A.I.

A.I.

『A.I.』とは、スティーヴン・スピルバーグによる2001年のアメリカのSF映画。スタンリー・キューブリックが生前に温めていた企画を、スティーブン・スティルバーグが映画化したSFドラマである。テクノロジーが発達した近未来を舞台に、人間と同じ愛情を持つ少年型ロボット・デイビッドが開発される。デイビッドは彼を製作したサイバートロニクス社の社員、ヘンリーとその妻モニカの元へ試験的に送られた。しかし予期せぬ状況が続き、生活を続けられなくなったデイビッドは家を出ることになるのだった。デイビッド役は『シックス・センス』でアカデミー賞にノミネートされたハーレイ・ジョエル・オスメント。

A.I.のレビュー・評価・感想

A.I.
10

母親の愛を求めるロボットに涙が出る

人間と同じ心を持つ少年型ロボットが開発される。少年型ロボットを造ったロボット製造会社に勤務するヘンリーと妻のモニカには、病気で冷凍保存されている息子がいた。息子マーティンがいつ目覚めるかわからない夫妻の元に、少年型ロボットのデイビットが送られてくる。起動させたモニカを永遠に愛するようにプログラムをされているデイビットは、ヘンリー夫妻の子供として生活する。しかし、冷凍保存されていたマーティンが目を覚まし、ヘンリー夫妻のところに戻ってくる。モニカはデイビットよりもマーティンを愛し、マーティンはデイビットにいじわるをする。マーティンの命が危なくなる事故が原因でデイビットは捨てられてしまうのだ。
デイビットは人間の男の子になりたいと願い続け、機能停止になるという、切ないストーリー。ラスト近くで、デイビットが愛するモニカと一緒に1日を過ごすという願いが叶い、幸せな時間を過ごすシーンが胸にくる。モニカと一緒に過ごした後、最後にデイビットはこの世にいないモニカを一生愛する未来より、機能停止の道を選び、永遠に眠る未来を選ぶところに泣かされる。
デイビット役を演じたハーレイ・ジョエル・オスメントは目のまばたきといった細かいところまで、見事にロボットを演じている。

A.I.
8

未来と人間の境界を描く感動SF「A.I.」

あなたは、人間と人工知能の違いについて考えたことがありますか?

昨今、我々人類に対して急速に浸透しているインターネットやAIの影響で、私自身も自分で考えたものと、Googleにサジェストされ誘導されたものに心を動かされていることが混在しているし、それに気づいてさえいないことも多いです。(笑)

スティーブン・スピルバーグ監督による2001年公開のこの『A.I.』という作品は、人工知能側が人間に対して愛を抱き、憧れる。
現代よりももっと未来で巻き起こる、現代との対比で描かれた、切なくも愛おしい感動SF大作です。

スピルバーグ監督は、この重く難しいテーマで脳みそが頭と脳がパンパンになった私たちに対して、未来都市や廃墟となったニューヨークの描写を美しく表現し、視覚的にも観る人に強烈な印象を与えます。

舞台は近未来、人間とロボットが共存する世界。デイビッド(演:ハーレイ・ジョエル・オスメント)は、親に愛されることをプログラムされたアンドロイドで、人間の子供としての感情を持つように設計されています。
彼は『ピノキオ』に出てくるブルーフェアリーを信じ、本物の人間になるための旅に出ますが、その旅を通じて自分が何者かを見つけながら、人間"性"とは何かついて学んでいきます。

デイビッドが人間の親子から見捨てられ、真の愛を求めてさまよう姿が終始暗い雰囲気で描かれますが、
旅の途中で出会う愛を売るセックス・ロボット、ジゴロ・ジョー(演:ジュード・ロウ)の存在がエッセンスとなり、ロボットと人間が愛し合える可能性を無常にも感じさせられます。
スピルバーグはクライマックスで、デイビッドの望んだ「人間としての1日」を仕掛けてきますが、彼の純粋な愛と無垢な願いは、ラストで観る人の心を深くえぐってきます。

この映画は複雑で流動的なストーリーとは裏腹に、一貫したテーマは「母親への無償の愛」。
これはどの時代の少年誰もが持ち得る本能的な感情です。
デイビッドの旅を通して、私たちはテクノロジーが進化する未来において、人間らしさや愛とは何かについて再考し、我々人間はどう愛を持って行動すべきか考える機会を突きつけてくる一作となっています。

