ナイト・オン・ザ・プラネット

ナイト・オン・ザ・プラネットのレビュー・評価・感想

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ナイト・オン・ザ・プラネット
8

非常に個性的な深い作品です。

第一印象としては、非常に深い作品だと感じました。
作品の空気感は独特で、進み方や会話の”間”や会話の”内容”。映像の撮り方や、音楽のセンス、オープニング、エンディングの字幕の文字。登場人物の身に着けているもの、それぞれの登場人物の人柄、名前のチョイス。とても味があり、渋く、ロックで洒落た映画です。シュールでくすっと笑える場面もありました。
ストーリー的には特に大きなことは起きないため、賛否両論はあるかもしれません。
実際、真剣に見ていると正直少し飽きてしまう気持ちも生まれました。そこに自分もまだまだだな、と感じる時間があったり、この映画の深さをもっと理解できるようになりたいと思ったり。なんだか自分と向き合える映画でもあったのかも…と見終わってからじわじわと感じる作品でした。
「映画」というものに求めているものは人それぞれだと思いますが、私は時間を置いてまた観てみたい作品だと思いました。その時の感覚、感性によって感じが大きく異なる気がしましたし、いつも何か発見がありそうです。
個人的には、「幸せとは、ちょっとしたことでいつも近くにあるけど、日々は意外と気付いていないものなのかもしれない。あまり他人の事ばかり気にせずに、でも人に親切にしていきたい。出会いは不思議で、ひょんなことから気づきがあるかも」という気持ちになりました。

ナイト・オン・ザ・プラネット
10

ナイト・オン・ザ・プラネット

1991年に制作されたジム・ジェームッシュ監督の洋画で、ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキの5つの異なる都市で深夜の同時刻にタクシードラーバーと乗客との間で起こるオムニバス形式の映画となります。ほとんどが車内と街の風景しか映らないようなカメラワークやカットが続くのですが、飽きさせないよう雰囲気(空気感)に工夫も施されています。
ロサンゼルスでは、タクシードライバーという職についた女性の新人ドライバーと、映画出演のキャストを探しているキャスティング・ディレクターの2人から展開される物語になっています。
ニューヨークでは、黒人の男性と、話が通じず運転もろくにできないドライバーとの物語が展開されます。
パリでは、乗車してきた人が盲目の女性と、タクシードライバーの2人の物語になっております。
ローマでは、うるさく話しかける陽気なドライバーと神父をのせ、くだらない話をし続けるというまた雰囲気の変わったパートになります。
最後にヘルシンキでは、3人の酔っ払いを乗せて不幸話をするような物語になっています。

同じ時間軸でも様々な問題を抱えたものがいることを改めて考えさせられます。またタクシーで目的地まで届けるという何の変哲もないながらも心温まるストーリーに、この映画の虜になること間違いないと思います。
また、深夜やリラックスできる時間に見ることをお勧めします。

ナイト・オン・ザ・プラネット
8

ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021が上映中。代表作『ナイト・オン・ザ・プラネット』をレビューしてみた。前編 ※ネタバレ要素あり

こんにちは。

今回レビューしていく作品は、世界中の映画ファンの多くを虜にしてきたインデペンデント映画の巨匠ジム・ジャームッシュ氏によって1991年に制作され、翌年日本でも上映された『ナイト・オン・ザ・プラネット』です。2021年9月現在も開催中の、7月2日から全国各地で順次公開が開始された「ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021」は数々の名画を劇場でまた観ることのできる絶好の機会です。これを機に『ナイト・オン・ザ・プラネット』の魅力を伝えていけたらと思い、筆をとりました。レビューの内容は考察を含むもので、ネタバレの要素を含むことを始めに断っておきます。映画を見たあとの感想として読んでいただければと思います。

監督5作目の作品である『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、ロサンゼルス、NY、パリ、ローマ、ヘルシンキの5つの都市のタクシードライバーと乗客の人間ドラマを描いたオムニバス作品です。それぞれの都市の夜を走るタクシーの中で繰り広げられる会話は、一期一会の関係ではありますが、どこかハートフルで人間味あふれる素敵な雰囲気を纏っています。

今回は、これら5つの都市の物語の見どころなどをロサンゼルス、NY、パリの前編とローマ、ヘルシンキ、総評の後編に分けて順にレビューしていこうと思います。
この先、内容によってはネタバレ要素を含みます。


