ドラマ『項羽と劉邦 King's War』の三大美女の紹介・歴史的背景を解説!

ここでは中国で制作され、WOWOWで放送された歴史ドラマ『項羽と劉邦 King's War』に登場する三大美女や、ドラマの歴史的背景についてまとめた。総制作費35億円をかけて制作された、中国ドラマ史上最大スケールの歴史ドラマだ。

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こちらも呂雉(りょち)サマ、綺麗ですねえ。綺麗な花には棘があるって言葉そのままの美鬼女様です。

劉邦が死んで、劉邦の第二夫人の戚夫人を物凄い残酷に殺害して、功臣を粛清して、漢帝国から王族である劉氏を追い落とし始めます。そして呂氏一族だけで王朝を牛耳ろうって企てる女傑です。結局それは彼女の死によって、あと一歩のところまできて実現しませんでしたが…

中華一の成り上がり者!楚漢の争乱を制した劉邦様。まさにKING of KINGS

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そしてこちらが、項羽の宿敵であり、最後に楚漢の戦いを制して、中国を統一して中華に長期の安寧をもたらした劉邦です。

まあ農民出身で天下を取ったってことで、よく日本の豊臣秀吉に比較されたりしますが…あんまり才気のない秀吉って想像できますか?

この人は史書によれば自分では軍略も政略も武技もいまいちなのですが、それを全部得意な部下に任せちゃって勝利したってことになってます。
でも、秀吉が信長にむかって私は何の特技もないですが、”将の将たることだけは得意ですw”っていったら、その日にリストラされそうですけどねw

お国違えば英雄のスタイルも全く違うって意味で興味深い。日本にはないタイプです

劉邦は江蘇省沛(はい)出身、中国史上初の平民出身の皇帝。前漢を建国した皇帝である。歴史的には高祖と呼ばれている。秦の末期に泗水(しすい)の亭長(ていちょう)の任にあたっていたが、陳勝・呉広に続き、挙兵して沛公と称した。項羽と共に秦と戦い、秦が滅亡すると漢王となった。のちに楚漢戦争で項羽を打ち破り天下を統一した。

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なんか青色の色調が、英雄の凄惨な迫力をうまく表現してますね

劉邦が家臣たちと酒宴を行っていた時、劉邦は「わしが天下を取って、項羽が天下を失った理由を言ってみなさい」と言った。これに答えて高起と王陵が「陛下は傲慢で人を侮ります。これに対して項羽は仁慈で人を慈しみます。しかし陛下は功績があったものには惜しみなく領地を与え、天下の人々と利益を分かち合います。これに対して項羽は賢者を妬み、功績のある者に恩賞を与えようとしませんでした。これが天下を失った理由と存じます」と答えた。

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暴言だらけで、行儀が悪かったけど気前だけはよかった親分。

これが中国人の理想の大ボスの姿なのでしょうか?日本人が求めるボスとは明らかに違いますね。

日本の三大英雄の信長、秀吉、家康はそれぞれ本人が智謀の塊で、戦争指導者としても、外交官としても、政治家としても卓越してましたからね。

しかし、中国の歴史でも劉邦タイプのボスはそんなに多くはない気がしますね。明朝の始祖で同じ農民出身の朱元璋は普通に優秀な人だったらしいですし…

劉邦は「貴公らは一を知って二を知らない。策を帷幕の中に巡らし、勝ちを千里の外に決することではわしは張良に及ばない。民を慰撫して補給を途絶えさせず、民を安心させることではわしは蕭何に及ばない。軍を率いて戦いに勝つことではわしは韓信に及ばない。わしはこの三人の英傑を見事に使いこなした。しかし項羽は范増一人すら使いこなせなかった。これがわしが天下を取った理由だ」と答え、その答えに群臣は敬服した。

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韓信は反乱を起こそうと目論んだが、蕭何の策で捕らえられ、誅殺された。この時劉邦は遠征に出ていたが、帰って韓信が誅殺されたことを聞かされるとこれを悲しんだ。

遠征から帰る途中で故郷の沛に立ち寄って宴会を行い、この地の子供120人を集めて「大風の歌」を歌わせた。

大風起こりて雲飛揚す(大風起兮雲飛揚)
威海内に加わりて故郷に帰る(威加海内兮歸故鄕)
いずくむぞ猛士を得て四方を守らしめん(安得猛士兮守四方)

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皇帝の母の地位を目指して、呂薙と闘って敗れた戚夫人。その代償は余りにも高くついた!

