戦争は女の顔をしていないとは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『戦争は女の顔をしていない』とはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによるノンフィクション小説、またこれを原作とした漫画。第2次世界大戦の独ソ戦争に参加した従軍女性のインタビューをまとめたものである。原作は1985年発行され、2015年にノーベル文学賞を受賞。その原作を元に小梅けいとが作画を担当した漫画が、2019年から電子コミック配信サイト『ComicWalker』にて連載を開始した。

インタビューに訪れたアレクシエーヴィチにローラはジャーナリストが欲しがる言葉を知っているが、そうではないことを言うと前置きした後に「戦争で一番恐ろしかったことは…男物のパンツを穿いていることだよ」と言った。戦争で前線に立ち、祖国のために死んでもいいという覚悟を決めているにもかかわらず、穿いているのが男物パンツだなんて滑稽で間抜けでばかげているとローラは感じていた。その後、ポーランドの村にて軍から女性ものを下着を貰ったという話を笑い話のようにするが、聞いていたアレクシエーヴィチが泣いてしまい、ローラは困惑した。
当時の考えとして、戦争は男性ものであり女性が参加することには否定的な考えが多かった。軍でも従軍女性の扱いが悪く、また女性が軍に入ることを前提として配給など決めていなかったため女性用下着などは配給に入っていなかった。そのため、従軍女性に配給されるのは男性用の下着であった。この待遇に女性としてのプライド、女性らしさを捨てざるを得ない状態はローラを含めて数多の従軍女性にストレスを与えた。長らく続いたその状況が、ポーランドで女性用下着を配給されたことで、女性用のものを身に着けることが可能となった。本来女性が女性用下着を身に着けるのが当たり前だが、従軍中にかぎってはそんな当たり前すら許されなかったという従軍女性の過酷さを物語っている。

アントニーナ「やつらを殺し。殺し尽くせ。少しでもたくさん殺せ。もっとも残虐な方法で」

アレクシエーヴィチのインタビュー時、パルチザンに入隊していたアントニーナは「やつらを殺し。殺し尽くせ。少しでもたくさん殺せ。もっとも残虐な方法で」と敵への憎悪を語った。独ソ戦争下において、ドイツ軍はソ連の村に進軍してきては、村人に残虐な行為を繰り返していた。負傷して戻ってきた兵士、パルチザンの身内などを捕まえては村人の目の前で拷問をして、降伏を促していた。実際パルチザンによる攻撃によってドイツ兵は大打撃を食らっていたので、腹いせも混じっていた可能性もある。アントニーナの村も例の漏れず、村の子供を生きたまま井戸に落とされたり、パルチザンの仲間をノコギリでバラバラにされたりなどの被害にあっていた。アントニーナは母親をドイツ兵に囚われて、拷問された挙句に殺されてしまった。戦時中も、そして終戦後も、アントニーナの心にあるのは非道の限りを尽くしたドイツ兵への憎悪であった。

タマーラ「どうやって話したらいいのか。どんな言葉を使って?どんな顔をして?」

インタビューにやってきたアレクシエーヴィチに自身が体験した戦争の凄惨さ、残虐さを語りつつ、戦争に行ったことがない人に対してこんなことがわかるのかと「どうやって話したらいいのか。どんな言葉を使って?どんな顔をして?」と言った。様々な戦地を見て、仲間の救出をしていたタマーラは、その過程で多くの仲間の死を見送ってきた。薪の数よりも多い死体を、白兵戦の恐ろしさ、人間が銃剣を構えて人間を襲うことの恐ろしさを戦場に行ったことのない人間にはわかるはずもないとタマーラは語る。どんな顔をして悲惨な光景を思い出さなければならないのかとタマーラは泣いてしまう。インタビューをしていたアレクシエーヴィチにどんな顔をして語ればよいのかと問うほどに、タマーラにとって戦争を語る行為は苦痛であった。しかし、どれほど辛くても戦争の話を、参加した女性たちの悲鳴は残して、後世に伝えられるべきであるとも語り、涙を流しながらインタビューに答え続けた。

『戦争は女の顔をしていない』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

パルチザンの装備はドイツ兵から奪ったものが多い

パルチザンとは非正規の兵士にあたるため、正式装備が支給されず、主にドイツ兵士から奪ったものを使用していた。そして、ドイツ兵のベルトバックルについているドイツの象徴であるワシとハーケンクロイツの上からソ連の象徴である赤星のバッジをつけていたりもした。または、ワシとハーケンクロイツの部分に穴を空けていた。

スターリン政権の「管理社会」の実態

スターリンといえば独裁者であり、ソ連を厳しく管理して国民の移動や自由などを束縛していたと語れていることが多いが、その実きちんと管理されていたとは言えない事実が多い。作中には正式な手続きを踏まずに戦争に参加した女の子たちが多数存在する。また有名な自動小銃AK-47の開発をしたカラシニコバですら、故郷シベリアを勝手に離れて別の場所に住んでいたりした。これらは、国民を真に管理、統制していたのであれば、起きえないことである。ソ連と言う広大な国土を管理しきりることなど到底出来るはずもなく、また古くから存在する風習、国民の性質、風土的にもどこか緩さを持っていた。そのことをスターリン自身も感じていたのか、ドイツに協力した嫌疑をかけるという乱暴な手法で、一つの民族をまるごと強制移住をさせていたと考えられる。スターリン政権自体が新時代の建設に高揚と、それに対しての恐怖、緊張が混在するという矛盾を抱えていた。そのため、スターリン政権の「管理社会」とは、あくまで建前であり本音は別のところにあった可能性が高い。

女の子たちの軍服デザインが違うのは戦時中に変更されたから

1941年に始まった戦争であるが、1943年に戦争中であるにも関わらず軍服と階級章のデザインが変更されている。これは、ナショナリズムを鼓舞するために、帝政ロシア軍の要素を加えたためである。これにより、1943年以降の独ソ戦では共産主義とロシア軍という要素がまじりあったモノとなっている。

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