【1990年代売れっ子タレント】上原さくらの壮絶な半生【驚愕の真実】
1994年にデビューし、テレビドラマやバラエティ番組に引っ張りだこだったタレント、上原さくら。人気絶頂の芸能生活を送りながら、2度の結婚・離婚を繰り返し、所属事務所を退社してからは精神科の閉鎖病棟に入院するなど、波乱万丈の人生を送ってきました。そんな彼女のエピソードをまとめました。
上原さくら
出典: girlschannel.net
1回目の結婚
2003年8月、3年の交際期間を経てアパレルメーカー社長の遠藤憲昭と結婚。このとき上原は妊娠2ヶ月だったが、結婚発表の2週間後に流産した。
出典: ja.wikipedia.org
遠藤憲昭 氏
1990年代にはハードコアパンクバンドGMFのボーカルとしてインディーズで活動。
1996年にアパレルメーカー「デビロック」創業。
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遠藤氏は2009年4月に逮捕される
暴行に至った経緯としては、ある番組プロデューサーの結婚披露パーティにてそれを撮影していた男性カメラマンに「邪魔だ!」と言われ、突然、上原さくらの夫の遠藤憲昭がその男性カメラマンの腹を殴ったという。
男性は軽傷。
離婚の原因は暴力事件がきっかけか
謎が深まる上原さくら(32)とアパレル会社社長・遠藤憲昭(38)の離婚。
今年4月に、夫が起こした暴行事件の影響で芸能活動を自粛している際、人生や結婚について考えたのがきっかけだという。
出典: www.les2.net
2回目の結婚
2010年12月22日、交際中のKRH代表取締役社長・青山光司との婚約を所属事務所を通じて発表。翌2011年4月1日に青山光司と入籍、その後グアムで挙式した事を、同年6月29日付のオフィシャルブログで公表した。
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青山光司 氏
出身は岐阜県羽島市。
社長の息子。
高校を中退。 実家で働き始める。
営業の才能発揮し、東京支社に進出。
2007年 全日本スポーツカー耐久選手権 LMGT-2クラス シリーズ優勝
2011年6月に上原さくら と入籍。
2011年10月には会社「KRH」が所得隠し。
(3年間で約1億7千万円の所得隠し)
車が大好きで
カーマニアとして有名らしい。
「フェラーリ王子」というニックネームももっている。
現在、別居をし、離婚協議中
タレントの上原さくらが、離婚協議中であることが明らかになった。夫のKRH株式会社代表取締役・青山光司氏がブログで認めた。青山氏は、離婚は上原から申し出たものであること、すでに別居状態にあることも明かしている。
上原は飛び降り自殺未遂をしたとの報道も
同誌によると、別の自殺未遂を起こした上原を心配した母親の勧めで入院予定だったが、入院当日に病院近くのマンションの13-14階の階段付近に倒れ込んでいるところを住民が保護。「飛び降りるためにここに来た」などと話したという。
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離婚騒動についての青山氏の驚きの証言
青山氏と上原は11年4月に入籍。青山氏によると、年に3~4回2人で海外旅行に行き、上原の芸能活動を邪魔しないため、ハウスキーパーを雇い、炊事洗濯もさせず、生活費をすべて負担したうえで利用限度額無制限のクレジットカードを与えるなど何ひとつ不自由のない生活をさせていたという。しかし、結婚から1年ほどして、上原が前夫でアパレルメーカーの社長ほか複数の男性と密会していたことが発覚。青山氏が会うのをやめるようにとがめると、「素人のあなたには分からない」など反論し自分のわがままを通すようになり結婚から1年半ほどで結婚生活が破綻。挙げ句の果てに青山氏の秘書に離婚の条件として「最低、5億円はほしい」と法外な条件を要求してきたうえ、青山氏のことを「社会的に抹殺したい」と話すなどしていたという。
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身の危険を感じた青山氏は昨年10月から上原と別居。翌11月からは代理人を立てて離婚協議をすすめようとしたが、上原は精神疾患を理由に協議に応じようとせず、青山氏が脱税しているかのような虚偽情報を知人にメールするなどして“反撃”を開始。そのため青山氏は同誌に「不本意ではありますが、訴訟による解決も考えています」と語り、法廷闘争も辞さない構えだ。
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