ロサンゼルス
まずはじめに登場する都市は、映画の街ハリウッドで知られる西の大都市ロサンゼルスです。『ナイト・オン・ザ・プラネット』のポスターを飾るほどの華やかさは、5つの都市の中でもダントツですね!随所で映る外の景色もネオンが光り輝く賑やかさでこれぞアメリカの都会だ!といった感じがします。
映画のキャスティングをするキャリア・ウーマンであり、乗客を演じるジーナ・ローランズもLAのイメージそのまんま。きれいな衣装を身にまとい、携帯電話片手に個人ジェット機から降りてくる登場シーンはまさに「華やかな仕事」そのものです。そんな彼女は、度重なる仕事の電話に辟易しているようです。たくさんの人間や時間やお金が絡み合っているようなお仕事、気疲れしちゃうんだろうなあ、と見ているこっち側にも伝わってきます。
そしてなんと言ってもLA編の見どころは、タクシードライバーを演じるウィノナ・ライダーのきれいなお顔立ち!崇拝できます。。そして、その容姿とは裏腹にぶっきらぼうな仕草、言葉遣いなどのギャップにいちいち惚れてしまうのは男女なんて関係ありません!煙草が大好きな彼女は映画中ほとんどが喫煙シーンです。銘柄もLucky Strikeという激渋なやつです。美女×煙草なんて見ていてなんだかドキドキしてしまいますね。
そんな二人が出会い、タクシーの中でも様々な会話が繰り広げられるのですが、LA編でのキーワードは「仕事」「人生」「人間関係」の3つなのではないでしょうか。立場や境遇の違うように思われる二人の登場人物ですが、同じように仕事や人間関係に悩み、人生について考えているのです。人生の内容は人それぞれで違いますが、根本は共通する部分も多い。そしてこの夜二人はタクシーという同じ空間を共有することで、そういった部分が垣間見えて来るような気がします。

NY
次はアメリカ大陸を東に横断し、ニューヨークに場を進めます。同じアメリカでも時差があり、LAとは違う夜が存在しています。
ニューヨーク編のテーマは、「愛」、「友情」、「家族」、「笑い」だと思います。ブルックリンまでタクシーに乗りたい黒人男性ヨーヨーと、東ドイツから移住したばかりでタクシードライバーとして生計を立てるヘルムートがブロードウェイで出会います。英語はままならないし運転が下手っぴなフルムートに対し、はじめは嫌気がさしていたヨーヨーですが運転を代わり、英語を教え、お互いの話をしていくうちに二人は仲良くなっていきます。そして物語は、夜のニューヨーク郊外をうろついていたヨーヨーの義妹アンジェラを見つけてからテーマに迫る内容を読み取る事ができます。アンジェラを案ずるがゆえのヨーヨーの行動や言動は彼女にとっておっせかいだと思われているようで、車内に彼女が乗ってからというもの口喧嘩や言い合いが止まりません。ですが、家族を思いやっての言葉ということもあり、その強いフレーズの割には嫌さを感じさせず、むしろ温かみに溢れているような印象を受けます。アンジェラも本気で嫌がっているようには見えません。そしてこれらの光景は家族のいないヘルムートからすると新鮮で尊ぶべきものであったのです。ヘルムートはこの短い乗車時間の間に、家族の存在や愛、笑いさえあれば「お金は必要だが重要ではない」ということを悟り、名言として残していったのです。

パリ
舞台は、大西洋を渡りヨーロッパ大陸はフランス・パリを迎えます。ここでも考えさせられることがたくさん詰まった素敵な物語となっています。キーワードは「肌の色の違い」、「体の違い」、「あるもの・ないもの」です。
始まりはパリの明け方4時ごろ。車内にはすでに二人の乗客が乗車しています。運転手を含め、車内にいるのは全員アフリカ系の人だけですが、カメルーン人の乗客二人がコートジボワール出身の運転手に対して見た目や態度などについて差別的な発言を繰り返しています。アジア人が隣の国々の人々との違いがわかるように、同じアフリカ大陸にある国々の人々にとっても同じことが言えるようですね。この物語の場合、私達日本人からすると彼らの違いに気づくことは容易ではありません。
乗客二人の態度に腹を立てたドライバーは、明け方にもかかわらず二人を降ろし、新たな客を見つけるために車を飛ばします。そこで新たに乗ってくるのが、目が不自由な女性のお客さんです。そしてここからは、先程のカメルーン人乗客とドライバーの立場と反転したような形でドライバーと女性客が繰り広げる車内の会話が進んでいきます。しかし、女性客は視覚以外の感覚に優れており、頭がキレるので、ドライバーが彼女の盲目を理由にした言動や行動についてはことごとく真理を突きつけられてしまいます。非常にアイロニーが効き、でもなぜかくすっと笑えちゃうようなやり取りが繰り返される様は小気味よく、でもどこかチクリとするような感じがします。
そして、ドライバーは彼女に「自分の肌の色は何色か?」と尋ねます。彼女にとっては「色」というものは見えるものではなく、感じるものであって、彼の肌の色に関心がないということを言い切ります。ここでハッとさせられたことは、我々がこれまで当たり前に認識していた肌の色の違いやそこから生じてしまう問題は、そもそも彼女にとっては当たり前でもなんでもないということです。端から、そのようなことを問題とする世界に彼女はいなかったのです。さっきまでドライバーが腹を立てていた問題も、特定の状況下における一つのいざこざに過ぎず、文脈の違いによっていとも簡単に崩壊するほどのものであったと気付かされるのです。しかも、目が「不自由」な彼女からその事実に気付かされる事になったのです。まさに、「ある」から良い、または「ない」から悪いといった理はここには一切ないのです。
個人的には、最後の物語の終わり方が最高に皮肉が効いていて大好きです。

