【オカルト】アブラハムの宗教が「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」の3つに大別される理由を考察

本記事ではアブラハムの宗教がなぜ「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」の3つに大別されているのか、その理由について考察している。アブラハムは旧約聖書の冒頭部分『創世記』に登場する人物で、神によって行われた「ノアの洪水」のあと、人類の救済目的で神に選ばれた「最初の予言者」だとされている。その後アブラハムの息子である「イシュマエル」と「イサク」の子孫たちが「ユダヤ人」「アラブ人」の始祖となり、それぞれの宗教が誕生したのである。

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他の宗教の信者達は平気で神様を拝んでいるのに、可哀想に、残された仏教徒だけには、なんにも”拝むもの”がなかったのである。

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この当時のインドには、まだ「仏像を作る」という発想がなかった。

拝むものはなんにもないが、”教え”だけは残っている。

仏教とは、そのはじめにおいて「開祖がさっさと解脱してしまったがために、信者はいともあっさりと取り残されて、そのままだった」という、とりつくしまもないような様相を呈するのである。

出家した人間はまだいい。ブッダの残した教えを忠実に実践していけばいい。

しかし、困るのは、出家していない在家の”普通の人間”なのである。

ブッダに解脱されてしまった”普通の人間達”は、困った。困っている普通の人間達に語りかけてくれる人は、もういないのである。

大乗仏教で、仏は”神”ではない。

仏とは”神”の上にあるもので、しかし、そのほとんど神のように絶対的な存在の仕方をする仏は”神”ではない。

その証拠に、仏はなにも創造しないというのが、大乗仏教の考え方である。

神は天地を創造するが、仏はそういうものを創造しないである。

もうなんだか分からないのだが、”仏=ブッダ”というものは、もともと、”認識の結果そうなった”というようなものだからである。

だから、大乗仏教の言う”仏”とは、”認識というものの神格化”だと考えればいいのだ。

そうすれば「仏は神と違ってなにも創造しない」ということが簡単に理解出来る。

仏教というものは、そのもともとが”思索”だからである。

大乗仏教は、”複数の仏をもつ宗教”なのである。

「複数のイエス・キリスト」なんてことを言ったら、キリスト教では大変な騒ぎになってしまうだろうが、大乗仏教というのは、言ってみれば、”複数のイエス・キリストを持つ宗教”なのである。

出典: www12.atwiki.jp

JewelRook6
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