思わず涙!国語の教科書に掲載された悲しい物語まとめ【ごんぎつね、ちいちゃんのかげおくりほか】
学校の授業で必ず触れる「国語の教科書」。その中には思わず涙を流してしまうような悲しい話が、沢山ちりばめられている。戦争の悲惨さや、動物と人間の交流の果ての悲劇。当時では理解できなかったことも大人になって改めて振り返ると、心に突き刺さるような悲しみが伝わってくる名作も多いのだ。本記事では国語の教科書に掲載されていた「悲しい話」を、厳選して紹介する。
かわいくてかわいくてたまらない弟のミルクを、少年は泣きながら盗み飲む。少年は一生涯、この罪から逃れられず、苦しみ続けるのだろう。
『ひよこの眼』
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〈あらすじ〉
中学三年生の時、彼が転校してきました。ぼうっと何かを見ているようで何も見ていない不思議な眼をした少年です。それがクラスメイトの女子の私には懐かしい眼に思われました。けれどなぜ懐かしいのか思い出せなくてことあるごとに彼を見つめました。
その後文化祭の実行委員を男女一名ずつ選ぶときに彼と私が推薦されました。最初はぎこちなかったですが、お互い話すようになって親しくなっていきます。それと共に一緒に居る時はどこを見るでもない懐かしい目はしなくなりました。しかし彼は一人の時にはやはり不思議な視線をしていました。
一緒の帰り道は、家庭のことを話します。彼の家は大変な不幸でした。しかし彼は前向きなことを言いつつ笑います。それから手を繋ぎ、私は幸せでした。
家に帰ると母と妹がもめていました。デパート前で売っていたウサギを飼いたいと妹が駄々をこねていたのです。その時は母は言いました。夜店で買ったひよこは可愛そうなことになったでしょ、と。
それを聞いて私はひよこの死の間際の眼を思い出しました。何も見ていない遠くを見る目。死を見ている目。彼と同じ目。彼もまた死を見つめていたのです。
次の日学校に行くと彼が死んだと聞かされます。
生きることに悲観した病気の父に道連れにされたらしいのです。
私は泣きました。
その後、街を歩いているとき、ヒヨコと同じ眼をしている人々を見かけます。そのたびに尋ねたい衝動に駆られるのです。
もしや、あなたは、死というものを見詰めているのではありませんか、と。
〈感想〉
この作品は青春真っ盛りの中学生には素直におすすめできるものではないと思う。これを教科書に掲載したことが驚きだ。
ずっしりきました、私には。悲しい…って一言で言える含みではないのですが、決して明るくはないこの話。なんですけど、おかしな話ですが、私は少し憧れみたいなものを抱きました。嫉妬にも似た感じの。
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ひよこの眼 衝撃を受けた作品。恋が、暖かく始まってしまっただけに悲しい
ひよこの眼原文
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ひよこの眼 山田詠美 その男子生徒の目を見た時 、なぜか懐かしい気持ちに包まれたのだが、それがいったいどのような記憶から端を発してい るのかが、私にはとっさに思い出せなかった。私は、その時、まだ中学三年生だったし、その年齢で懐かしがるべきことな ど、ひとつもないように思えたから、せつない感情が霧のように胸を覆い、心を湿らせた時、私は驚き、そして混乱した。 彼、相沢幹生は、教壇に立ち、澄んだ瞳で、…
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『オツベルと象』
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『オツベルと象』は、宮沢賢治の短編童話である。詩人尾形亀之助主催の雑誌『月曜』創刊号(1926年1月号)に掲載された。賢治の数少ない生前発表童話の一つ。教科書にも広く収録されているほか、公文の教材にもなっている。
〈あらすじ〉
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オツベルという男が、白い象を自分の仕事の道具として扱っていました。しかし、象にはまったくご飯をあげていなかったために象はどんどんやせていき、とうとうたおれてしまったため、象は仲間たちに「助けてほしい」と手紙をかきました。すると仲間たちは、象を助けに来ます。そしてオツベルの顔を踏み潰し帰っていきました。
〈感想〉
人の都合のいい勝手な思い、欲望
象の好意を逆手にとる悪知恵はたらく、あくどさ
いつの時代もこんな人間っているもんだなあと悲しくなる
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燃え尽きていく過程が、短い物語の中で、とてもわかりやすく描かれていた。 自分でも、心と体が疲弊していくことに気がつかない。 そして、最後にさみしそうに笑う象が印象的。
結末にある「おや、(一字不明)、川へはいっちゃいけないったら」は、いったい誰が、誰に向かって言った言葉なのだろうか? (一字不明)はどんな言葉だったのだろうか。
これは授業のみならず、読者・ファンの間でも論議されている問題。この文章が何を意味しているのか?元の原稿で紛失されている不明の一文字は何なのか?多くの解釈が挙げられているが真相は不明。
宮沢賢治 オツベルと象
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オツベルと象 宮沢賢治 ……ある 牛飼 ( うしか ) いがものがたる 第一日曜 オツベルときたら大したもんだ。 稲扱 ( いねこき ) 器械の六台も 据 ( す ) えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。 十六人の 百姓 ( ひゃくしょう ) どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で 踏 ( ふ ) んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから 扱 (…
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