A.I.
10

これは泣く。何回観ても泣く。

人工知能搭載の少年型ロボットが、母の愛を求めて長い時を旅する感動のストーリー。近未来の世界を舞台に、少年型ロボットのデイビッドが、息子を失ったある夫婦のもとへ「子供の代用品」として送られる。少しずつ受け入れられていくデイビッドだが、奇跡的に夫婦の実の息子が蘇生したことでデイビッドは居場所を失い、捨てられてしまう。デイビッドは「本当の人間の子供になれば母に愛してもらえる」と信じ、かつて母に読んでもらった絵本『ピノキオ』の中でピノキオを本当の人間の子供に変えてくれたブルーフェアリーを探し、本当の人間の子供にしてもらうための旅に出る。
旅の仲間で、自ら歩き言葉を話すクマのおもちゃ・テディと、女性をエスコートする人間型ロボット・ジョーのキャラクターも愛らしく、物語への感情移入に一役買っている。スティーヴン・スピルバーグ監督が描く近未来の街の風景も冒険心を掻き立ててくれる。
科学の力であらかじめインプットされた「愛」。その「インプットされた愛」が人間の心を動かしていくストーリは、涙なしには観られない。
デイビットが母親とベッドの上で幸せそうに眠るラストシーン。
私はこれまでに3回観て、3回ともボロボロ泣いてしまった。

A.I.
5

映画「A.I.」を観て感じたこと

ストーリー自体はありがちなものですが、近未来のAIというテーマが新鮮味を感じさせてくれます。
失った子どもの代わりに最新型の子どもロボットを葛藤の末に受け入れたものの、本物の子どもが奇跡的に回復し戻ってくるという話です。当然問題が起こり、ロボットである子どものデイビッドは森に捨てられてしまいます。この辺りの展開は、現実の世界でも大きな問題となっているペットの置き去りとよく似ています。人間の見勝手さに、思わずため息をつきたくなる展開です。この映画の世界では、ロボットはおしなべて迫害されています。人間たちはまるで狩りや処刑を楽しむかのように、ロボットたちを殺害しています。そんな過酷な状況の中、捨てられたデイビッドは、他のロボットたちや、クマのぬいぐるみのロボットであるテディと励ましあいながら何とか逃げ切り、「本物の人間の子どもになりたい」という希望を持つようになります。ピノキオに出てくる妖精に頼めば人間にしてもらえると、必死で妖精にたどり着こうとします。デイビッドは元々、引き取り先の親を愛するようにプログラムされたロボットです。しかし、必死に母親の愛情を求める姿は、人間の子どもそのもの。自分のエゴや都合でロボットを捨てたり、虐殺している人間の姿は、まさに怪物そのもの。AIという技術発展の先に何が待ち受けているのか、複雑な思いをさせられる映画です。

A.I.
10

母親への変わらぬ愛情

冷凍保存されている子供を持つ夫婦。長年、目が覚める様子はない。そんな中、夫の会社で子供ロボットを作っており、ある日突然デイビットというロボットを連れて帰ってくるも、妻は受け入れられず返してくるように話す。だが、妻もどう見ても人間の子供にしか見えないデイビットに興味を示し、デイビットに自分が母親だとインプットし起動する。すると、デイビットは妻を母親だと思い本当の親子かのように過ごす日々が続く。ある日突然、長年目を覚まさなかった息子が目を覚ましたと連絡が入り、息子が家に帰ってきた。そこから息子とデイビットは母親を巡り、ライバルのような関係になり、息子はデイビットに母親に嫌われるような内容のアドバイスをするが、デイビットはそれが本当に受け入れてもらえるとアドバイス通りに動いてしまう。そうしてデイビットに悪意はないも、危ないことが重なり一家はデイビットを手放すことを決意。だが、要らなくなったロボットは壊されてしまうため、森の中に逃がす。ある日母親に読んでもらったピノキオの話を思い出し、ブルーフェアリーに合えば自分も人間の子供になれると信じ、捕まらないように逃げながら人間の子供になるためブルーフェアリーを探す旅に出る。母親に愛してもらうために頑張るデイビットの姿に涙。ただひたすら愛情のため、そこまでできるんだなと感度。