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こちらが劉邦が正妻の呂稚よりも晩年は遥かに愛していたと思われる第二夫人の戚夫人

。劉邦が死んで宮廷での権力争いで呂稚に負けて物凄い無残な死に方をします。もう可哀想でしょうがない…

自分の息子を長男でもないのに、劉邦にピロートークで甘えて息子を皇位継承者にしてくれるよう頼んだことが、呂薙にばれて恨みをかっていたのでしょうね。劉邦には他にも沢山の夫人がいましたが、ここまで悲惨な最期をとげたのはそれだけ恐ろしいライバルだったからってことでしょうね。

まあ、やらなければやられるって間柄だったのでしょう…彼女の子供が皇帝になったら呂薙もひどい目にあっていたことは想像に難くないですから

歴史上、有名な戚夫人。男心を深く理解できる絶世の美女であり、策略家の女性でもある。天性の美貌と鮮やかな計略で、劉邦の手をしっかりと手放さなかった。たとえ劉邦の心が呂雉に傾いても、劉邦が自分のもとから離れないよう策を講じた。戚夫人は呂雉の善良な性格をだんだんと残忍なものに変えていってしまい、最後に自身が性格が変わってしまった呂雉の餌食になってしまう。

戚夫人を演じているのは湯嬿(タンエン)さんです。とってもお綺麗な方ですねえ

呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声をつぶし、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせた、と史書にはある(なお、古代中国の厠は、広く穴を掘った上に張り出して作り、穴の中には豚を飼育して上から落ちてくる糞尿の始末をさせていた。戚氏を厠に入れた事から、豚に喩えたと思われる)。

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劉邦にむかって俺の動かす兵は多ければ多いほどよいと、豪語した中華最高の名将軍、韓信。まさに国士無双とはこのお方

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こちらが有名な”韓信の股くぐり”のシーンです。

韓信というのは神がかり的な軍略家で、戦争が下手な劉邦の軍をひきいて楚軍を次々と打ち負かした戦争の神様みたいな人です。この人は、若いころはチンピラみたいな生活をしていて、街で自分よりは腕力が強そうな男にからまれたときは、相手の股をくぐって許しを乞うたという伝説が残っています。まさに、能ある鷹は爪隠すの絵ですね。たんに喧嘩が怖かっただけか?

韓信は淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた

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最初は劉邦の遊撃隊みたいな感じで、劉邦と項羽の戦いとは離れて北方の戦場で活躍していた韓信

。主要な戦に勝ちまくり、領土は拡大の一途でついには主役の劉邦と項羽と同じレベルの領土を持つまでにいたります。もともと劉邦と韓信には封建的な主従関係ではないので(成り上がり者の劉邦だけに)、韓信の独立を恐れる劉邦。その足元を見てか、彼は”斉王”の称号というもはや同格の王の称号を劉邦から認めさせます。これが後々の彼の滅びの原因になったといえます。

劉邦に追い詰められた時に「獲物がつきると猟犬は煮られるように敵国が滅んで功臣は粛清される」と恨みの言葉を残したとか。役者は段奕宏(ドアン・イーホン)さん

韓信の説明。紀元前231-紀元前196年。准陰(江蘇省淮安市)の人。前漢建国の功臣であり、中国歴史上傑出した軍事家で、蕭何・張良とともに漢の三傑とされる。その戦功のため斉王、楚王の位についたが、後に准陰候に落とされる。漢王朝天下統一に輝かしい戦功を立てたが、後に高祖(劉邦)に疑われて最後は謀叛罪で処刑される。韓信は中国軍事思想における「謀戦」派の代表的人物であり、「国士無双」と呼ばれている。

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劉邦陣営に新たに加わったのが韓信である。韓信は元は項羽軍にいたが、その才能がまったく用いられず、劉邦軍へと鞍替えしてきたのである。最初は単なる兵卒や下級将校であったが、やがて韓信の才能を見抜いた蕭何の推挙により、大将軍となった。

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韓信は斉を完全に制圧し、劉邦に対して鎮撫のため仮の斉王になりたいとの使者を送ってきた。これを聞いた劉邦は怒って声を荒げそうになったが、それを察知した張良(神軍師1)と陳平(神謀臣1)に足を踏んで諫められ、もし韓信が離反してしまえば取り返しがつかないことを悟り、韓信を正式な斉王に任命した。

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劉邦はよく韓信と諸将の品定めをしていた。後述のように韓信は劉邦によって捕縛されることになるのだが、その後、劉邦が韓信に「わしはどれくらいの将であろうか」と聞くと、韓信は「陛下はせいぜい十万の兵の将です」と答えた。劉邦が「ではお前はどうなんだ」と聞き返したところ、「私は多ければ多いほど良い」そりゃあ…警戒されるわwwww

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