映画「A.I.」を観て感じたこと
ストーリー自体はありがちなものですが、近未来のAIというテーマが新鮮味を感じさせてくれます。
失った子どもの代わりに最新型の子どもロボットを葛藤の末に受け入れたものの、本物の子どもが奇跡的に回復し戻ってくるという話です。当然問題が起こり、ロボットである子どものデイビッドは森に捨てられてしまいます。この辺りの展開は、現実の世界でも大きな問題となっているペットの置き去りとよく似ています。人間の見勝手さに、思わずため息をつきたくなる展開です。この映画の世界では、ロボットはおしなべて迫害されています。人間たちはまるで狩りや処刑を楽しむかのように、ロボットたちを殺害しています。そんな過酷な状況の中、捨てられたデイビッドは、他のロボットたちや、クマのぬいぐるみのロボットであるテディと励ましあいながら何とか逃げ切り、「本物の人間の子どもになりたい」という希望を持つようになります。ピノキオに出てくる妖精に頼めば人間にしてもらえると、必死で妖精にたどり着こうとします。デイビッドは元々、引き取り先の親を愛するようにプログラムされたロボットです。しかし、必死に母親の愛情を求める姿は、人間の子どもそのもの。自分のエゴや都合でロボットを捨てたり、虐殺している人間の姿は、まさに怪物そのもの。AIという技術発展の先に何が待ち受けているのか、複雑な思いをさせられる映画です。