日本初のプロ格闘ゲーマー ウメハラの神プレイ動画 Beast Daigo
2D格闘ゲーム界では伝説のウメハラについてまとめました。日本初のプロゲーマーとして活躍している
ウメハラも一時ゲームの世界を離れるなど謎が多い部分があります。ウメハラの神プレイ動画とともに
その生き様を振り返りたいと思います。
ウメハラ・梅原 大吾という男
梅原 大吾(うめはら だいご、1981年5月19日 - )は、日本の青森県出身のプロ・ゲーマー。
日本での愛称はウメハラ、ウメ、ウメさん。アメリカでは本名のDaigoのほか、The Beastというニックネームでも知られる。
出典: ja.wikipedia.org
カプコン社製の格闘ゲームでの活躍がめざましく、10歳の頃から本格的に対戦格闘ゲームをプレイし始め、
中学生の頃には既に全国トップレベルとなり、1997年のヴァンパイアセイヴァー全国大会「ゲーメスト杯」で優勝を果たしている。
当時の開発本部長の岡本吉起から「10年に一人の天才」と呼ばれた。
23歳の時に一度格ゲーの世界を離れ、麻雀の世界へ飛び込む。
雀荘で働きながら修行を積み、プロ顔負けの腕前を得る。しかし、麻雀の「遊び」が少ないゲーム性への違和感を覚え、遂には勝負事そのものに不安と息苦しさを覚えるようになる。
勝負事で生きることを苦にしてからは介護の職に就いていたが、スト4がアーケードで稼働して友人に誘われたことをきっかけに格闘ゲームをプレイしている時の自分の特別さに気付かされ、再び格ゲーの世界へ復帰した。
ゲームの世界から離れた際の気持ちをウメハラはこう語っています。
「あいつに勝つ!」という勝負の世界にしか、喜びがない。
そんな僕も、さすがに23歳になり、1年360日以上、ゲーム漬けの毎日に終止符を打とうと思った。
一生、ゲームだけをやり続けるわけにはいかない。
勝ち負けだけの日々にも嫌気がさしていた。
格闘ゲームの世界から一切身を引き、介護の仕事についた。
それから4年の月日が流れた。
ある時、友人の誘いにのって軽い気持ちでやった格闘ゲーム。
それが僕を、再び勝負の世界に引き戻すことになった。
出典: www.tfm.co.jp
日本初のプロ格闘ゲーマーに
僕、梅原大吾は、4年の空白を経て、再び世界中のファンが見守る大舞台で優勝した。
アメリカ、ラスベガスで行われた通称『EVO(エヴォ)』。
ビーストと怖れられたプレーヤーの復活に観客が狂喜した。
久しぶりに格闘ゲームをやってみて、自分の感覚が鈍っていないことに驚いた。
そんな僕の前に、ひとりの小柄な女性が現れた。
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この女性との出会いがプロゲーマーとしてのウメハラを作ったのです。
「私をマネージャーにしませんか?」
真っ直ぐ僕を見て、彼女は言った。
もともとこのイベントに日本人通訳として参加していた女性だった。
「大吾さんが、ゲームから離れたことは知っていますが、やるべきです。大吾さんなら、この世界を変えられるはずです。私が、なんとかします!」
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この出会いでウメハラの心に変化が訪れ、そして2010年プロゲーマーとしての活動を
スタートさせることになりました。
ドラマティックな勝利を生み出すウメハラ
2004年に開催されたEvolutionの『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』部門において、梅原の操るケンが米国のジャスティン・ウォン(Justin Wong)が操る春麗との対戦時、体力がほぼゼロに近い状態から逆転勝利したプレイの様子ならびにその動画。動画にはゲーム画面と会場の異常とも言える盛り上がりが同時に収録されている[18]。
出典: ja.wikipedia.org