ジャパレゲはこうして始まる!!

今でこそ世界的にも日本はレゲエ大国と言われるようになりました!しかしいつからそう呼ばれるようになったのでしょうか。そもそもレゲエのルーツは日本の正反対に位置するカリブ海の島国ジャマイカのはず。。まだインターネットも普及していない時代に海の向こうから自然に流れて来るとは考え難い...ならば誰かの手によって...!?
今回はその辺りの歴史を紐解いてみます。

ウルトラの父がいるなら、ジャパレゲの父はこの男だ!!

1983年、ランキン・タクシーこと白浜隆は、レゲエ好きのサラリーマン。
ジャマイカで開催されていた大規模なレゲエ・ミュージック・フェスティバル「サンスプラッシュ」を観に行く観光ツアーに参加。
この時の体験が彼の人生を大きく転換することになります。
生まれて初めての野外ディスコ=サウンドシステムに感銘を受け「こんなに気持良くてスリリングな世界があるのか…! ぜひこれを日本でもやりたい!」と思い立ったのが始まりでした。

とにかくガツーンとやられてしまった彼は帰国後、サラリーマンを続けながら、ぎこちなくも深夜のクラブで1人、レゲエDJをスタート。
まだ1人も日本人レゲエDJなどいない時のことですよ!
詳しく話を聞かないまでも、これがいかに大変なことかが分かりますよね?

出典: blogs.yahoo.co.jp

ジャパレゲの第一人者【Rankin Taxi】ジャパレゲを語る上で欠かせない人物だ!

レゲエ・ムーヴメントの主導者であり、日本のレゲエ・シーンを牽引し続けているジャパニーズ・レゲエ界のオリジネーター、ランキン・タクシー。
83年にジャマイカのサウンド・システムに衝撃を受けて以来、日本に真のレゲエ・ミュージックを伝導し続け、今年55歳となったボヨヨン・オヤジ。

88年にサウンド・システム・クルー=TAXI HiFiを結成し、レゲエDJとしても精力的に作品を作り続けてきた、いわば日本レゲエ界の第一人者であり、更には、若手発掘レーベル〔BASS KULCHA〕を立ち上げ、新人アーティストの作品を積極的にリリースするなどレゲエ界の若手育成にも力を注ぎ続けてきた。
そのレゲエに対してのアプローチは、真摯かつユーモアに溢れているが、ときに過激でもあり、まさにレベル・ミュージックの体現者としての一面も持ち合わせている逸材である。その言動は多くのアーティストに影響を与えており、リスペクトしている支持者は多数存在する。

出典: iflyer.tv

Rankin Taxi YOROKOBI NO UTA

シンプルなメロディに真っ直ぐなリリックが心に響き、とても癒されますね。

誰にも見えない、匂いもない 2011

わかりやすく放射能、原発事故を歌ってくれてます。

実の娘をナンパ

ホントの話、実の娘をナンパした物語を歌っています。思わず笑ってしまうようなリリックですが、「ボブマーリーのお導き」だそうです(笑)。

ジャマイカ事情

レゲエのことを知らない人にとっては、“ただのおっさんか”だと思ってしまうかもしれないが、実はランキン・タクシー、ジャパニーズ・レゲエの礎を築いたといっても過言ではないジャパレゲ界の重鎮。ジャマイカで知っている日本人の名前を挙げてもらうと、あの総理大臣や、あの大リーガーでもなく、まず彼の名前が上がるというほどのDeeJayなのだ。
そんな彼の影響から、NAHKI、Chappie、BOOGIE MAN、PAPA U-GEEなどが現れ始めた。90年前半 Rankin Taxiがサウンドシステム『Taxi Hi Fi』を構築。
今後の『MITGHY CROWN』など全てのサウンドの原点となった。このころ、日本人DJが海外に武者修行に出る。日本では DANCEHALLが現れ始める。

ランキンタクシーがいなければ、日本でレゲエが生まれなかったかもしれません。

出典: blogs.yahoo.co.jp

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