Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)とは【徹底解説まとめ】

マイケル・ジャクソンはアメリカ生まれのエンターテイナーであり、KING OF POP (キング・オブ・ポップ)と称される。インディアナ州ゲーリーにてアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれた。幼少期から音楽に親しみ、11歳の頃にジャクソン5としてメジャーデビュー。1971年にソロデビューアルバムをリリースしてから2009年までに全部で10枚のオリジナルアルバムをリリースしている。

マイケル・ジャクソン概要

出生

1958年8月29日、Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)本名:マイケル・ジョセフ・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)はアメリカ合衆国インディアナ州ゲーリーにアフリカ系アメリカ人の家庭で六男として生まれる。父ジョセフはクレーン操縦士、母キャサリンはデパートのパートタイム従業員として家計を支えていた。

ジャクソン5時代

マイケルの兄ジャッキー、ティト、ジャーメインの三人は父のギターを演奏していたところ、ティトが弦を切ってしまい、張り替える間も無く見つかる。体罰の酷かった父ジョセフは息子達に暴力を振るおうとするが、次男ティトが自分も弾けると抵抗を示し、その演奏が中々上手いことにジョセフは気付く。ジョセフは自らもバンドメンバーであった経験を生かし子供達に音楽を教えることを決意する。

当初マイケルはグループに参加していなかったものの、母キャサリンがマイケルの歌唱力を見出しグループに加入させた。この頃から「ジャクソン5」と名乗るようになった。

1968年7月、ジャクソン5の素質を見出したボビー・テイラー(60年代のアメリカ人歌手。モータウン・レコードで活躍。代表曲「Malinda」「Does Your Mama Know About Me」など)の協力もあり、モータウン・レコードと契約。

1969年、11歳ながら「I Want You Back」でジャクソン5としてメジャーデビュー。デビュー曲でありながらいきなり全米チャート1位に登り詰める。続く「ABC」ではビートルズの「Let It Be」を首位から引き摺り下ろし再び1位になった。続く「The Love You Save」、「I'll Be There」もチャートを制し、デビュー早々4曲連続全てでアメリカチャート1位を獲得し世界を震撼させる。

1970年~ソロデビュー、Off The Wall発表

1971年、「Got To Be There」でソロデビュー。しかしこの頃からジャクソン5とモータウンの方向性の違いが現われはじめる。マーヴィン・ゲイやスティービー・ワンダーらが自ら作詞作曲、プロデュースする姿をみて自分にも同様の権利を求めたがモータウンはこれを拒否した。

1975年、エピック・レコードに移籍。しかしこれまでの確執も関係しモータウンが「ジャクソン5」の名前の商標権はモータウン側にあるとの事で使用を認めなかったことから「ジャクソンズ」に改名する。

1978年、ミュージカル映画『The Wiz』に出演し、現場でクインシー・ジョーンズ(アメリカ人歌手・プロデューサー。1950年代から第一線で活躍。代表曲「Body Heat」「The Dude」など)に出会う。

その翌年、クインシーをプロデューサーに迎えて『Off The Wall』を制作。7月に発売された先行シングル「Don't Stop 'Til You Get Enough」では初めて自身で作詞作曲を手掛けた。また、このアルバムは同一アルバムから4作のシングルが全米チャートトップ10に入るという史上初の快挙を成し遂げた。これを機にマイケルは本格的にソロ活動を開始。

1980年~Thriller、Bad発表

1981年、モータウンでの最後のアルバム「Forever, Michael」を発表。このアルバムから楽曲「One Day In Your Life」がシングルカット。Off The Wallとの相乗効果もあり全英1位を記録した。

