画家ゴヤが描いた謎めいた黒い絵の解説・考察まとめ【超ミステリアス!】

スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが遺した「黒い絵」とは、自身の住居の部屋の壁に描いた一連の絵画の総称である。黒をモチーフとした暗い絵が多く、見る者に強烈な印象を残す。これらの絵には多くの謎があり、評論家の間でも盛んに議論されているようだ。

遅咲きの天才画家

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フランシスコ・デ・ゴヤ

経歴【1746年〜1828年】近代絵画の創始者の一人として知られるスペインの巨匠。強い批判精神と鋭い観察力の人として知られている。

スペイン画壇の鬼才

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ロマン主義の異端児

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波乱に満ちたその生涯

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生い立ち

ゴヤはスペイン北東部サラゴサ近郊で生まれた。芸術を愛好する気風の家庭で育ち、若い頃から画家を志し、1770年からローマで修業する。

人間への飽くなき好奇心に支えられたゴヤの創造活動

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ゴヤは語りにくい画家です

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宮廷画家として

1775年から十数年間、王立タペストリー工場でタペストリーの下絵描きの仕事に携わった後、宮廷画家となった。

ゴヤは芸術家といっても結構計算高くて肖像画を描きまくって金儲けでも成功したことで有名ですが、一方で真実を描こうとする芸術的欲求も強くて、生活の糧としての活動と芸術的活動をうまく組み合わせていた

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処世術にも長けていた人であり、事実幾度も教会に睨まれるような風刺画などを描いていますが、王室や権力者の助力を借りてその危機を脱しています

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転機は突然訪れる

40代にさしかかり、ようやくスペイン最高の画家としての地位を得たゴヤだったが、1792年、不治の病に侵され聴力を失う。

聴覚を失ったことでゴヤの画風はガラリと変化していきました

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40代で聴覚を失ったにもかかわらず、あくなき探究心を生涯持って社会と人間を描き続けた

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徐々に変わっていった作風

1808年から起きたスペイン独立戦争において、極限状態の人間の様々な様子を目の当たりにするゴヤ。この頃からリアリスティックに徹した作品が増えた。

ゴヤは徹頭徹尾、観察者であり記録者だった

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戦争の恐怖は、ゴヤにとって最大の関心事であった

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ナポレオンの侵略によりスペインの平和が覆されると、老年期のゴヤは、戦争と混乱に見舞われた民衆の悲惨な現実を見つめます

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当時のスペインもひどい状態だったようだ。悪条件の中で、表現を生み出して行ったゴヤの天才性に驚く

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そして、【黒い絵】とは…

1815年以降のゴヤは宮廷画家でありながら、実質的には引退して親しい友達のために絵を描いていました。この時期にゴヤは一軒の家を購入し、有名な『黒い絵』のシリーズを描きはじめました。

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通称「黒い絵」は最も個人的な絵画である。見せるためやまして金のために描かれたものではない

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「黒い絵」は名が付いておらず、ゴヤによる説明も全く残っていませんでした。これらの絵が見つかり、マドリードのプラド美術館にキャンバスを取り付けた時、美術家らはこれら14作品一連と作品一つひとつに名前を付けたのです。各名称は一つひとつの作品を識別する際便利ですが、これらの作品群やその名称はゴヤの意図と異なっているかもしれない

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聾者(ろうしゃ)の家

ゴヤは1819年にマドリード郊外に「聾者(ろうしゃ)の家」と通称される別荘を購入し、この家のサロンや食堂の壁に14枚の壁画を描いた。

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