【こっくりさん】2ちゃんねるで見つけた都市伝説&死ぬほど怖い話まとめ【葬儀の後】

2ちゃんねるで見つけた都市伝説・怖い話をまとめました。「こっくりさん」や「吸血鬼ドラキュラ」といった昔からある定番の話はもちろん、「カーブミラー」「葬儀の後」「夢と現実のリンク」などゾッとする都市伝説を掲載。ホラーやオカルト好きでも読んで後悔するような、怖い話を紹介していきます。

【閲覧注意】死ぬ程洒落にならない怖い話まとめ

【死ぬ程洒落にならない怖い話】2ちゃんねる都市伝説

重苦しい空気、お見舞い、真っ白ノッポ、箪笥を置いた理由、おっさん、座敷牢の幽霊、雛人形、道端の地蔵、夢と現実のリンク、電話ボックス、ドライブイン、浜辺の墓地、不思議な箱、部屋の中、運命、勾玉、羽虫...

吸血鬼ドラキュラのモデル・ブラド3世

230:本当にあった怖い名無し:2013/02/12(火) 08:50:17.09 ID:EftgH6kb0

吸血鬼ドラキュラのモデル・ブラド3世

ルーマニアの首都ブカレストから
北西に80キロ行ったところにトルゴビシテという小さな町がある。
その中央に城跡があり、今では一面芝生に覆われているが
この古城こそ19世紀に書かれた「吸血鬼ドラキュラ」のモデルにされ
血を見ることが何よりも好きだった猟奇的な君主、ブラド3世の居城である。
その残虐の限りを尽くして綴られた呪われた過去とは
一体どのようなものであったのだろうか?

通称串刺し公として知られるブラド3世は1431年2月、
トランシルバニアの古い城塞都市に生まれた。彼の父ブラド2世はハンガリー王国から
イスラムと戦うという意味の「ドラクルの騎士」の称号を送られた上に所領を与えられた。

ハンガリーは彼に必要な援助を約束して
現在のルーマニアであるワラキア公国の君主として承認することで、
押し寄せるイスラムの脅威からの防波堤という役割を彼に荷なわせたのである。
しかしワラキア公としてトルゴビシテに首都を構えたブラド2世は、
たちまち隣接するオスマントルコ帝国の重圧に直面することになった。

オスマン帝国は彼にワラキアの公位を認める見返りとして多額の貢納金を要求してきた。断れば圧倒的な軍事力で一気に粉砕されることは明らかであった。
こうしてワラキアはトルコとの間に屈辱的とも言える隷属関係に組み入れられてしまった。
この結果、ワラキア公国はイスラムの防波堤になるどころか皮肉にも
バルカン侵攻を図るオスマン軍の先鋒を務めることになってしまうのである。

しかもブラド2世の忠誠に疑問を抱いたオスマン帝国は、
彼の息子を人質に取る事を要求してきた。当時13才だったブラド3世は人質として
トルコの首都に留め置かれることになった。以後5年間、
ブラド3世は不安な人質の日々を過ごす事になるのである。

231:本当にあった怖い名無し:2013/02/12(火) 08:50:54.85 ID:EftgH6kb0

一方トルコ側に寝返ったと思い込んだハンガリー王国は激怒した。
ワラキアにトルコ戦への参加を迫って来たのである。
ブラド2世はトルコで人質になっている我が息子を気づかいながらも義務を遂行したが、
ブラドに反感を持つ貴族たちによって長男もろとも捕らえられた。

そして沼地のほとりにある修道院で惨殺されてしまった。
兄の方は鎖に繋がれて連行され、自分の墓穴を掘らされた上に
生きたまま埋葬されたのである。
そこでオスマン帝国は空位となったワラキアの君主の座に
人質として捕らえられていたブラド3世を推すことになった。
トルコ側としては人質期間の5年にわたるトルコの教育により、
ブラド3世がトルコにとって好都合で従順な君主になることを期待していたのである。

言わばトルコの傀儡政権の切り札としての任務を与えられていた。
しかしワラキアの新君主になったブラド3世は、結果的にはトルコを裏切り
ハンガリー側に走ってしまう。彼は心の底ではトルコを憎んでいた。
彼が5年間の人質期間に最も影響を受けたのは皮肉にも政治面ではなく、
トルコの伝統でもあった串刺しの刑であった。

