フォスターの珠玉のバラード。1983年発表のオリジナルバージョンを、1986年、オリビア・ニュートンジョンとのデュエットで再録音。アルバム『デイヴィッド・フォスター -David Foster 』からシングルカット。

Love Theme from St. Elmo's Fire

デイヴィッド・フォスターのインストゥルメンタル・バラード。1985年の映画『セント・エルモス・ファイア』ではフォスターが作曲ジョン・パーが歌ったテーマソングが全米チャート1位を記録。この曲はフォスターが主役のインストゥルメンタルで、全米チャートで15位にランクインした。

Winter Games

オーケストラをバックにしたフォスターのピアノ・インストゥルメンタルの代表曲。1988年カルガリーオリンピックの公式テーマ曲。テレビ東京系列 「モーターランド2」 のオープニングテーマに使用され、また大阪ではFM802の天気情報BGMに使用されたりと、日本のリスナーには馴染みの深い曲である。

David Foster(デイヴィッド・フォスター)の名言・発言

「クインシー・ジョーンズとの出会いによって、良い音楽とは何かを知った。今までの自分は間違っていた。」

クインシー・ジョーンズはマイケル・ジャクソンの『スリラー』を含む一連のアルバムを制作した名プロデューサーである。フォスターが、クインシー・ジョーンズから仕事のオファーを受けるようになったのは、1978年のブラザーズ・ジョンソンのアルバム「Blam!!」からで、その後ミュージカル「Wits」のサントラでも起用され、1979年のマイケル・ジャクソン『オフ・ザ・ウォール』1982年の大ヒットアルバム『スリラー』でも起用されたが、先の言葉は1980年、彼がアヴェレージ・ホワイト・バンドのプロデュースをしている時に語ったものとされる。しかしそれ以前のフォスターはミュージシャンの起用法から音作りに至るまで、今では考えられないくらいの凝ったプロデュースをしていたが、この言葉以降は徐々にそれを放棄しだしたともいわれている。

「セリーヌ・ディオンは私が要求したものをその通りに実行してくれる。それは私を興奮させた。同じことをホイットニー・ヒューストンに要求すると、彼女は私の考えと違うものを返してくる。しかし99.9パーセント、それは私の想像を超えたものだった。『ノー!私が言っているのはそうじゃない… ん?待てよ?よし、私の考えは忘れよう、それでいこう!』彼女こそ天才だった。」

映画『ボディーガード』のサントラを制作している時だった、制作側はJimmy Ruffinのヒット曲「What Becomes of the Broken hearted」を用意してきた。フォスターもホイットニーも初めて聴いたが、お互い「本当にこれやるの?これは違うな」となり、話は振り出しにもどった。次の日、ケビン・コスナーが困っている二人に助け舟を渡してくれた、それがドリー・パートンの「I will always love you」だった。フォスターはこの曲を知らなかったが、曲を聴いた瞬間、頭の中に全てが出来上がった。「キーが変調して、間があって大きな “ブン!” えんだあああ~」出来た出来たと興奮してホイットニーに聞かせたら、彼女も顔を赤らめて喜んだ。
フォスターはセリーヌ・ディオンの音楽的才能に絶大な信頼を寄せているが、このインタビューによってホイットニー・ヒューストンの才能が比類なきものだったことがうかがえる。この不世出の歌姫にフォスターが息吹を注ぐことにより、あの名曲は生まれたのである。

David Foster(デイヴィッド・フォスター)の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

4度の離婚と5度の結婚

私生活ではフォスターは5回結婚しており、5人の実の娘、1人の実の息子と7人の孫がる。最初の結婚は1972年、歌手で作家のB.J.クックだった。2番目の妻レベッカ・ダイアーとは1982年に結婚し,1986年に離婚した。3番目の妻、女優リンダ・トンプソンとは1991年に結婚し、2005年に離婚した。彼女とはホイットニー・ヒューストンの「I have nothing」等いくつかの曲で作詞作曲をコラボレーションした。彼女はエルヴィス・プレスリーの元彼女でもあり、オリンピック金メダリストのブルース・ジェンナーの前妻でもあった。2011年には4人目の妻となるオランダ人モデルのヨランダ・ハディットと結婚するが、2017年に離婚する。 そして2019年、34歳年下のアメリカ人アイドル、キャサリン・マクフィーと5度目の結婚をした。そして2021年2月にマクフィーは男の子を出産した。

2018年、イタリアでのバケーションにて、5人目の妻、キャサリン・マクフィーとの婚前ツーショット。

キャサリン・マクフィーは、「アメリカン・アイドル」シーズン5準優勝後、レコードデビュー。「SMASH」、「SCORPION/スコーピオン」といった海外ドラマに出演し、女優として活動している。私生活では2014年に前夫と離婚しており、これが二度目の結婚となる。

マリブのバカ息子

3人目の妻リンダ・トンプソンとは当時マリブの豪邸に住んでいたが、リンダの連れ子である二人の息子、ブランドン・ジェンナーとブロディ・ジェンナーのバカっぷりが話題になり、2005年アメリカ、FOX放送のリアリティー番組に「マリブの王子達」として放送された。
当時フォスター家の生活費は月500万円だったが、そのほとんどはバカ息子たちが遊びに使っていた。そこでフォスターは息子達に「働け」と叱り、バカ息子達はビジネスを考える。水着のお姉ちゃん達に車の洗車をさせるビジネスを家の庭ではじめ、おかげで家の前は大渋滞。打ち合わせに遅れたチャカ・カーンはご立腹。しかしフォスターはその遥か後ろで渋滞にはまっていた。 更にバカ息子たちは、ホイットニー・ヒューストンの曲を書いて受賞したグラミー賞のトロフィーをインターネットで売ろうとし直前で阻止される。また、フォスターが寝ている隙に家の庭にドライブインシアターを作り、情報公開前の映画DVDを勝手に上映し、遂にフォスターにブチ切れられるという内容の番組だった。日本でもこの番組のダイジェストが2012年「世界まる見え!テレビ特捜部」(日本テレビ系)で放送された。

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