クールで熱い音の語り部〜ピーター・バラカン
20世紀の後半を洋楽にまみれて過ごした筆者にとって、ピーター・バラカン氏はある意味神様のような存在の方でした。とにかく音楽に対するセンスが素晴らしい。「良い音」を選び取るアンテナの感度にはいつも惚れ惚れとさせられますし、音楽のみならず環境問題に対しても一貫したブレのない姿勢をとり続けておられるところなども大好きです。
ピーター・バラカン(Peter Barakan)プロフィール
ピーター・バラカン(Peter Barakan)は、1951年8月20日生まれ、出身地はイギリス。
音楽評論家、ラジオDJ。
バラカンさんには少し東洋的な面差しがあるな、と思っていたらお母様の方にミャンマー人の血が流れていたそうで、なるほどそれで、と納得しました。
あまりにも日本語が堪能なので、一時期は彼のことをてっきり日本人かと思っていた(!)こともあったくらいです。
10代の頃から音楽に親しみ、ロンドン大学で日本語を習得。1974年に来日して、音楽出版社シンコーミュージックの国際部に勤務されました。
1980年にYMOのマネージメント事務所だったヨロシタミュージックに転職。
それから数年後に独立すると、幅広い音楽知識と流暢な日本語能力を活かして、数々の音楽番組に出演してこられました。
そして現在も「良い音楽」を紹介し続けておられます。
著書「ラジオのこちら側で」
2013年に岩波新書から発売されたバラカン氏の著書。自伝的な内容で、年代ごとに彼の目を通して「重要」と思われた作品もそれぞれの解説を添えて紹介されていて、洋楽好きにはとても楽しめるものになっています。
また、彼の起伏に富んだこれまでの人生を追体験することもできて、ファンにとっては必携の一冊といえるでしょう。
ピーター・バラカン氏がはじめて日本にやって来たのは1974年夏。この本は、日本語を学んでいた若きイギリス人が日本社会にやってきて奮闘の末、ラジオの仕事につき、マーケットやメディアの激変の波を受けつつ頑固にポリシーを貫いて今にいたるまでの、ちょっとしたドラマとエピソード、その時々に流れた・流した音楽について綴ったエッセイです。「はじめに」を一部だけご紹介して、バラカン氏とラジオの縁の一端を、本書へのご招待にいたしましょう。
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「1972年に新たな番組に出会ってぼくの人生が転換期を迎えます。BBCには全国の放送と別にローカル放送もありますが、ロンドンだけのローカル局で日曜日のお昼に放送開始した番組“Honky Tonk”に並々ならぬ衝撃を受けたのです。…自分にDJという職業が可能かも知れないと初めて思ったのはチャーリー・ギレットの放送を聞いてからでした。
…だめもとでラジオ番組のデモ・テープを作ることにしたのです。…スタジオでテープにダビングした曲の部分とぼくのしゃべりをうまく編集し、一本のプロ仕様のテープにまとめてもらいました。それをチャーリー・ギレットの番組を放送していたBBC Radio Londonに持ち込み、受付の人に預けて、「どなたかプロデューサーに聞いてもらえたら嬉しい」と伝えるだけで、何となく不安な気持ちのまま帰りました。…
…「あれですか。うちでああいうものを再生する機材はないからもう一度カセットで持ってきてもらえませんか」と言うのです。愕然としました。…実は、そのタイミングで既に日本での仕事が決まりかけていました。未知の国で未知の音楽出版の仕事という冒険が待っていたので、ラジオ番組を持つ夢はいったんお預けとなりました。
本編の物語はそこから始まります。どうぞお付き合いください。」
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そのときBBCがバラカン氏を英国に引き留めていたら…。ピーター・バラカンを日本に送り出してくれてありがとう、BBC。
坂本龍一との対談
YMOが昔在籍していた事務所ヨロシタ・ミュージック。そこに転職してYMOの国外コーディネートに携わった関係で、バラカン氏とYMOのメンバー達との深いつながりが生まれました。中でも特に坂本龍一氏とのつながりは有名です。
最後に
バラカン氏が本当に愛してやまない曲のひとつに、ロバート・ワイアットのシップビルディングという作品があります。
実はこの曲、私も若い頃からずっと好きな曲でした。
ロバート・ワイアットは有名なドラマーでしたが、事故で半身不随になった人です。
「世界一悲しい歌声」の持ち主だと言われていた彼のこの曲を聴くと、黄昏の海の景色が目の前に開けていくようです。
なので、最後にこの作品の動画をアップして終わりたいと思います。