TOTO(トト)の徹底解説まとめ

TOTO(トト)とは、アメリカ、ロサンゼルスの凄腕スタジオミュージシャン達が集まって1977に結成されたバンドである。1978年、アルバム『TOTO~宇宙の騎士』でデビュー、1982年のアルバム『TOTO Ⅳ~聖なる剣』はグラミー賞6部門を制覇、「ロザーナ」「アフリカ」といったロック史に残る名曲を発表した。また、メンバー各々がスタジオミュージシャンとしても活躍し、関わったアルバムは5000枚にも及ぶといわれている。結成40周年を超えた今も世界を巡り活動を続ける、ロック界のレジェンドである。

1982年リリースの4thアルバム『TOTO Ⅳ』からの5thシングル。全米73位。デヴィッド・ペイチは、スティービー・ワンダーの「I wish」のようなビートを叩いてくれとジェフに頼んだところ、ジェフがこのリズムを叩き出した。まさにジェフ・ポーカロとデヴィッド・ハンゲイトにしか生み出せないグルーヴが誕生し(PVでは新加入したばかりのマイク・ポーカロが映っているが実際の演奏はデヴィッド・ハンゲイト)そこにボビー・キンボールのファンキーなハイトーンヴォイスが炸裂する。更にスティーブ・ポーカロが、当時最先端のシンセサイザーであったYAMHAのGS-1、CS-80、DX-7を駆使し、独特の浮遊感を生み出している。まさにTOTOにしか出せない唯一無二のソウルフルな世界を作り出した。マイケル・ジャクソンを始めとするR&Bアーティストのレコーディングも難なくこなす彼らの演奏テクニックがここにある。

Africa

アルバム『TOTO Ⅳ~聖なる剣』のラストを飾る曲で、第三弾シングルとしてリリースされ、TOTO唯一の全米1位を獲得した。「Rosanna」と並ぶ彼らの代表的なナンバー。
83年2月5日付ビルボードHOT100でグループ初の1位を獲得した。メン・アット・ワークの「ダウン・アンダー」と全米チャート史に残るトップ争いした直後の2月23日の夜、TOTOはグラミー賞の主役に躍り出た。PVではカットされているが、原曲ではパーカッションとドラムのイントロでこの曲は始まり、その後ガムランやカリンバ風のシンセが優しく響きつつ、ポーカロ兄弟の父親ジョー・ポーカロのマリンバがエスニックなリズムを刻みながら静かに進行していく。民族音楽とワールドミュージック、そしてヒーリングミュージックが合体したようなサウンドは、はじめは誰一人ヒットを予想しておらず、アルバムからは外れかけていた曲だった。今ではTOTOの代名詞ともなった曲で永遠の名曲となり、アメリカの女性歌手ジョジョが2007年のシングル「Anything」でサンプリングしている他、小室哲哉のグループTRUE KiSS DESTiNATiON、あるいはハワイのフュージョンユニットGenai等数えきれない程のアーティストにカバーされている。また、ゲームソフト『グランド・セフト・オート・バイスシティ』の「Emotion 98.3」にこの曲が収録されている。

Stranger in Town

1984年リリースの5thアルバム『アイソレーション』からのファーストシングル。全米7位を記録した。これは「アフリカ」「ロザーナ」「ホールド・ザ・ライン」に次いで4番目に高いヒットシングルとなった。デヴィッド・ペイチがリードボーカルを務め、ボビー・キンボールはアルバム発表時には解雇されていたが、彼がまだグループの一員だった間に「ストレンジャー・イン・タウン」が録音された為、彼もクレジットされている。またこの曲のプロモーションビデオは、a-ha「テイク・オン・ミー」やマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」マドンナ「バーニング・アップ」ダイアー・ストレイツ「マネー・フォー・ナッシング」ナタリー・コール「アンフォーゲタブル」の監督でお馴染みのスティーブ・バロンが監督し、ビデオの主役を、映画『カッコーの巣の下で』で助演男優賞を受賞した俳優、ブラッド・ドゥーリフが演じた。それによりこの曲はMTVで頻繁にオンエアーされ、最終的に、1985年MTVミュージックビデオ賞最優秀演出賞、MTVビデオ・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。

Holyanna

1984年のアルバム『アイソレーション』からの2枚目のシングル。この曲はデビッド・ペイチとジェフ・ポーカロによって書かれた。
「99」「ロザーナ」「カルメン」「アナ」「リア」「パメラ」「メラニー」と、TOTOは女性の名前の歌が多いが、この曲も「ロザーナ」の続編的位置付けでシングル化されたが、チャート的には71位に終わった。トム・スコットがサックスで参加している。

I’ll Be Over You

1986年リリースの6thアルバム『ファーレンハイト』に収録の名バラードで、アルバムのファーストシングル。作者はスティーヴ・ルカサーとランディ・グッドラムの共作で、リードヴォーカルもルカサーが務める。全米11位を獲得し、アダルトコンテンポラリーチャートでは、1983年の同じルカサーのバラード「I Won't Hold You Back」以来の1位を獲得した。
圧倒的な歌唱力のマイケル・マクドナルド(元ドゥービーブラザーズ)がコーラスで参加してる。

Pamela

1988年発表の『第七の剣』からのファースト・シングル。全米22位、アダルトコンテンポラリーチャート9位、結果的にTOTOにとっての最後のヒット曲となった。
デヴィッド・ペイチとジョセフ・ウィリアムズによって書かれ、最初にペイチが歌詞と曲とタイトルを書いたが、偶然その時、ジョセフにはパメラと言う友人がいて、彼女の歌を既に書いていた。ジョセフはサビの部分を書き換えて、自らのパメラのコーラスを加えこの曲は完成した。

Stop Loving You

1988年のアルバム『第七の剣』からのセカンドシングル。
キャッチーなメロディー、非の打ちどころのない完璧な演奏、まさにTOTO10年間の集大成のような曲で、作者のペイチもレコード会社もヒットを確信したが、結果はアメリカではチャートインを逃した。しかしベルギー、オランダでは2位を記録し、アメリカよりもヨーロッパでヒットした。

Out of Love

4代目新ボーカリスト、ジャン=ミシェル・バイロンが歌う1990年発表のバラード。バイロンの風貌は、同じ年、グラミー賞新人賞を獲得したミリ・ヴァニリを彷彿とさせる。(後に彼らは口パク事件が発覚しグラミーを剥奪される)しかしバイロンとバンドは決定的に合わなかった。「バイロンが出てきて、踊り始める。俺は目玉が飛び出してジェフ(ポーカロ)を見る。今、彼は片手にゴルフ・グローブを着けてこのキレキレのマイケル・ジャクソンをやっているわけだ。俺の顎は驚きではずれたんだ」とルカサーが語っていた様に、バイロンはメンバーと様々な軋轢をを残して、アルバム1枚でバンドを去った。しかしこのバラードを聴く限り、バンド初の黒人ボーカリストとTOTOの演奏は全く違和感が無いどころか、むしろこの時代のソウルフルなフィーリングを持ったピカイチの曲に仕上がっている。やはりロックとしてのTOTOの側面を表現出来なかったのがバイロンの弱点だった。

Spanish Sea

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