ワラキアの君主に返り咲いたブラド3世は、
この串刺しの刑をあたかも自分の専売特許のように行い、おびただしい数の人間を殺し、
残虐の限りを尽くして恐怖の絶対君主となっていくのである。

1456年、首都トルゴビシテに乗り込み、
ワラキアの権力を掌握したブラド3世は、9年前に殺された父と兄の供養をした。
彼はまず兄が葬られたという共同墓地を発掘した。
掘り起こされた遺体は苦悶の形相凄まじく、首を背中に捻じ曲げた姿勢になっていた。
これは兄が生きたまま埋められ、のたうちまわった挙句に窒息死したことを物語っていた。

ブラドは兄の遺体を改葬して盛大に葬儀を行ったが、
すでに頭の中は復讐心に満ちていた。まもなく彼はワラキア中の貴族を城に召集した。
会食が終わって、ブラドは彼らにこれまでに何人もの君主に仕えて来たかと質問した。ある者は5人と答え、ある者は12人と答えた。30人、50人と答えた者もいた。

ブラドは兄の遺体を改葬して盛大に葬儀を行ったが、
すでに頭の中は復讐心に満ちていた。まもなく彼はワラキア中の貴族を城に召集した。
会食が終わって、ブラドは彼らにこれまでに何人もの君主に仕えて来たかと質問した。ある者は5人と答え、ある者は12人と答えた。30人、50人と答えた者もいた。

貴族たちは25才の新しい君主がどういう意味で
こんなことを質問するのか意図が分からず、戸惑いの表情を見せた。
しかし、ブラドの方は知っていた。この中に父と兄を惨殺した裏切り者がいると言うことを。

232:本当にあった怖い名無し:2013/02/12(火) 08:52:28.25 ID:EftgH6kb0

まもなく彼の目配せのもと一定数以上の君主に仕えたと言った貴族が
部下によって捕らえられた。その数は500人ほどだった。
彼らはただちに生きたまま串刺しにされた。
先を尖らせた杭は、すでに何百本も用意されていたのだ。

そして貴族達はある者は胸から、ある者は肛門から、
脇腹からと生きたまま内臓を貫かれて虐殺された。
何百本の杭は城の外に立てられ、死体は野鳥が啄ばむままにされ、
何ヶ月も死体の原形が分からなくなっても放置され続けた。

ここに至り、ワラキア中の貴族はこの新しい君主ブラド3世がどれほど残虐で
戦慄すべき人間かを理解し、恐怖一色に染まっていくのである。
もはや彼らはこの新しい君主に絶対服従を誓うか、
さもなければ土地を捨ててどこかに逃げ去るかのいずれかを選択しなければならなくなった。

敵対する貴族を一掃して彼の本格的な治世が始まった。
それは恐怖を根底とする絶対的なものであった。彼は人々が常に勤勉に働き、
盗みや不正を行わず妻は夫に常に貞淑であることを求めた。
そしてそれに少しでも違反した場合には厳格で
情け容赦のない処罰が用意されていたのである。

る時は勤勉な夫にみすぼらしい衣類を着せていた
妻が両手を切り落とされて串刺しとなった。
貞操を守らなかった女は性器を切り取られたり、
乳房を切り取られた上、全身の皮を剥がれて棒杭にくくりつけられ町の中央に晒された。

このような彼の異常とも言える正義感は領土内に恐ろしいほどの厳粛な治安を作り出した。
あらゆる窃盗、虚言、不義などが露見した場合、
その犯人には恐ろしい刑罰が加えられたのである。

ラドの残虐行為の記録は数多く残されている。
1460年、聖バルテルミーの早朝に彼は自分に敵対する
異母弟の根拠地だった村を急襲した。
その際集まっていた男女全てが捕らえられ、
剣で切り刻まれるか、ことごとく串刺しにされてしまった。
村は全て焼き払われ、3万人以上が殺されたと言われている。

バルガライ地方に侵攻した時はキリスト教徒を含むあらゆる人々2万5千人以上を虐殺した。
その殺し方も実に惨たらしいもので、生きながら串刺しにしたり、
焼き殺したり、茹で殺したり、生皮を剥ぐなどして殺し尽くした。
目撃者の一人は串刺しにされた死者の列がまるで森のように
林立するこの世の地獄絵図に全身総毛立つ思いだと感想を残している。

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@eureka5489

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