戦争は女の顔をしていないのネタバレ解説・考察まとめ

『戦争は女の顔をしていない』とはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによるノンフィクション小説、またこれを原作とした漫画。第2次世界大戦の独ソ戦争に参加した従軍女性のインタビューをまとめたものである。原作は1985年発行され、2015年にノーベル文学賞を受賞。その原作を元に小梅けいとが作画を担当した漫画が、2019年から電子コミック配信サイト『ComicWalker』にて連載を開始した。

アントニーナ・グリゴリエヴナ・ボンダワレ

階級は中尉で、一等飛行士を務めた女性。戦争が始まる前に、共産青年同盟に所属していたことから率先して飛行クラブに入った。しかし、家族が代々鋼鉄関係の仕事をしていたことから、父に飛行士になることを最初は反対されたが、自身の操縦する飛行機に乗せたことで父が飛行機を気に入り、飛行士になることの許可が下りた。戦争がはじまると、同じ飛行士であった夫が先に戦場へ行って戦死。後に、娘を身内に預けて、自らも戦場へと赴いた。

クラヴジヤ・イワーノヴナ・テレホワ

階級は大尉で、航空隊を務めた女性。航空学校時代は政治指導員をしており、指揮官の命令で自分を含む髪の長い女の子たちに髪を切るように指導したことがある。この時、1人だけ髪を切るのを拒否した同僚がいたことで、指揮官に怒られた。平時のときであれば2年かかる飛行機の勉強をわずか半年で終わらせて戦闘機に乗って戦場を飛んだ。

エレーナ・ヴィレンスカヤ

階級は軍曹で、書記を務めた女性。戦前はカメラマンをしていたことから、戦時中もカメラマンを任せられた。死の写真を撮りたくなったため、兵士たちの休息の時や褒美を授与されているところ、連隊旗を掲げているところなどを撮影していた。仲間が死ぬと、その人が笑って映った写真を求める人に渡していた。

マリヤ・アレクサンドロヴナ・アレストワ

鉄道機関助手を務めていた女性。ソ連初の女性機関士であった。夫と子供がおり、戦争がはじまると一度子供と共にウリヤーノフスクに疎開した。しかし、祖国のために戦うことを決意して疎開して半年もたたずに、輸送隊の機関車の機関士を夫と共に務めた。子供も共に機関車で移動して、子猫を拾い大事にしていた。子供が子猫を拾ったことは必ず本に乗せるようにアレクシエーヴィチに頼むほど大事な思い出になっている。機関車は自身にとって人生であり青春であると語っており、人生の中で一番美しかったとも思っている。戦後は家族と離れるのを極度に恐れるというトラウマを抱えている。

ローラ・アフメートワ

階級は二等兵で、狙撃兵を務めた女性。アレクシエーヴィチが訪れて「戦争で恐ろしかったこと」を問われた際に「戦場で男物もののパンツを履いていること」と答えた。祖国のために命を投げ出す覚悟で戦場へ来ているのに男物パンツを履いているのが酷くみっともなく、そして滑稽で間抜けであると感じていた。4年間もの間男物のパンツを履いていたが、ポーランドへやってきた際にようやく女性もの下着を支給された際は喜んだ。これらの話を笑い話のごとくアレクシエーヴィチに語ったが、アレクシエーヴィチが話の内容に泣いてしまったため、なぜ泣いているのか理解できず困惑した。

ニーナ・ヤーコヴレヴナ・ヴィシネフスカヤ

階級は曹長で、戦車大隊衛生指導員を務めた女性。9年生に進級した年の頃、国防施設に徴用されて対戦車壕を仲間と共に掘っていた。その時、ドイツの飛行機から掃射を受けて、自身も戦場で戦うことを決意。仲間と共に徴兵司令部に駆け込むが、体格が小さいために一度断られている。しかし、採用された女の子たちの計らいにより、こっそりと混じって塹壕へと向かった。そこで、半ば無理やり戦場で看護婦として働いた。後に、正式に軍服を貰い、戦車兵として戦車に取り残されている兵士の救出・回収の任務をこなした。18歳で戦功に対するメダルと赤星勲章、19歳で祖国勲章2級を授与された。同じ学校出身のリューバ、シューラ、トーニャ、ジーナと仲が良く、他の戦車兵からは5人はコナコヴォ組と呼ばれていた。
アレクシエーヴィチが書いた原稿を読んだ際に、添削して送り返した。「私は息子にとっては英雄です。神様です。こんなのを読んだ後であの子がどう思うか」というメモ書きと共に、戦争に関する愛国心的な仕事とは離れたエピソードを削るようにと指示をしていた。

アンナ・ニコラエヴナ・フロロヴィチ

階級は中尉で、準医師を務めた女性。ラトヴィアの解放が始まった頃に、ダウガウピルス近くに駐屯していた。ある夜、駐屯地にやってきた男に懇願され、危険を顧みずに産気付いている女性の元へ向かう勇気のある性格をしている。女性は無事出産し、アンナは前線で生まれた赤ちゃんに感動していた。その後も、産後の処置の為に夫婦の元に通うなど、面倒見のいい一面を見せた。進軍するために駐屯地を離れることを夫婦に告げると、妻の方から美しい螺鈿のおしろい入れを渡された。戦争が終わった後も、おしろいの香り、螺鈿の蓋、赤ちゃんの姿など戦時中に女性らしい生活を思い出させてくれたこの思い出を大事にしている。

タマーラ・ステパノヴナ・ウムニャギナ

階級は伍長で、衛生指導員を務めた女性。戦争がはじまると、徴兵司令部に駆け込んで入隊志願した。1度、年齢や性別のことで断られてしまうが、粘り強く志願した結果、入隊が許可された。衛生指導員であったため、戦地にて負傷者を運んだり治療したりなどの任務にあたった。戦争中に1番恐ろしかったこととして、スターリングラードでの戦いを挙げた。地面を埋め尽くした大量の死体や補充されては2、3日で死んでいく若い兵士たちなど、激戦地の環境は非常に過酷であったことを語る。人の死を沢山見てきたため、戦争が終わっても死んでいった者たち一人ひとりの顔が忘れられない。スターリングラードでの戦いが終わったあとは汽船にて重傷者を運び出す仕事をした。勝利が確定して終戦すると、周りの兵士たちと共に喜び、記念として写真を撮った。戦後に結婚したが、旦那の実家に挨拶に行った際に、旦那の妹からは侮蔑の言葉を、旦那の母親に記念写真を焼かれる仕打ちを受ける。戦争が終わっても、夏になれば戦争を思い出してしまうなどの心の傷を負っている。

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