1983年、自身最大のヒットシングルとなる「Billie Jean」を発表。その後、モータウン25周年記念に出演しそこで披露したダンス「ムーンウォーク」が大きな話題を呼んだ。続けて革新的なミュージック・ビデオを次々と発表。中でも、10分以上に渡る大作ショートフィルム「Thriller」を発表。それまでのMVの常識を覆すこの作品は大きな衝撃を与え、マイケルの人気を決定づけた。「Thriller」はミュージック・ビデオとしては唯一アメリカ議会図書館に永久保存されている。また、アルバム「Thriller」は「史上最も売れたアルバム」としてギネス記録に認定され現在でも記録を伸ばしている。

1985年、アフリカ飢餓救済のためのプロジェクト「USA for Africa」に参加し、楽曲「We Are The World」を発表。ライオネル・リッチーと共に作詞作曲を手掛けた。

1987年、アルバム「Bad」を発表。同アルバムは史上初の全米チャート5曲連続1位という快挙を成し遂げた。同年9月には自身初の世界ツアー「Bad World Tour」を日本から開始した。

1990年~Dangerous、History発表

1991年、アルバム「Dangerous」を発表。中でも先行シングルの「Black Or White」での人種の壁を乗り越えようという歌詞が多くの人に受け入れられ20ヶ国のチャートで1位を獲得。

1992年、2度目のワールド・ツアー「Dangerous World Tour」を開始。収益金は全てHeal The World基金に寄付された。

1993年、スーパーボウルハーフタイムショーに出演。現在のハーフタイムショーはアメリカ最大の視聴率を誇る祭典だが、当時の視聴率は低迷しており、その打開策としてマイケルが起用された。マイケルが出演するとハーフタイムショーの視聴率は前半戦を超えた事から、以降有名アーティストの出演が恒例となった。

1995年、アルバム「HIStory」を発表。同アルバムに収録された楽曲「Scream」は妹ジャネットとのデュエット曲である。「You Are Not Alone」では前人未到の全米POP、R&Bチャート初登場1位という快挙を成し遂げ、「Earth Song」ではイギリスにおけるマイケル最大のヒット曲となった。 同年9月には3度目のワールド・ツアー「HIStory World Tour」を開始。

1997年、リミックス・アルバム「Blood On The Dance Floor」を発表。プロモーションは殆ど行われなかったが600万枚の売上を記録した。

2000年~Invisible、THIS IS IT

2001年、史上最年少でロックの殿堂入り。同年、アルバム「Invincible」を発表。
また、アメリカ同時多発テロの被災者支援のため、ワシントンD.C. RFKスタジアムでチャリティコンサートを行い、約300万ドルの収益を集めた。

2003年、最後のシングルとなる「One More Chance」を発表。

2008年、ベスト・アルバム『King Of Pop』を発表。

2009年、O2アリーナで最後のツアー『THIS IS IT』を行うと発表。チケットが売り出されると4時間で50公演分が完売した。

2009年6月25日、自宅にて心肺停止状態に至り急逝。
同年10月、予定されていたO2アリーナでの公演のリハーサル映像を収めたドキュメンタリー映画「THIS IS IT」が公開。この年のGoogleの検索ワードランキングで1位になった。

Michael Jacksonの代表曲

Thriller

1982年のアルバム「Thriller」から。この楽曲を収録したアルバムは歴代1位のセールスを獲得した。
MVに使われる予算は当時5万$程度だったのに対し、この楽曲のMVは50万$をかけて作られた。

Billie Jean

donpagos69o4
donpagos69o4
@donpagos69o4

Related Articles関連記事

【マイケル・ジャクソン】古き良き時代を想う。80年代洋楽ベストヒット30選【マドンナ】

【マイケル・ジャクソン】古き良き時代を想う。80年代洋楽ベストヒット30選【マドンナ】

80年代の古き良き時代、多くの洋楽が日本にも輸入され、大ヒットしました。その中でもマイケル・ジャクソンやマドンナは大きな話題になり、時代や世代を超えて聴き継がれています。この記事では、そんな素晴らしい洋楽たちを30個まとめました。どれも聴いていると懐かしい気持ちになってきます。ぜひお楽しみください。

Read Article

目次 - Contents