レビュータイトル:ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021が上映中。代表作『ナイト・オン・ザ・プラネット』をレビューしてみた。後編 ※ネタバレ要素あり
ローマ
まだ深い眠りについたままの多くの人々、愛を営むカップル、バーを閉めて帰宅するオートバイ、夜中の清掃が入った小売店、朝刊の販売をはじめた路上店。様々な生が静かに動く午前4時のローマでは、ロベルト・ベニーニ演じる陽気でおしゃべりなタクシードライバーがイタリアはローマの暗い街を走ります。
今夜のドライブでは、「生と死」、「過ちと懺悔」がキーワードになってきます。
乗車したのは教会の近くで待っていた司教のような男性。ドライバーは「司教様をタクシーに載せれるなんて」と光栄だと伝えますが、男性は「司教ではない」と断ります。しかし、ドライバーはそんなことはお構いなしの性格のようで、これまでの人生に犯してしまった罪について懺悔をはじめます。乗客の男性は体調が優れていないこともあり、ドライバーの行動ひとつひとつに迷惑しているようです。永遠と懺悔が続くなか、乗客にはある異変が起き始めます。物語のあちらこちらに散りばめられた「生」の伏線が衝撃の結末へと繋がっているように思われます。
ドライバーの懺悔がとにかく続くローマ編ですが、なにか自分の知らないところで起きてしまうできごとに気づけない恐怖や後悔といった感情を引き起こすような物語です。しかし、陽気に喋り続けるドライバーが同時に描かれることで、緊迫した状況もポップに見えてしまうのも憎いですねえ。このバランスってなかなかないです。
ヘルシンキ
『ナイト・オン・ザ・プラネット』最後の舞台は、北欧フィンランドの首都ヘルシンキです。まだ雪の積もるヘルシンキでは、タクシーのエンジン音とタイヤの音以外に聞こえるものはなく、その静けさがこれから始まる物語への助走のような役割を担っています。
車内通信でお客さんが3人待っていると聞いて向かった先では、お酒に酔っ払った3人組がお互いの肩に寄っかかりながら立って眠っています。そのうちの一人アキは、酔いつぶれ自力では帰ることができないようです。
今回のタクシーで語られるのは、「家庭」や「苦境」、「不幸」です。酔いつぶれたアキがどうしてこうになるまでに飲んでしまったのか、そしてこれまでの経緯をほか二人の乗客と運転手ミカの会話で明らかにされます。酔いつぶれたアキをよそに、ミカも家庭の不幸について話し始め、世知辛さや世の不条理を経験した彼の人生を乗客二人が労います。
普段口にできないような悲しみや苦悩は、一期一会の出会いとタクシーという密室の中でこぼれ始めます。男たちが滅多に見せない弱さを認め合い、束の間の告白で身を浄化しているようにも捉えられます。幸福度が高いことで有名なフィンランドですが、現実には辛いことだって誰もが経験していることなんです。でも、こんなふうに一時の運命をともにする人間にオープンでいれることが幸福であるためのエッセンスなのかもしれませんね。
そしてその後、二人の乗客を送ってから車内に残されたアキに料金を払うように言うシーンなど、現実にすぐ戻る様はやはり世の中甘くないな、ということを再認識させられます笑
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総評
『ナイト・オン・ザ・プラネット』は作品のタイトルの通り、一つの地球ではあっても様々な場所の「ある日の夜」を描いています。何も特別なことが起きるわけではなく、世界のどこかで起きているであろうリアルが5つの都市を舞台として表現されているのです。そしてこのリアルさというのは、人間の性格や言動・仕草、それらに付随するギャップのほか街の明るさや暗がりなどの表裏一体性に基づいて精巧に描写されているように思えます。実際には行ったこともない都市やその時間のリアルさをすんなり受け入れて納得できるように作り込まれているような気がしました。
10段階評価のうち、8点をつけたのはそういった部分を監督が意図していたのか否かに限らず一鑑賞者がそのように感じられるような仕掛けを見出すことができた点を評価したからです。ただ、残りの2点は、初見でここまでのことを感じ取るのは難しいのかなと思ったからです。人間ドラマですので、これといった解釈の正解はないように思われます。だからこそ、二回、三回と見ていくうちに染み出してくる作品の味わい深さを楽しむ映画であることには間違いないのです。皆さまなりの見方、楽しみ方をどんどん育てていけるような作品なのではないでしょうか。