後編のローマ、ヘルシンキ、総評に続く…

ナイト・オン・ザ・プラネット
8

レビュータイトル:ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021が上映中。代表作『ナイト・オン・ザ・プラネット』をレビューしてみた。後編 ※ネタバレ要素あり

ローマ
まだ深い眠りについたままの多くの人々、愛を営むカップル、バーを閉めて帰宅するオートバイ、夜中の清掃が入った小売店、朝刊の販売をはじめた路上店。様々な生が静かに動く午前4時のローマでは、ロベルト・ベニーニ演じる陽気でおしゃべりなタクシードライバーがイタリアはローマの暗い街を走ります。
今夜のドライブでは、「生と死」、「過ちと懺悔」がキーワードになってきます。
乗車したのは教会の近くで待っていた司教のような男性。ドライバーは「司教様をタクシーに載せれるなんて」と光栄だと伝えますが、男性は「司教ではない」と断ります。しかし、ドライバーはそんなことはお構いなしの性格のようで、これまでの人生に犯してしまった罪について懺悔をはじめます。乗客の男性は体調が優れていないこともあり、ドライバーの行動ひとつひとつに迷惑しているようです。永遠と懺悔が続くなか、乗客にはある異変が起き始めます。物語のあちらこちらに散りばめられた「生」の伏線が衝撃の結末へと繋がっているように思われます。
ドライバーの懺悔がとにかく続くローマ編ですが、なにか自分の知らないところで起きてしまうできごとに気づけない恐怖や後悔といった感情を引き起こすような物語です。しかし、陽気に喋り続けるドライバーが同時に描かれることで、緊迫した状況もポップに見えてしまうのも憎いですねえ。このバランスってなかなかないです。

ヘルシンキ
『ナイト・オン・ザ・プラネット』最後の舞台は、北欧フィンランドの首都ヘルシンキです。まだ雪の積もるヘルシンキでは、タクシーのエンジン音とタイヤの音以外に聞こえるものはなく、その静けさがこれから始まる物語への助走のような役割を担っています。
車内通信でお客さんが3人待っていると聞いて向かった先では、お酒に酔っ払った3人組がお互いの肩に寄っかかりながら立って眠っています。そのうちの一人アキは、酔いつぶれ自力では帰ることができないようです。
今回のタクシーで語られるのは、「家庭」や「苦境」、「不幸」です。酔いつぶれたアキがどうしてこうになるまでに飲んでしまったのか、そしてこれまでの経緯をほか二人の乗客と運転手ミカの会話で明らかにされます。酔いつぶれたアキをよそに、ミカも家庭の不幸について話し始め、世知辛さや世の不条理を経験した彼の人生を乗客二人が労います。
普段口にできないような悲しみや苦悩は、一期一会の出会いとタクシーという密室の中でこぼれ始めます。男たちが滅多に見せない弱さを認め合い、束の間の告白で身を浄化しているようにも捉えられます。幸福度が高いことで有名なフィンランドですが、現実には辛いことだって誰もが経験していることなんです。でも、こんなふうに一時の運命をともにする人間にオープンでいれることが幸福であるためのエッセンスなのかもしれませんね。
そしてその後、二人の乗客を送ってから車内に残されたアキに料金を払うように言うシーンなど、現実にすぐ戻る様はやはり世の中甘くないな、ということを再認識させられます笑



総評
『ナイト・オン・ザ・プラネット』は作品のタイトルの通り、一つの地球ではあっても様々な場所の「ある日の夜」を描いています。何も特別なことが起きるわけではなく、世界のどこかで起きているであろうリアルが5つの都市を舞台として表現されているのです。そしてこのリアルさというのは、人間の性格や言動・仕草、それらに付随するギャップのほか街の明るさや暗がりなどの表裏一体性に基づいて精巧に描写されているように思えます。実際には行ったこともない都市やその時間のリアルさをすんなり受け入れて納得できるように作り込まれているような気がしました。
10段階評価のうち、8点をつけたのはそういった部分を監督が意図していたのか否かに限らず一鑑賞者がそのように感じられるような仕掛けを見出すことができた点を評価したからです。ただ、残りの2点は、初見でここまでのことを感じ取るのは難しいのかなと思ったからです。人間ドラマですので、これといった解釈の正解はないように思われます。だからこそ、二回、三回と見ていくうちに染み出してくる作品の味わい深さを楽しむ映画であることには間違いないのです。皆さまなりの見方、楽しみ方をどんどん育てていけるような作品なのではないでしょうか。