倒産・廃業・休止などで廃墟と化した場所まとめ!かつての面影はどこに…?

当初は人の出入りが活発で、観光地としても話題になった名所。それなのに、様々な理由でいつの間にか廃墟と化してしまっていた…そんな悲しいエピソードは溢れるほどに存在しています。この記事では、今は人が寄りつかないような不気味な存在になってしまっている過去の名所についてまとめました。かつての面影は一体どこへ行ってしまったのか…。

白河高原スキー場とは、福島県西郷村にかつて存在したスキー場。元々は赤面山スキー場(あかつらやまスキーじょう)と言う名前だった。1972年(昭和47年)に開設し1995年(平成7年)に白河高原スキー場と名前を改めた。2000年頃に休業~廃止されたようである。
コースは6コース、リフトは5本、最長滑走距離は2,600メートル、最大傾斜は30度。ゲレンデには人工降雪機、ナイター設備を備え、最盛期にはメインゲレンデ(第4ゲレンデ)を中心として、毎晩ナイター営業が行われていたほど繁盛していた。
ゲレンデ構成は、どちらかというと初中級者が楽しめるゲレンデだったが、リフトや各種施設の規模に比べ、ゲレンデのバリエーションが乏しいというのと、雪の少なさや、当時は那須甲子有料道路を通らないとゲレンデに辿り着けず、割高感が客離れを招いたと見る向きもあるが、すぐそばに大きく最新のスキー場ができたことも理由であろう。

出典: www.spa.or.jp

改名し、リニューアルした当時は入場者数がピークに達した。その当時の様子。
ゲレンデは、スキーヤーで賑わってます。

出典: blog.livedoor.jp

東北のスキー場初!を謳い文句に、フード付き高速クワッドリフトをイタリアから輸入したが、話題になったのは最初の年だけ…

出典: blog.livedoor.jp

問題だった有料道路は、無料通行になっている。
皮肉なものですが、暖冬傾向で雪も少なかったらしい。
時間の問題だったか?
累積負債は13億にもなってしまった。

窓ガラスが割れ、中は雪で凄いことになっています。
かつてのスキーヤーは何を思うのか。

【きぬ川館本店】

きぬ川館本店は、栃木県日光市の鬼怒川温泉にあったホテル。1942年(昭和17年)12月設立した。創業は昭和1929年(昭和4年)で、鬼怒川では2、3番目に古い歴史をもつ老舗だった。
「かっぱ風呂」で知られていたが、30億円の負債を抱え1999年6月閉館した。温泉プールも備える大規模ホテルだった。

通りからの入口。かつては、たくさんのお客様で賑わっていたのでしょう。
バブル終わりの平成4年は7億7千万という売上のピークに達したのだが…

丸い硝子の部分が、自慢のかっぱ風呂のあったところ。

出典: blogs.yahoo.co.jp

浴場の至る所にかっぱの置物が置いてあり、愛嬌もあり、家族で楽しめる風呂だったでしょう。

出典: www.journal.co.jp

当時のパンフレットより。最高の温泉で、湯量も申し分なく「鬼怒川のかっぱ風呂か、かっぱ風呂の鬼怒川か」と言われた程の名湯だったらしいです。

古くからの名館で、政府の登録観光旅館でもあったが、放漫経営により
倒産に至った。負債は30億。
テレックスの表記に時代を感じる…

【草津シズカ山スキー場】

草津シズカ山スキー場(くさつシズカやまスキーじょう)は、群馬県吾妻郡草津町に位置するスキー場。運営会社は株式会社シズカスポーツアリーナ草津。バブル末期の1990年12月に営業開始、第2期・第3期としてさらにゲレンデを拡張する計画があったが、2005年には休止した。
かつて他のスキー場がスノーボードでの滑走を禁止、あるいは一部滑走禁止区域を設ける中、いち早くスノーボード全面滑走解禁したスキー場だった。ヘリコプターで輸送し麓まで滑走する、ヘリスキーのサービスもあった。

当時スノーボードの滑走はスキーヤーから嫌がられていたため、全面滑走は画期的だった。

立派なレストハウスです。

当時はおしゃれな広告だったんでしょう。Sizcaのロゴも時代を感じます。

繁盛していた頃は、50分の時間規制があったのでしょうか?何枚も札があるところを見ると、たくさんの人で賑わっていた当時の様子が伺えますね。

たくさんの遺留物が残されたまま廃墟になってしまっている。ちなみに廃業ではなく、休止なのでまだ使うつもりなのでしょうか?

【ホテル 大宮】

ホテル大宮は群馬県利根郡みなかみ町にあったホテル。昭和39年に開業、昭和41年には新館を増築し、みなかみ温泉では、中規模なホテル。
ホテルは田中角栄氏の側近であった、谷古宇甚三郎(やこうじんざぶろう)氏が興した谷古宇産業グループのホテル業のひとつで、昭和49年頃から田中氏の金脈問題が取り上げられると同時に、甚三郎氏も愛人の不動産会社の問題や埼玉銀行問題などで問題視されるようになり、谷古宇グループは資金や、融資に苦しい立場になっていった。
バブル景気で盛り返すと思っていた矢先に悲劇の事故が起こる。昭和64年4月に5階からエレベーターに乗り込もうとした宿泊客が、エレベーターのゴンドラがあると思い乗り込んでしまい15m下に転落。6カ月の重傷を負わせてしまう。調査をすると、エレベーターの定期点検報告を5年間提出していなかった事が発覚(年に1回提出義務)。建築基準法違反、業務上過失傷害容疑で取り調べを受ける間にホテルの営業停止命令が下る。その間に宿泊客のキャンセルが相次ぎ廃業になった。

駅からすぐの場所にある。繁盛していた頃は、この駅前にも大宮の浴衣を着た客が繰り出していたのでしょうね。

入口。当時は車やバスが停まって、仲居さんが迎えてくれたでしょう。

なぜ、こんな状態に?

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