記念すべきゴジラ映画の1作目の作品
この映画の存在感は、何事かと思うほどのインパクトがありますね。
タイトルの最初ゴジラの重苦しい足跡が響いただけで、心の中に禍々しい災厄の予感を持ってしまいます。
続いてゴジラの咆哮を耳にしただけで、もう破壊と殲滅から逃れ得ないと覚悟してしまう程のリアリティーがあるんですね。
この映画の凄いところは、その圧倒的なリアリティーにあると思います。
俳優で言えば、志村喬の説得力に多くを負っていると感じましたが、この俳優の凄いのは、明らかなフィクション世界を、その佇まい1つで、現実世界に書き換えてしまうところにあるんですね。
しかし、それ以上に、この映画でリアリティーを生んでいるのは、全体に染み込んだ時代感にあるのではないかと思います。
これが撮影された1954年は、第二次世界大戦が終わって、10年を経ていない。
つまり、この映画の、ゴジラという破壊の化身に、右往左往する人々の姿は、そのまま、10年前の現実世界だったのだ。
映画には間違いなく時代感覚が、映り込むことがあるものです。
そして、しばしば傑作とは、監督の意図した事と、映り込んだ時代感がマッチした時に生まれるのだと思います。
この初代ゴジラの明らかな着グルミ感は、ビジュアル的にチープだと言わざるを得ません。
しかし、その「作り物感」以上に、禍々しく怪異で重厚な、魔物とも、神とも見える存在として、その威容にリアリティーを与えたのは、エキストラまで含め表現された、戦争の災禍の記憶が、ゴジラという存在に憑依したゆえだと感じましたね。