メソポタミア地域の遺跡からみる有史以前の文化発展の歴史!農耕・会計・動物の家畜化などの起源を紹介

人類発展の起源は、メソポタミア文明から始まったものだと考えられている。メソポタミア地域には多数の遺跡群が残っており、そこから発掘されたものから、文字を使用する以前の人類がどのように文化を発展させていったのかを推測することができるのだ。記事中では農耕・会計・土器・都市の発展・動物の家畜化などの起源を、発掘された遺物の画像とともに解説している。

西アジアの広い範囲の遺跡から、直径2センチ前後の幾何学形をした小型粘土製品とこれが入った直径10センチぐらいの中空の粘土製の球形容器が多数出土している。その使用目的は謎であったが、研究者は小型粘土製品を「トークン」(英語でしるしの意味)、球形容器を「ブッラ」(ラテン語で球の意味)と呼んだ。トークンとブッラは前8000年紀に始まるらしいが、最初はどこで作られたかはわからない。前4000年頃には多様化し、前3500年頃に頂点に達した。その使用目的は、ブッラの表面にトークンの押印痕があったことから、物資管理のための簿記用具ではないかと考えられるようになった。

出典: wh-win.blog.so-net.ne.jp

トルコ、シリア、イスラエル、ヨルダン、イラク、イランなど広範囲から発見されているようです。

【土器の始まり】

ジャルモ遺跡

ジャルモはイラク北部キルクークの東、ザグロス山脈の山麓地帯にある遺跡。紀元前7090年から紀元前4950年に存在した、世界最古の農耕集落のひとつ。南レバントのエリコや、アナトリアのチャタル・ヒュユクのような遺跡とほぼ同時期に存在していた。広さはおよそ12,000~16,000 m²で、木立の中の海抜800mの高度にある。

遺跡は16層が検出され、住居址(し)から約200人の人口であったことが推定される。小麦、ヒツジ、ヤギなどの遺物とともに、床面を掘りくぼめた穀物の貯蔵庫とみられるものも発見され、後期にはかまども発見されている。

出典: kotobank.jp

当時は穴を掘った泥などで住居を作り、建て替えは今までの住居の上に作るというのが普通でした。そのため住居遺跡は丘になっています。遺跡名のテルやテペが丘という意味からもそれがわかります。ちなみに、この建て方は古代ローマも同じで、有名なコロッセオの地下にも別の建物があると考えられています。イタリアで地下鉄が掘れない理由でもあります。

付近から産出しない黒曜石が用いられているので、各地との交易も考えられる。木製の柄(え)にナイフを詰めて鎌(かま)としたものや石臼(いしうす)などがあるため、現在では定着農耕文化の最古のものであるとみられている。ジャルモ式彩文土器とよばれる特徴ある良質の土器が出土し、赤色磨研土器も出ている。

出典: kotobank.jp

年代的にはテル・アブ・フレイラ遺跡よりも後にできた集落跡のようです。ジャルモ遺跡でも農耕文化を示す遺物が見つかっていて、最古級の農耕集落のようです。

しかし、紀元前3000年ごろ、気候の変化によって水源を求めてチグリス・ユーフラテス河の下流平地部へと移住した。

出典: ja.wikipedia.org

【動物の家畜化】

テル・ハラフ遺跡

テル・ハラフはハラフ文化(ハラフィアン文化)の標式遺跡である。ハラフ文化は紀元前6000年から紀元前5500年頃に北メソポタミア・シリア・アナトリアなど「肥沃な三日月地帯」で始まった有土器新石器時代(Pottery Neolithic)の文化で、テル・ハラフ遺跡も概ねこの時期(紀元前6000年から紀元前5300年頃、「ハラフ期」)に栄えており、この間に大きな中断の時期はない。

周囲は乾燥地帯であり、住民は雨水に頼り灌漑は行わない乾燥地農業(Dryland farming)を行った。エンメル麦(Emmer、二粒系コムギの一種)や二条オオムギ、亜麻などが栽培されていた。またヒツジやヤギといった家畜も飼育していた。

出典: ja.wikipedia.org

テル・ハラフから発見された最も有名で特徴的な陶器は「ハラフ式彩文土器」(ハラフ・ウェア)と呼ばれるもので、職人が作ったと見られ、多くは二色以上の色で動物の文様や幾何学文様が塗られている。

出典: ja.wikipedia.org

ハラフ文化を象徴するのが彩色土器です。他ではまだ色が塗られているものがほとんどないため、芸術的感覚が発達していたのかもしれません。

メソポタミア北部のハラフ文化は、紀元前5000年頃にメソポタミア南部から広がったウバイド文化に継承され、テル・ハラフは長い間放棄された。

出典: ja.wikipedia.org

雨水を使った農業に適していたメソポタミア地方の上流あたりや、さらに北のトルコが文化の中心になっていましたが、時代が下ると環境が変わり、下流域のウバイド文明に引き継がれます。

他にも様々な遺跡がメソポタミア地方では発見されていますが、あまりにも古い年代のため有機物が残りにくく、骨や土器などから推定することしかできません。

緑がハラフ文化、薄黄色がハッスーナ文化、紫がサーマッラー文化、濃い黄色がウバイド文化です。

ヤリム・テペI遺跡最下層出土の腕輪に使われていた鉛は、鉱石から精錬されたものとあるから、ハッスーナ文化後期の人々は自然銅だけでなく、精錬銅も利用していたことがわかる。

出典: blogs.yahoo.co.jp

引用元の文より誤字修正。文字の発生よりも金属精錬の方が早かったようです。

ハラフ文化と同時期におこったサーマッラー文化の皿。この時期にはデザインとしてのスワスチカが登場しています。

狩猟採集をしていた人はメソポタミア地方の広い地域で半定住生活をしながら儀式的な活動をしていました。その後泥を使って住居を作るようになり、動物を家畜にしたり天水もしくは基礎的な灌漑による農業を始めました。中には金属加工や塩などの特産品を作り、交易で生計を立てる人たちもいたようです。農業を始めたことで土器の生産も始まり、人口も多くなりました。こうした事から考えると、紀元前6000年頃には人間の基本的な生活様式が出来上がっていたことがわかります。そしてメソポタミア南部の下流域に、今までの文化を継承したウバイド文化が興り、ここから大きな都市が形成されていきます。

【都市化の始まり】

ウバイド文化

ウバイド文化(Ubaid culture, 紀元前5500年ごろ - 紀元前3500年ごろ)はメソポタミアに誕生した先史文化。イラク南部ジーカール県のウル遺跡の西6キロメートルにあるテル・アル=ウバイド(al-`Ubaid, العبيد‎)という遺丘(テル)で発見された、新石器時代から銅器時代の遺跡が、この文化を代表する。

oimazato3
oimazato3
@oimazato3

目次 - Contents